ガサガサッ‼️と音をたてる
アイラちゃん↑
私事ですが初めての体験をしてしまいました。
というのは、リセットしに自分が癒される立場で施術を受けに行った日のお話です。
その日もロングコースでウキウキしていました。が、施術がまだ始まっていないのに施術者の手が肩に触れた瞬間、ずん!!といきなり肩がものすごーく重くなったのです。えっ!?と思ったまますごく痛くなってしまって・・・一生懸命丁寧にやってくれてるのは伝わってくるのですが、申し訳ないことにもぞもぞ、腕をパタパタしてしまう私。とにかく何かがおぶさっているような・・・。
その日は朝から一日出歩いていてすごく疲れていたので、無理ぃぃ・・・とばかりに浄化できず・・・。
施術後の顔と手はむくんでパンパンになっていて手が握れない。こんなことってあるんですね?
施術者の方相当疲れていたのかな??と思ったりして。
帰り道では寒気と吐き気と頭痛に襲われ・・家に着くなりお風呂に直行です。
お風呂の中で浄化し、ご飯を食べ、ようやく落ち着いた私。
その日の疲れは施術する前に取っておかなくてはいけませんよね。セラピストとして見直す良いきっかけとなった体験談でした。
人は肉体が無くなっても、たましいは永遠に生き続けます。
私は亡くなった方から 「私にはもぅ肉体がないのはわかっている。・・それでも上には行けない。」 と訴えられた出来事があります。 今思えば、その出来事が自分を(人生を)変える大きなきっかけとなったんです。
頭の固い現実主義の私はそういう体験をしてもしばらくの間は思いっきり頭で否定しました。こういう経験を否定するのは子供のころからなんですけど・・ しかし、心が否定できなかったんです。
根拠のない間違いないという確信。 あり得ないと思いながらも、観てしまったら、聴いてしまったらもぅ、信じざる得ないのです。
私はその時、あまりにも苦しそうに訴える彼に、ボロボロ涙がこぼれ、言葉にならずただうなずくだけしかできませんでした。 その衝撃な出来事を通して彼からたくさんのことを教わり、気付かされたんです。
だから自分は精いっぱい生きようと心から思ったし、今が幸せでなければ死んでからも不幸だということも学びました。
そんな経験をしながらも、その後施術等で目に見えない存在と共同作業していながらも、自分の体までケアしてもらっているのに、私は未だに恐怖を憶えてしまいます。
心の目ではなく、この肉眼で見た確かなもの、この耳で聞いた確かなものしか信じない。だから私にはっきりと見せなさいと主張しておきながらも、いざ観てしまうと恐怖を感じる 失礼ですよねでも、いまだに慣れないのが現状です。
きっと、後ろの者たちは笑っているだろうな・・矛盾してるってね なんでなんだろう・・はっきり肉眼で見てしまうと自然に鳥肌が立ってしまう私・・。私だけ?!かな?? 心の目より肉眼を通して見たいのは揺るがない確証がほしいからなんだろうけど・・ そんなわけで私の学びはまだまだ続いているのでした
私は幼い頃から自然と神の存在を信じていた。
きっと今は亡きおじいちゃんの影響が大きかったのだと思う。
おじいちゃんと過ごした幼い頃の日々を、私は今も憶えている。
お寺の住職だったおじいちゃんは、私が疑問に思うことは何でも答えてくれた。
なぜ、お庭には首のないお地蔵さんがいるの? と聞けば
おじいちゃんが山で修行をしているとき、連れて帰ってくれと言うから
おぶって連れて帰ってきたんだよ。 と答える。
だからその頃は首のないお地蔵さんも喋るんだと普通に思っていた。
体が一つで顔が二つある小さい白蛇や不思議なものをみても
おじいちゃんだけは私の見たものを否定しなかった。
私が本当に神の存在を確信したのは
多分幼稚園の頃だったと思う。
初めて我が家に神棚を入れた時のことだ。
皆が目をつぶってお祈りをしているとき、神棚の扉が自然と開いたのだ。
母に扉が開いたよ、と言うと
そうね、神様が来てくれたんだね。と、答えた。
そのとき、やっぱり神様は本当にいるんだ! と思ったことを今もしっかりと憶えている。
その後、物心ついて恐怖心というものを覚えてしまった私は
人には感じないものから怖い思いや、イヤな思いをたくさんし、
最終的に中学の頃、おじいちゃんから自分が持っていた仏像に神様の魂入れをしてもらって
怖い思いから心の平安を取り戻した。
今思えば不思議なもので、それが私と神様の本当の意味での出会いだったのでないだろうか。
怒った姿を見たことのない清らかなおじいちゃん。
私と神様を出逢わせてくれたおじいちゃん。
中学に入る頃からおじいちゃんとまったく会話をしなくなってしまった私。
今ならたくさん聞きたいことがあるのに・・・
『依存してしまいます。』
『人の話に振り回されてしまいます。』
直観力を養うにはどうしたらよいですか?
という質問をたまにされます。
直観力は何かを学んだり、勉強して養われるものではないと私は思います。
普段意識して使っていない感覚(6感)を意識して使うことで、養われてゆくと思います。
例えば普段なにげなく食べている野菜。
苦いだけの野菜かと思っていたら、よく味わってみると甘みがある、渋みもあるかな?いや、辛さもある。 と、言った具合に普段意識して使ってない舌の味覚を鋭くして味わい、使うことで直観力を含めた感覚というものは養われてゆくのではないでしょうか。
自然の美しさ、優しさ、香り、空気を感じて心に余裕を。 直観力を養ってみてくださいね