リオのオリンピックが終わり、4年後はいよいよ東京オリンピックになりますね。ところで、1964年の東京オリンピック時に以下の名言が表示されていたことを初めて知りました。
「オリンピックは、勝つことではなく、参加することに意義があるとは至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、よく戦ったかどうかにある。」
英語では、このようになります。
"The most important thing in the Olympic Games is not to win but to take part, just as the most important thing in life is not the triumph but the struggle. The essential thing is not to have conquered but to have fought well."
これは、1904年のロンドンオリンピックの際に、イギリスの教会の大主教が語った言葉ですが、当時、アメリカとイギリスの仲が大変悪く、アメリカの選手が散々嫌がらせを受けていたそうです。そこで気分転換にアメリカの選手が教会の礼拝に参加したところ、大主教からこの言葉を聞き、大変励まされたということです。
日本は今では多くの会社で成果主義が導入され、何かしらにつけ、結果を求められる時代になり、勝ち負けにこだわる人が増え、お金や名誉、出世など、人間が勝手に作った尺度に基づき、「勝ち組」「負け組」などを決めつけるようになった。一昔前の日本は、努力が大切だ、ということが良く言われていたが、今一度、この言葉をよく思い起こすべきであろう。
努力したから、頑張ったからといって、自分の思うような結果が必ずしも出るとは限らないし、どちらかと言えば、上手く行かないことの方が多いだろう。人生において最も大事なことは、勝つことではなく、困難の中で努力する過程において成長する私達自身の人としての成長なのです。つまり、何をしたか、何を成し遂げたか、なのではなく、人としてのあり方なのです。
会社での成功や出世、肩書や名誉はもちろん、お金やオリンピックのメダルは、私達がこの世を去った後、持っていくことはできません。私達は皆、生まれてきたのと同じ状態で、死ぬときも、何も携えていくことはできない、と聖書でははっきり述べています。つまり、私たちは皆、裸の状態でこの世を去るわけですが、唯一、持っていけるのが、私達自身そのものだけなのです。私達がどのような人間なのか、それだけが死後において問われるわけです。
従って、勝ち負けにこだわるだけの人生は、自身に破滅をもたらします。何故なら、神様は私達人間をそのように創造なさっていないからです。
大事なのは、自分がどれだけ努力したのか、どれだけ真剣だったのか、毎日精一杯生きているのか、それによって人間的にどれだけ成長したのかが、私達の生涯において問われます。従って、メダルが取れなかった、志望校に合格できなかった、希望する就職先に入れなかった、ということは、それが実現できれば素晴らしいですが、人生そのものにおいては、さほど重要なことではありません。大事なことは、今置かれている場所で、全力投球しているのか、どれだけ真剣に努力しているのか、ということが私達の人生において問われるのです。
「オリンピックは、勝つことではなく、参加することに意義があるとは至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、よく戦ったかどうかにある。」
英語では、このようになります。
"The most important thing in the Olympic Games is not to win but to take part, just as the most important thing in life is not the triumph but the struggle. The essential thing is not to have conquered but to have fought well."
これは、1904年のロンドンオリンピックの際に、イギリスの教会の大主教が語った言葉ですが、当時、アメリカとイギリスの仲が大変悪く、アメリカの選手が散々嫌がらせを受けていたそうです。そこで気分転換にアメリカの選手が教会の礼拝に参加したところ、大主教からこの言葉を聞き、大変励まされたということです。
日本は今では多くの会社で成果主義が導入され、何かしらにつけ、結果を求められる時代になり、勝ち負けにこだわる人が増え、お金や名誉、出世など、人間が勝手に作った尺度に基づき、「勝ち組」「負け組」などを決めつけるようになった。一昔前の日本は、努力が大切だ、ということが良く言われていたが、今一度、この言葉をよく思い起こすべきであろう。
努力したから、頑張ったからといって、自分の思うような結果が必ずしも出るとは限らないし、どちらかと言えば、上手く行かないことの方が多いだろう。人生において最も大事なことは、勝つことではなく、困難の中で努力する過程において成長する私達自身の人としての成長なのです。つまり、何をしたか、何を成し遂げたか、なのではなく、人としてのあり方なのです。
会社での成功や出世、肩書や名誉はもちろん、お金やオリンピックのメダルは、私達がこの世を去った後、持っていくことはできません。私達は皆、生まれてきたのと同じ状態で、死ぬときも、何も携えていくことはできない、と聖書でははっきり述べています。つまり、私たちは皆、裸の状態でこの世を去るわけですが、唯一、持っていけるのが、私達自身そのものだけなのです。私達がどのような人間なのか、それだけが死後において問われるわけです。
従って、勝ち負けにこだわるだけの人生は、自身に破滅をもたらします。何故なら、神様は私達人間をそのように創造なさっていないからです。
大事なのは、自分がどれだけ努力したのか、どれだけ真剣だったのか、毎日精一杯生きているのか、それによって人間的にどれだけ成長したのかが、私達の生涯において問われます。従って、メダルが取れなかった、志望校に合格できなかった、希望する就職先に入れなかった、ということは、それが実現できれば素晴らしいですが、人生そのものにおいては、さほど重要なことではありません。大事なことは、今置かれている場所で、全力投球しているのか、どれだけ真剣に努力しているのか、ということが私達の人生において問われるのです。