夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

黄金色に染まり、豊作に満たされる大地

2015年10月08日 21時26分13秒 | 歴史
懐かしいふる里


私のふる里は日本で最初に稲の栽培が始まり、弥生時代の夜明けの地域でもあります。
古代より住吉大神を氏神として祀ってきました。綿津見大神を祀っている志賀島神社の安曇族に対して一族は住吉族といわれています。また奴国のあった処です。
平成十二年外環状道路建設のための曰佐遺跡の発掘調査によって、此の地から先土器時代の遺物や縄文土器等が大量に発見され、明の時代の中国製輸入陶器や、平安末期から室町時代の集落跡も発見され、此の地域は六千年もの太古から先進的な人々が住んでいたことが考古学的に証明されました。筑紫国、那の津口に官家が造営されてより、此の地方は中国大陸や、朝鮮半島との外船の往来するところとなり、曰佐はその応接の要地であったため、その航海の安全や鎮守の神として筑前那珂郡に住吉三社が居かれ、上社は那珂川町の現人神社・下社は博多区の住吉神社、当社は、その中津瀬の神として祭られたもので、その起源は宣化天皇の御宇(五三六年)の前後であると記されています。



幼い頃は稲作とホルスタイン牛を放牧して搾乳した牛乳を馬車で出荷していました。先祖代々より、神功皇后が勧請したといわれる名島神社の大神、小早川隆景が海城である名島城内に祀った名島弁財天、庭には稲荷大神を地祀りしていました。
日佐住吉神社の絵馬殿に上がり遊んだことが懐かしく思い出されます。
祖母に連れられ海風があたる名島神社、弁財天にお参りに行ったことが心深く残っています。
座敷には中央に神殿があり、左側に仏壇、右側に床の間がありました。
鴨居にも神々が祀られていました。現在も代々引き継がれ、沢山の神々をお祀りし、お世話をさし上げておられます。
有り難いことです。感謝申し上げます。








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