直感力・・・ものごとの本質を『其の儘の心』で直接的に捉えるには―
娘が秋田に嫁いでいますので、奥様と一緒に金足農を応援していました。
秋田の金足農が滋賀の近江を2ランスクイズで逆転さよならゲームを決めました。
アットいう間の出来事でした。
2塁走者が独断でホームまで走ったそうです。
この2塁走者は2ランスクイズが必ず成功出来ると直感で感じたのでしょう。
ある人はふと思い付いた事を実行して成功を収め、ある人は失敗をする。
此の思い付きの差は何処から来るのででしょうか、
これは全力が出せる心身の鍛錬と信念の力ではないでしょうか。
そして結果に捉われない明るさと『其の儘の心』だと思われます。
道元禅師は祇管打座(しかんだざ)と言われたのであります、
『祇管』というのは『只ひたすら』ということです。
『打座』と云うのは打ち座るということです。
只ひたすらに打ち座る―どんな計らいもせずに、
生まれたままの生命其の儘になって座っている。
その工夫を用いないで生命其の儘で座っている『其の儘』が仏の姿である。
ただ座って一切の『人間的力み』を捨てて其の儘になっている其の儘の姿が
『そのまま仏』であると云うのであります。

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