義理のお姉さまが、義理の弟さんの結婚を心配して、
説明を聞きにこられました。
お姉さまは弟さんの
“現状の生活スタイルに合う女性を探している”とのことでしたが、
詳しくお話をうかがっても、
そのスタイルを受け入れてくれる女性はいないものでした。
お姉さまがお探しの縁談をお手伝いすることはできないのですが、
家族の協力があるのであれば、
“弟さんの生活スタイルを○○のように変えるという方法はいかがですか”
と提案させていただきました。
お姉さまは、
「今までまったく考えたことのなかった方法で、そういう方法もあるんですね。」と、
来られたときの深刻そうな表情から、柔らかな表情でお帰りになりました。
一筋縄ではいかない問題ですが、
家族を想う気持ち(愛情)は、本当に美しく強いものなので、
これからの一歩を応援したいと思いました。
ブログをご覧の方の中で、
ご家族の心配をされている方も多いかと思います。
「あなた、自分の結婚はどうするの!」とついつい聞いてしまうかと思います。
そんな時、
①「考えとる」という返事は、
本人がちゃんと考えているので、それ以上口を出さず、
報告があるまで1年でも2年でも待っていてあげて欲しいと思います。
②「ほっといてくれ」という返事は、
好きな人がいるか、お付き合い中ではあるが、行き詰まっている状態なので、
「家族が協力できることがあったら、何でも言ってね」
という言葉が最適だと思います。
③「もう自分はええんよ」という投げやりな返事は、
何らかの原因で自信を無くしているのですが、
本当は、何とかしたいと常に考えていて、
考えすぎて疲れてしまっている時だと思います。
しかし、そう言われた家族としては、考えていないように思えて、
「もっと自分のことを考えなさい!」と言ってしまいます。
そう言われた本人の心の中では、
「こんなに考えてきたのに、まだ考えろというのか」
と、さらに喪失感に苦しみます。
自信を無くした者にとって、一番必要なモノは、
抽象的すぎるかもしれませんが、
【家族の愛情】です。
愛情表現は、家族によって違いますが、
今回ご来店のお姉さまは、自らが動くことだったようです。
弟さんのために“労力を惜しまない”というのが愛情だと思います。
目に見えなくても、すぐに伝わらなくても、何か大事なときに支えになるようです。
毎日食べているお米は、
そのお米を作っている人を、私たちは知りませんが、
お米を作っている人は、
美味しく食べて欲しいと食べる人のことを想って作っている。
というのと同じだと思います。
説明を聞きにこられました。
お姉さまは弟さんの
“現状の生活スタイルに合う女性を探している”とのことでしたが、
詳しくお話をうかがっても、
そのスタイルを受け入れてくれる女性はいないものでした。
お姉さまがお探しの縁談をお手伝いすることはできないのですが、
家族の協力があるのであれば、
“弟さんの生活スタイルを○○のように変えるという方法はいかがですか”
と提案させていただきました。
お姉さまは、
「今までまったく考えたことのなかった方法で、そういう方法もあるんですね。」と、
来られたときの深刻そうな表情から、柔らかな表情でお帰りになりました。
一筋縄ではいかない問題ですが、
家族を想う気持ち(愛情)は、本当に美しく強いものなので、
これからの一歩を応援したいと思いました。
ブログをご覧の方の中で、
ご家族の心配をされている方も多いかと思います。
「あなた、自分の結婚はどうするの!」とついつい聞いてしまうかと思います。
そんな時、
①「考えとる」という返事は、
本人がちゃんと考えているので、それ以上口を出さず、
報告があるまで1年でも2年でも待っていてあげて欲しいと思います。
②「ほっといてくれ」という返事は、
好きな人がいるか、お付き合い中ではあるが、行き詰まっている状態なので、
「家族が協力できることがあったら、何でも言ってね」
という言葉が最適だと思います。
③「もう自分はええんよ」という投げやりな返事は、
何らかの原因で自信を無くしているのですが、
本当は、何とかしたいと常に考えていて、
考えすぎて疲れてしまっている時だと思います。
しかし、そう言われた家族としては、考えていないように思えて、
「もっと自分のことを考えなさい!」と言ってしまいます。
そう言われた本人の心の中では、
「こんなに考えてきたのに、まだ考えろというのか」
と、さらに喪失感に苦しみます。
自信を無くした者にとって、一番必要なモノは、
抽象的すぎるかもしれませんが、
【家族の愛情】です。
愛情表現は、家族によって違いますが、
今回ご来店のお姉さまは、自らが動くことだったようです。
弟さんのために“労力を惜しまない”というのが愛情だと思います。
目に見えなくても、すぐに伝わらなくても、何か大事なときに支えになるようです。
毎日食べているお米は、
そのお米を作っている人を、私たちは知りませんが、
お米を作っている人は、
美味しく食べて欲しいと食べる人のことを想って作っている。
というのと同じだと思います。