今日も定期テストについて。。。
今の定期テストの問題は、学校によってというか、作成する先生によって難易度がかなり違う。
違うこと自体は決して問題ではなく、生徒の「学力」を判定するには、個性のある生徒が見たことがない問題に対して、どのように取り組んでいくのかを見られるような問題も必要であると思う。とくに数学では、高校入試でこのような問題が出題されるので、1年生から様々な問題に意識をもってふれておくことはとても重要であるとさえ考えている。
でも、でも、でも。。。なのである。
あくまでも「絶対評価」「内申点」という2つのWordが邪魔している。
「絶対評価」が本来の「絶対評価」であるためには、昨日も書いたが、その評価を受ける生徒たちが、一律に同じ問題を受け、意欲、関心など同じ評価基準で受けることを前提とする。
「相対評価」では、母集団のレベルによって、生徒に不具合がでるため「絶対評価」で判断しようというのが、変更の理由であるならば、今の「絶対評価」は「絶対評価」になっていない。
そしてこのわけのわからない「絶対評価」の成績が「内申点」として、公立高校入試などの合否の一つの基準になってしまっているということに問題が出てくるのである。
なんとかこのへんの矛盾点を解決していかなければならないのだが、問題としてあがっていないのが現状で、なんとなく全体に受け入れられているような気がする。
以下続く
今の定期テストの問題は、学校によってというか、作成する先生によって難易度がかなり違う。
違うこと自体は決して問題ではなく、生徒の「学力」を判定するには、個性のある生徒が見たことがない問題に対して、どのように取り組んでいくのかを見られるような問題も必要であると思う。とくに数学では、高校入試でこのような問題が出題されるので、1年生から様々な問題に意識をもってふれておくことはとても重要であるとさえ考えている。
でも、でも、でも。。。なのである。
あくまでも「絶対評価」「内申点」という2つのWordが邪魔している。
「絶対評価」が本来の「絶対評価」であるためには、昨日も書いたが、その評価を受ける生徒たちが、一律に同じ問題を受け、意欲、関心など同じ評価基準で受けることを前提とする。
「相対評価」では、母集団のレベルによって、生徒に不具合がでるため「絶対評価」で判断しようというのが、変更の理由であるならば、今の「絶対評価」は「絶対評価」になっていない。
そしてこのわけのわからない「絶対評価」の成績が「内申点」として、公立高校入試などの合否の一つの基準になってしまっているということに問題が出てくるのである。
なんとかこのへんの矛盾点を解決していかなければならないのだが、問題としてあがっていないのが現状で、なんとなく全体に受け入れられているような気がする。
以下続く