前回に続き、M.ブーバーの言葉を紹介します。
ブーバーは、人々がおちいっている「不信の念がさらにこうずると、相手の存在ばかりでなく、自分の存在——あるいは人間一般の存在——にまで不信をいだくようになります。これこそ、現代人がかかっているもっとも重い病気なのです。この病気が世界平和の実現を妨げているのです。」と述べていますが、では、この病を克服し、世界平和を実現していくために、わたしたち現代人は何を理解し、なにをすべきなのでしょうか。まず、この病の原因である現代人の人とのかかわりについてブーバーの話を聞いてみましょう。
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わたしはいま、現代人の病気は世界にみなぎる不信の念と「対話の消滅」から生じていると申しました。ではこの病気をなおすにはどうしたらよいでしょうか。それは自分や他人の、あるいは人間そのものの存在を確認することにあります。しかし、現代人にとってそうすることは、ほとんど不可能だと思われます。なぜなら、かれらは次に述べる二つの間違った方法によって目的を達しようとしているからです。
まず第一は、自分で自分を確認しようとする方法、第二は集団によって自分を確認してもらおうとする方法です。しかし、これら二つの方法はいずれも失敗に終わらざるをえません。なぜなら、自分で自分の存在を確認したところでなんの役にもたたないからです。そんなことをすれば、他人との結びつきはたち切られ、結局孤独におちいるよりほかはありません。個人主義の過ちはここにあります。 さらにまた、集団にたよって自分を確認しようとしても、なんの役にも立ちません。なぜなら、集団は集団の役に立つかどうかとういう点からのみ個人をながめ、それに都合のよい部分だけしか確認しないからです。集団主義の誤りはここにあります。ヒトラーやアイヒマンがこうした集団のどれいであったことに間違いはありません。いずれにしても、現代人は他人と交わろうとして「まぼろしの汝」をつくり上げてしまいました。かれらがこの病気から立ちなおるには、個人主義にも集団主義にも見いだすことのできない「真の汝」と出会い、それによって失われた人間性を回復すること以外にないと思います。
(つづく)
対話の倫理
M.ブーバー原著 野口 啓祐訳 創文社 初版1967(昭和42)年
引用文は、1963年10月27日付けの読売新聞に「世界人との平和問答」と題された特集紙面に掲載された。
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