この世があると言うことは、あの世はあるのでしょう。
この世あってのあの世ではなく、あの世あってのこの世だと感じます。
ここで、人間だけにあの世があって、動植物、ウイルスにはないのでしょうか?
人間にあの世があるからには、すべての生き物にはあるのでは。
でも、ここで人間の頭で考えた解釈では説明出来ません。
そもそも、説明など人間の故の思い上がりではないですか。
この世、全宇宙、あの世がエネルギーの塊だとしたら。
すべてが、それぞれの方向性があり流れではないか。
そのエネルギーが、見えたり見えなかったりするのではないか。
人間にとってこの世は見える。でも、全生物はそれぞれの見方をしている。
本当は実態のない、流れ、そのものではないか。
そうすると今度は、時間とは何かという問題が出る。
流れがあるからには、時間があるということになるが、そうなのか?
時間も人間の捉え方で、全生物は違った感じ方をしてると思われる。
この時間そのものも、エネルギーの流れではないか。
流れは時間だけなのか。流れとは何か。
生物は遺伝子の為に生き繋いでいるように見えるが、そうなのか?
遺伝子そのものの、巧妙な戦略に見えなくもない。
でも、それも流れの表面ではないか。
時間や空間を超越した、何かがあるのではないか。
私は絶対的な流れ、それがすべてだと思う。
ここで神が出てくるが、これもエネルギーの流れではないか。
すべてが、あるようでないとすると、流れもないのか?
三次元の発想だとここで、詰まる。
これを四次元で考えると、三次元の事柄は手のひらの上ではないか。
あの世を、四次元と置き換えてもいいのではないか。
摩訶不思議な介入、いとも簡単に出来て我々を困惑させる。
幽霊、怪奇現象、UFОなどもそうではないか。
我々人間は、所詮三次元のたわもの、箱庭。
私は、エネルギーの本質は善だと思う。
この善エネルギーは、例え悪の仮面を被って現れることもあると思う。
神も宇宙も、三次元も四次元も、善エネルギーが作ったのではないか。
結論で言うと、あの世あって当然。
幽霊、UFО出て不思議でない。
四次元からすれば、筒抜けの箱庭。
みなさん、これは一私見にすぎません。
この世あってのあの世ではなく、あの世あってのこの世だと感じます。
ここで、人間だけにあの世があって、動植物、ウイルスにはないのでしょうか?
人間にあの世があるからには、すべての生き物にはあるのでは。
でも、ここで人間の頭で考えた解釈では説明出来ません。
そもそも、説明など人間の故の思い上がりではないですか。
この世、全宇宙、あの世がエネルギーの塊だとしたら。
すべてが、それぞれの方向性があり流れではないか。
そのエネルギーが、見えたり見えなかったりするのではないか。
人間にとってこの世は見える。でも、全生物はそれぞれの見方をしている。
本当は実態のない、流れ、そのものではないか。
そうすると今度は、時間とは何かという問題が出る。
流れがあるからには、時間があるということになるが、そうなのか?
時間も人間の捉え方で、全生物は違った感じ方をしてると思われる。
この時間そのものも、エネルギーの流れではないか。
流れは時間だけなのか。流れとは何か。
生物は遺伝子の為に生き繋いでいるように見えるが、そうなのか?
遺伝子そのものの、巧妙な戦略に見えなくもない。
でも、それも流れの表面ではないか。
時間や空間を超越した、何かがあるのではないか。
私は絶対的な流れ、それがすべてだと思う。
ここで神が出てくるが、これもエネルギーの流れではないか。
すべてが、あるようでないとすると、流れもないのか?
三次元の発想だとここで、詰まる。
これを四次元で考えると、三次元の事柄は手のひらの上ではないか。
あの世を、四次元と置き換えてもいいのではないか。
摩訶不思議な介入、いとも簡単に出来て我々を困惑させる。
幽霊、怪奇現象、UFОなどもそうではないか。
我々人間は、所詮三次元のたわもの、箱庭。
私は、エネルギーの本質は善だと思う。
この善エネルギーは、例え悪の仮面を被って現れることもあると思う。
神も宇宙も、三次元も四次元も、善エネルギーが作ったのではないか。
結論で言うと、あの世あって当然。
幽霊、UFО出て不思議でない。
四次元からすれば、筒抜けの箱庭。
みなさん、これは一私見にすぎません。