私は旅に出てもそうだが、近所の多摩川を見ても思う。
川の上流を見るのが好きである。
なぜだかと、思いをめぐらしてみることにしよう。
故郷の新潟では、信濃川でよく魚釣りをしていた。一番の趣味だった。
毛バリの流し釣りで、ポイントをかえながらやっていた。
上流の浅瀬のほうが釣れるので、もっと上流へとの思いがあった。
あの当時、上流の越後山脈の山容は見ごたえがあった。
そのまた先へとの、憧れもあった。先は関東平野へと続いて行く。
やはり、私の原風景として永遠のものである。
ほかの理由を、考えてみる事にしよう。
私の指向として、下流を未来とすると、過去とも言える上流に思いが。
メランコリックな思いを抱いてるのではないか。
つまり、未来よりも過去に興味があるとも言える。
歴史好きなのはともかく、自分の生い立ちにもこだわりがある。
それでは、これからの未来をどう思ってるのか。
惰性に任せて、流れるままにしてるのか。
それはそれで、自然でいいともいえる。
こんな筈ではなかった、との思いがいつもある。
いたであろう所にいなくて、違う空を見ているとの思い。
鏡に映る自分が、別人のようだと。
あの頃に戻りたい、過去のある地点から生き直したい。
せんないことだが、心をかきむしる。
本当ではない自分と、向きあっている日々。昔に戻りたい。
だからなのか、川の上流に憧れを持っている。
上京してからも、川のある町に住んでいる。
何か落ち着くし、懐かしい故郷を思う。
今日も私は、上流を見て微笑んでいる。