今日、散歩がてら柏の図書館に寄ってみた。前から読もうと思っていた「紅楼夢」を手に取って、ちょっとパラパラ読んでみたかったのだ。早速パソコンで検索したら奥の書架にあると出た。行ってみると見つかったのは「上・中・下」の分厚い3巻本である。出版が1973年と相当古く、重くて字も小さい明朝体だから私のような年寄りには読むのが辛そうだ。とにかく持ち出して読書室でソファに座って読み出したが、5頁程読んで諦めて書架に戻してしまった。せめて「第一回」位は読み切りたかったが半分も行かないうちにギブアップである、まあこれが初回なので一応良しとしよう。書架に戻したついでに古代史の棚も覗いてみた。
今、Amazon の読み放題で読んでいる「岡崎康民」の本が中々良く出来ているので、ちょっと「小林惠子」の変った歴史観にも興味が湧いてきた所である。小林惠子は日本の古代史の概念を今までとは全く違った視点で描いている異端の歴史家と思っていた。例えば「万葉集は朝鮮語で読み解く事が出来る」などの刺激的な解釈が目立っていて、王道の歴史観を大事にしている私には余りにも突飛過ぎて正直ちょっと引いていたのである。だが岡崎康民の説を読んでから少しは読んで見ようかなと考えるようになってきた。とにかく「食わず嫌い」は良くないと思っての事である。
しかし、ここで思わぬ問題が発生した。私の人生の残り時間と貧弱な読書力とで計算した結果、読める本の量が「驚くほど少ない」事に気がついたのだ(今頃気づいたんかい!)。
実は今年になってからも本屋に行っては色々と買い込んでちょっとずつ手を付けてはいたが、ちゃんと読めたのは会田大輔著「南北朝時代ー五胡十六国から隋の統一まで」と、岡崎康民著「古代史はどこがまちがっているかー考える古代史2」の2冊だけである(淋しぃ~!)。以前に買っておいた「三国志演義(上中下)」とか、10年以上も読もう読もうとして未だに読めていない「古今和歌集」とか、大冊を引っ張り出して気合を入れてちょっとかじっては見たが敢え無く途中で放り出したり、その間にも面白そうな本を本屋で見つけては読むつもりで机に積んでおいたりと、一向に読書がはかどらない。
そして今、読まなきゃいけない本が山積みなってるのにまた図書館に行って紅楼夢などを開いたりと、時間をムダに使ってばかりなのだ(おお、ノー!)。これじや今年もまた無為な一年を過ごすことになってしまうぜ、ヤバいよヤバいよ(出川哲郎風に)。私は今年73歳で、日本人の平均寿命から言うと後12年でお迎えが来る予定である。私の財布にはもう使える時間が殆ど残ってないのだ(間違いない!)。 少なくとも「1月に1冊」は最低でも読まなければ、一生読みたい本が読めないまま死んでしまう事になるではないか。ああ、余りにも可哀想な私の見すぼらしい人生よ・・・
というわけで私の読書人生を有意義にすべく、泣く泣く「読むべき本の範囲を限定」することにした。つまり、浮気はダメよ~ダメダメ!って訳だ。もうあちこちふらついて横道に入っては、当てが外れて悪態をついている暇は無いのである。残された時間を最大限有効に使うためには、真っ直ぐ・真一文字に・一直線に・脇目も振らずに・厳選された(もう同じ表現を繰り返すのは止めて先に進め!)狙い定めたターゲットを「着実に読み切って」いく事がマストなのだ(その通り!)。
今ならまだ何とか間に合う。明日から、いや今日から劇的に強力に(言葉はいいから実行しろよ!)読書に邁進すること。それしか無い。
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ようやく腹が決まったので、スケジュールを決めることにした。
目標とする読書範囲は、
1日本古代史の謎の解明
2中国宋王朝の文化研究
3和歌と漢詩鑑賞、
それから少し中国語を勉強することである。
まあ中国語は「李白や杜甫」の詩をいくつか原語で読めればいいな、という程度で満足しようと考えている。それで以上の範囲に入っていないものは例えどんなに面白そうであっても「決して手を出してはいけない!」と自らを戒めることにした、残念だがこれがルールである。
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実は机の上にこの前買った永井荷風の随筆集上下と濹東綺譚、それにスタンダールのパルムの僧院上下が積んである。その横には中国史関連が文庫で4冊と、和歌漢詩の本が3冊。これを年内に読むつもりで正月からずっと置いてあるのだが、まだ全然「読めていない」のだ。ああ、どうしたらいいでしょう?(知らんわ!)
とにかく上記読書範囲3点に的を絞って、それ以外の事は「専門外なので私は知らないです」と馬鹿のふりをすることに決心した。人間そんなに何でもかんでも首を突っ込んでも、この年で大して智慧がつくわけじゃなし。精々広く浅く、雑駁な知識を無秩序に溜め込むだけの雑学博士とか言われて、結局は「肝心の事が分からずに」空しい人生を送るだけである。今の私は、正にそうなってしまいそうなのだ。人間の真実に辿り着く道は一つではない。どんなルートを通ろうと、頂上に行きさえすれば視界を遮るものは何も無い筈だ。先ずは登ってみることであろう。そうすれば次に目指す目標が見えて来る。
まあそういう訳で、今日から読書三昧で一年を過ごす決意である。ここでちょっと考えたのだが年を取ってもシャキッとして理路整然、認知症など全くどこ吹く風という頭脳明晰な達人がいる。で、どこが一般の人と違うのかと言うと、それは「読書力」の差だと分かったのだ。若い時と同じように猛然と書物を読破する力は、畢竟煎じ詰めれば「脳の理解力」そのものではないだろうか。目がショボショボして読めないとかは副次的なものでしかない。旺盛な探求心を持って未知の書物の大海に敢然と突き進む生命力は、これすなわち「脳の若さ」の象徴であろう。
私も遅ればせながら、今日から「まず1冊」を最後まで読み切ってみよう。本の題名は岡崎康民著「王朝交替と広開土王体制:考える古代史」である。果たして今日中に読み切れるかどうか。そうそう、4時からゴルフパートナーでレッスンだし、夜7時頃にはコインランドリーで洗濯の予定だが、まあいい。何とか初志貫徹、とにかく私の人生は読書が第一である。頑張って読み切ろう!
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