1、今冬にまた「感染爆発」は来るのか?という、考えても仕方ない質問
これはコロナと直接関係はないが、今度からマイナンバーカードを健康保険証として利用することが決まったらしい。まだカード持ってない人が半分近くいるようだが、いい加減に諦めて、サッサとカード作れよ!って話である。政府が作れと言ってるのは「必要だから」であって、別に「便利だから」作ったらどう?って話じゃ全くないのである。そこを勘違いしてるのが、一向に広まらない原因かも。
こないだもコロナ新規感染者の情報を、病院側が入力するのに医師が音を上げて文句タラタラだった。結局は全数把握を取り止めにして何とか収めたけれど、やっと都道府県の足並みが揃って、「もうやんなくてもいいから」って決まって実施されたのは、コロナが収束して人々の関心が薄れた頃だって言うんだから笑っちゃうではないか。このドタバタの元凶は岸田政権で、何でも検討ばっかりで役に立たないこと夥しい。支持率も29%とか危険水域をずっと下回っているから、もう長くはないとは思うけど。
まあ愚痴はそこまでにして話を元に戻すと、政府はやっと「公的本人確認に全てマイナンバーカードを使う」と発表した。遅すぎる位だがこれが「正しいマイナンバーカード」の使い方である。本人確認というのは、例えばスマホを買うときにあなたが本人かどうか確認する作業のことを言う。これはあなたが書いた○○○○という姓名と、それに紐づいた公的情報が目の前の人物と一致しているかどうかを、販売者がカードに表示されている「写真で照合目視する」ことを言う。
今までは運転免許証が本人確認に使われていたが、この運転免許証をマイナンバーカードに合体することも決まったらしいから、これからはマイナンバーカードを持ってないと色々と生活に不便なことが増えてきて、一気に普及が加速していくことになるんだろうね。まあ予想は付いていたことだが、やっと来たかという感じである。そうなると当然だが「5年更新」とかの問題も出て来ると思う。何にしてもマイナンバーは世界標準の管理制度だから、四の五の言わずに義務化するってのは私は大賛成である。但し私は、マイナンバーを普及するにあたって「マイナンバーから情報を読み出すには、アクセス者もマイナンバーが必要」にすべき、という事を声を大にして言いたい。誰が自分の情報にアクセスしているか、それを知る権利が私にはある。これがセキュリティを維持する絶対条件である。そこまで政府が考えているのかどうか分からないが、これは「マイナンバーカードの基本」だと思う。是非、法制化を望む。
日本人がオギャーと生まれた瞬間から死ぬまで「変わらない番号」を持つことになるわけだが、現在の「戸籍台帳」はどうなっているんだろうか?
さて、日本人の全員がマイナンバーカードは持つってことは、戸籍台帳も「マイナンバーカードで管理する」ってことになる。これは当然の帰結だ。皆んな「分かっているのかな?、分っかんねぇだろうな!」って、これ相当古いギャグである。これから病院にかかる場合は、マイナンバーカードの提示が必要になった。市役所へ住民票の転出を届けるにも「マイナンバーカードの提出」が義務付けられるだろう。何でもマイナンバーカードである。名前の代わりに数字で管理するという「歴史始まって以来の大変革」が始まろうとしているわけだが、これもいつか「なんてことのない日常」になるのかも・・・。
ところでコロナの第8波は来るのかって?、そんなん知らんわ!。興味ないし!
2、脳の役割
我々の脳は身体を動かすために作られた「肝臓などと同じ器官の一つ」である。我々は右に行こうか左に行こうか、脳が決めていると思っているが、実は右か左かは既に何処か別の場所で決められていて、脳は単純に「決まったことを体に伝えている」だけ、という考え方もある。この場合、右か左かというのは一種の比喩で、実際は「ボンヤリとしたある一方向にエネルギーが向かう」といったイメージだろうか。簡単に言えば、アメーバがエサのある方向にジワジワと動いていくイメージである。
人間はそもそも動物の一種であり、エサを食べてセックスして、子育てして眠るだけの生き物に過ぎない。元々我々が「心」と呼ぶような高度な精神の働きは、人間には備わってはいなかったと思われるのだ(今でもあるかどうかは疑問だが)。例えば身体が何もせず休んでいる時には、脳はそれまでに得た情報を整理し取捨選択して、明日以降の活動に備えている。それが人類の進化に伴って脳自体が肥大化して複雑になり、過去から未来まで「多くの事」を考えるようになった。今、多くの事と書いたが、その大部分は現実の人生にとって「起きる可能性が殆ど無い、大した意味の無い事柄」である。ただ、可能性がゼロではないということで、脳は無意識に想像してしまうだけなのだ。これは、脳が発達し過ぎたせいだと私は思っている。
そして想像したことについて、時として「感情を揺さぶられる」場合が出て来る。これがいわゆる「心」と呼ばれる部類の脳の働きだ。愛だとか思いやりだとか、憐憫の情とか繋がりだとか、色々と呼び方はあるだろうが要するに、具体的な行動に直接結びつかない「脳の働き」の事である。喜怒哀楽は動物になく人間だけが持っている感情だと言われるが、実は「量が違うだけ」で質的には動物も人と同じように持っているという研究結果も出ているようだ。
考えてみれば人間は、実際に起きてもいないことにも想像上の反応をしてしまうことから、年がら年中「空想の中」に生きている動物だとも言える。心の動きは基本的には「行動を促すための動機付け」であり、それ以上でも以下でも無いというのが真実なのだ。そしてシナプスの発現の組み合わせにより作り出された電気信号はそれぞれがリンクした体の器官に命令が伝えられて、意図した筋肉の動きを実行する。或いは感覚器官が脳の働きを再現することで、涙を流したりゾッと身震いしたりするのだ。すべて自動化された化学的反応である。
うまり、心というものが人間だけに特別に備わっているわけでは無く、もしこういう状況になったら云々・・・というシチュエーションを勝手に作り出して、次から次へと脳がフル活動しているだけである。まとめると「次にどんな行動をするか?」という思考の連続が、脳の働きつまり「こころ」なのである。だから、現実だけを見ている人つまり「究極のリアリスト」は、他人から「心のない人」と言われたりするのだ。最近頻発しているキレやすい年配者というのも、ただ単に「自己最適化の結果」に過ぎないとも言える。ただ、その思考のロジックが現実社会に合わないだけで、それが他人から見ると「心無い行動」に見えたりする。
本人にすれば「心無い行動ってオマエ言うけど、じゃあ『どうせい』っちゅーねん?」という訳である。心ではなく、オジサンの頭の中の「論理」が間違っているわけだ。常識ある大人は「心して」対応しよう!
3、原発再開へ突っ走る岸田内閣
森本毅郎の「TBSスタンバイ!」で話していたが、岸田政権は「原発再開」に舵を切ったようである。福島の事故も未だに処理できていなくて、「汚染水を海に放出」する閣議決定をしたが各方面から反対の声が起きている。安倍氏の国葬儀とか統一教会とか、コロナとかウクライナの問題が無ければ間違いなく国会で大々的に議論されていたと思うのだが、世間は目の前の円安と物価高に生活を脅かされて、原発問題をそれほど大切だとは考えないように見える。電気代の値上げに隠れて全国の休眠原発を稼働させ、安全基準も大幅に緩和して「背に腹は代えられない」式の論理で突っ走るつもりのようだ。原発は人間には扱えない「悪魔の技術」である。福島で事故が起こり20年たっても未だに「ウラン燃料すら取り出せていない」という現状を政府はどう考えているのか。福島の原子炉は「廃炉の道筋」さえ示せてはいない、人類の生み出した「人類破滅の暴走ガラクタ」なのだ。一旦事故が起これば、もう誰にも止められない悪夢が待っている。現実に福島の事故は「東日本壊滅の一歩手前」まで行っていたのである。それがあの程度で済んでいるのは奇跡と言っても過言ではない。それを骨身に沁みて分かった筈なのに、政府はどうして再び原発に手を出そうとするのか?
原子力委員会は原発の是非を問うのではなく、動かすことを前提にして「安全性を考える機関だ」という詭弁で責任回避した。世も末である。
こっそりとを加速する狂った人間達の短絡思考
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます