明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

今日の視点(27)スカートが無くなる日

2023-10-30 10:29:00 | 今日の話題

最近、女性の服装に「ちょっとした変化」が起きている。二三年前からちらほら目につくようになって来てはいたが、特に今年は大々的に流行しているような感じである。若い人は「スカートじゃなくてズボン」なのだ(昭和なのでつい使っちゃいました、すいません)。で、今時のパンツは元からあるジーンズ風のタイトなデザインのものに加えて、新しく流行って来ているのは「ワイドでルーズなフェミニン・スタイル」である。

勿論ルーズと言ってもウェスト周りはピッタリとフィットしていて、セーターなどは「中に入れる」のがルールだろう。そしてウエストラインは高めで幅があり、女性らしい「腰のくびれを強調する」デザインが今年の特徴である。そして腰周りはそれ程でも無いが足元にかけて「ワイド&フレアー」な感じで流れている。これは「たっぷり」とした優雅な雰囲気で身体を包み、落ち着いた上品さを演出するしくみである。

このデザインは、特にウエストの「キュッ」とくびれた体型の方が私はイメージ的に似合うと思う。さらに言えばそんなに大きくない人でも問題なく着こなせて、使い勝手が抜群に良い。

なおかつ欧米人と比べて「やや脚が短い傾向」にある日本人にとっては、普通の人でも充分スタイリッシュに見えるのが良いですねぇ。むしろ背が高すぎず足も長過ぎなくて、ちょっと「お尻が大きめ」の方がお嬢様感が出て似合うみたい。勿論、脚は太かろうがシシャモだろうがO脚で曲がっていようが、全く関係なく「全員」モデルみたいな気分になれるから、女性にとっては「これ以上ないアイテム」だと私は思っている(何の権利があってそういう評価してるわけ?。爺に褒められても、こちとら全然嬉しくも何とも無いっつーの!)、・・・ガァーン・・・!

まあ一言でいえば、男は「きれい!」と見惚れる服装になっている、と断言できるのだ(マジかよ)。

そう言えば、私の元いた会社は「女性社員の比率」が圧倒的に高く、そのせいかどうか知らないが昔から「パンツスタイルで出社」の女性が多かったように思う。我社は宝飾品を扱っていたのでそれ程でも無かったが、女性の社会進出が叫ばれて久しいと言うのに世の中には未だに「女性の制服はスカート」という感覚の遅れた会社もあるみたいで、誠に嘆かわしい話である。

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さて、ここからは私の持論になるが、もうスカートは、女性の外出着としては「いらない」と思う。

何故かというと過去の日本がそうであったように、社会において努力や我慢をして女性らしさを発揮するよりも、より自由でストレスなく能力を存分に発揮できるほうが「よほど人間的」だと思うからである(良く言った!)。

まず何よりも、これのメリットは「男の側が」余計な感情、つまり痴漢とか性犯罪につながるような衝動を「我慢」しなくても良くなって、逆に「ストレスが減る」ことである。

前に SmartNews で書かれていた話だが、電車に乗っている若い女性の「足が開いていて見えそう」だったのを、おそるおそる気遣いしながら「そっとメモを渡して」注意してあげた、という年配女性の苦労を「一種の美談」として紹介している記事があった。

で、私はこの話を読んで正直「何でズボンを穿かないのかねぇ」と不思議に思ったのである(素直な反応だ)。女性はいつもスカートの中を覗かれないように気を付けるべき、というような年配者からの「女性のたしなみ」を教える教育や「しつけ」などは、男にしてみたら「実にくだらない」習慣だと私は考えている。

女性だって疲れたら「足を投げ出して、楽な格好でリラックスして」座ればいいのではないだろか?

そもそもスカートなんか穿いているから余計な気遣いをしなくてはならないのだと思う。女性であってもズボンを穿いているのが当たり前になっていれば、電車も中で無用な気を使う必要も無いし、この年配の女性だって「心配無用」で過ごせるというものである。

外国ではそのへんは緩やかで、これはインドの話だが、ミニスカートでさっそうと自転車に乗る若い女性を見た日本人がびっくりして隣の男性に「見えちゃうじゃん」と言ったら、彼は「大丈夫だよ、パンツ穿いているから」と答えたそうだ。勿論このパンツは下着のことである。インドではこのように「何でも理論的」なのだ。またアメリカの女子ゴルフツアーでは選手がパッティングのラインを読む時に「足をパッカーンと開いて」丸見えで座っている映像が堂々とテレビに流れている。それでも誰も何とも言わないのがアメリカだが、日本じゃ大変な物議を醸して「はしたない」とSNSで叩かれまくりだろう。

まあそれは民族の習慣もあるから一概に何が正しいとは言えないと思うが、何れにしても「そろそろ男女の区別が必要ない社会」になろうかというこのご時世に、いつまでも「男らしさや女らしさに拘っている」ようでは、先が思いやられると言うもの。まず「女性はスカートを穿くべき」という古めかしい固定観念をもう撤廃して、社会人としての意識の上では「男女である前に、まず人間であれ」という感覚を持てるようにしたいものである。

で、私の提案は・・・

a. 子供は基本「全員ズボン」で、男女の区別は無し
b. 成人後も「屋外では」男女ともズボンを着用を義務付ける(夏季の半ズボン・短パンは問題無し)
c. スポーツウェアも同様に、スカートは無しとする
d. 室内及び風俗店などでは、原則自由とする(スカートを穿きたい場合は、室内で着替える)
e. 違反者は条例違反金を払う

以上。これが私の「スカート無用論」です。

つまり「女の子はスカート」と信じて疑わなかったのは昭和世代の頃までの話であり、これから生まれて来る女の子は「ズボン」で育つ新世代として新しい人生を歩む事になるわけだ。さらには彼女らの子供達が同じようにズボンを違和感なく穿いて生活するようになる50年後にはスカートを穿いていた記憶がある女性はいなくなり、スカートはもはや「古代日本の民族衣装」となってうやうやしく博物館に展示されている、となるかもね・・・。

要するに現代の常識は「未来の非常識」だ、と言う事である。スカートは百害あって一利無し。ズボンを穿いていても「綺麗な人はキレイ」ですから!

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さてそうなるとスカート特にミニを穿いている女性は男から見ると「ワザと危なっかしい雰囲気を出して」誘っていることなる。健全な男性には「いい迷惑」なのだ。現状は女性が街中でいくら露出が多い服を着ていても、だからと言って「何が起きる訳じゃ無い」のだから「ただただ無用なだけ」なのである。まあどんな服を着ようと本人の勝手と言われればそれまでだが、嫌でも「見させられる」こっちの苦労も、少しは理解して貰いたいものである。そもそも性衝動は男の種族保存本能だから、相手が美しかろうが美しく無かろうが関係なく、チャンスがあったら止められないのだ(腹が空いていれば何を食べるかなど気にする人はいないのと同じ)。

ちょっと前にDJSODAとか言う韓国の芸能人が、観客席のフェンスによじ登った時に性被害遭った、と訴えた事件が記憶に新しい。まあ、条例に引っ掛からなければ何を着てても自由だが、腹を空かしたライオンの檻に「自ら扉を開けて」入ったりしたら、そりゃあ食われてしまうのは当然だろう。ライオンに「食べたら犯罪だよ?」と言ったって、所詮どこ吹く風なのだ。怪しげな興行の世界では、こういう時の為に注意を呼び掛ける常套句があるそうだ。

曰く、「踊り子の衣装には、手を触れないようにお願い致します!」

である。昔から観客の心理は変わらない、という事か。夢ゆめ客は「聖人君子ばかり」と思う無かれ・・・これ、男性一般に言えることである。だから女子は「スカートをやめてズボンを穿く」べし!(私の渾身の提言でした)



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