明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ネットで見つけた時間を無駄にしない11の方法

2017-12-08 22:00:00 | 今日の話題
今日ネットで遊んでいたら「気付かないうちに貴重な時間を無駄にする11の小さな習慣」というコラムが目に入った。面白そうなのでちょっと書いてみたい。

1 自分の目標を他人に話して回る
目標を話すことは、目標を達成したときの喜びを予想することである。この時に脳は一瞬、達成した瞬間をイメージしてしまい、喜びを「実際に感じて」しまうのだという。これを繰り返していると、達成していないのに達成してしまったかのごとく「脳が勘違いする」ことになる。これが目標へのモチベーションを低下させることになるのだ。解決策は1度決めたことは「Just do it」あるのみだとのこと。これは1理ある。確かに誰かに目標を話している間は、全然目標達成の為の行動を取っていないことははっきりしている。だが時折誰かに話していないと「目標が何処かに飛んでいって消えて無くなってしまいそう」な雰囲気というのは正直ある。それは目標と言うより「出来たらいいな」程度の夢のようなものである。本当の目標とは、実際に達成するために必要な事を一つ一つ着実にこなしていく「行動そのものの中のワンステップ」を言うのだろう。だとすれば「奈良に住みたい」という漠然とした気持ちは、とても目標とは言えない。奈良に住んで何をするのか?という「次のステップ」が私の中でぐらついているのだ。平安古典文学と和歌全般の鑑賞を「実体験として再確認する」というのが一応の理由だが、その「文学そのもの」に余り興味がなくなっているのだ。もともと文学の才能が希薄なところへ持ってきて、文字を読む力が相当落ちてきてしまったのもこの傾向に拍車をかけている。やはり私には「ライバル」の存在が不可欠なのだろうか、最後はやはり「友人」なのかもしれない。つまり「目標を話している間が花」ということか。こりゃ、相当ヤバイ状態だ。

2 メモを取らない
忙しいからと言ってメモを取らない人がいるが、自分を管理する為には「記録を取る必要がある」とのこと。ビル・ゲイツやリチャード・ブランソンといった多くの成功者が実践しているという。私は「百年日記」というアプリを2009年からつけていて、もうかれこれ9年位続けている。その前は1年毎の日記帳に書いていたのだが、このアプリにしてから一切の不満が解消して「満足して」書いている。毎年同じ日を縦に並べて「同じ日に何を思ったか、年ごとに比較できる」のがミソである。クラウドにも対応していて、スマホを変えても「継続して書き続けられる」のがとても便利だ。まあ書いている内容は何時に起きたかとかゴルフの練習場に行ったとか酒は何が美味かったとか、どうでもいい事ばかりではあるがたまに「北朝鮮がミサイルを発射した」とかも書いてある。しかし日記の良い点は「超個人的な事を書ける」ことだ。体重が何キロになったとか、病院の女医さんが意外と綺麗だとか、自転車でコケたとか、案外そういうことが後から読むと「懐かしかったりする」ものである。今日の日記を書いていたら、2年前のこと「相模大野で絶世の美女を見た」顛末と「ほぼストーカーまがいの付き纏い行為」を詳細に書いてあった。実際はコンビニに入っていく彼女の後をつけて私もコンビニに入っただけなのだが、「気持ちは完全にストーカーである」。こういうハレンチ行為みたいなことも誰に気兼ねすることなく書けるというのが、日記のいいところではないだろうか。要は日記にあんまり有用な価値を求めてはいけない、ということである。何事もなかった、というのが、日記としては最高である。

3 優先順位をつけない
これは一日のうちで「やるべきことが一杯ある人」が注意することであり、我々のように「朝起きてテレビの番組表を隈なく眺めて予約すること」以外には、これと言って用事のない人にとっては意味のないことである。私はスマホの待ち受け画面に「やるべき事」を貼り付けて思い出すようにしているが、ほぼそのメモを見ることなく用事が足りてしまうので余り役に立っているとは言い難い。この前「口座の振込金額」を正確に書いておいたら非常に役に立った、ことぐらいである。優先順位をつけなきゃならないほど「やる事が一杯ある」人生は、ちょっと見にはとても充実しているように見えるが、私はどっちかというと何もしなくてボーッとしてる方が性に合ってるみたいで好きである。といっても田舎の老人たちのように、日当たりの良い道端に座ってタバコを吸いながら無駄話に時間を費やして終わる人生というのも、「ちょっと寂しい」気がする。要は「ほどほど」という事だろうか。

4 燃え尽き症候群
なった事がないので分からないが、大変なんだろうな。勿論どう大変なのかも分からない訳で、精神が崩壊する場合もあるらしいから無闇にコメントを書くのもどうかと思うけど、我々凡人には理解できないことなんである。これを読んでいるほど暇な人には「燃え尽き症候群」なんかいるとは思えないから結局、この章は「いらない」のじゃない?

5 完璧主義
「完璧は善の敵」だそうだ。ちょっと抜けてる所があるぐらいのほうが、人に好かれる秘訣でもある。これを少し理論で解釈すれば、優先順位の高いものほど一生懸命やり、そうでないものは適当にやる、と言うことだろうか。言われなくてもやってるよ、とお叱りの言葉を頂戴しそうだが、こと上司の命令となれば「理屈通りにやれない」のが宮仕えの難しさ。やたらに要求の多いのが上司の悪いところである。曰く「昔の俺ならもっとやれたがな・・・」。

6 カエルを食べない
これは有名なマーク・トウェインの説だそうだ。つまり「朝一番に生きたカエルを食べたら、その日はそれ以上に悪いことなど起きない」という逆説らしい。突飛な考えのようだが実は非常に生産的な方法であるという。勿論カエルを食べるというのは比喩であるが、まず嫌なことから片付けるというのは、精神的にポジティブな生き方だそうだ。そういえば、目の前の料理をどんな順番で食べるのかということでは、私は「好きなものを最後に食べる」方である。兄弟が多くて人より先に食べなくては食いっぱぐれるという環境に育った人には気の毒であるが。やはりどう考えても「最後に美味しいものが待っている」というのは、何にも増して気分が高揚する。次々と出て来るものを後先考えずに食べて満腹になってしまい、最後にと取っといた品までたどり着けないという食い意地の張ったデブには「順番なんかどうでもいい」話であって、そういう人とは一緒に食事をする気に到底なれないですね。私はもう少し上品な方のほうが合ってるので、悪しからず。

7 ゴールを設定しない
日々の行動について、いつも「ゴールを設定する」というのが大事だと言う話。当たり前と言っちゃえば、そうである。どうもこの「11の事」は、書いている人はそれぞれ高名な成功者であるが、コラムとして11にして書いている人は「大してロクな人じゃない」と私は思った。実際答えの一つ一つを取ってみれば、当たり前のことを言っているのに過ぎない。いわば「時間を無駄にしている人」の性癖を11個並べて啓蒙しようとする文章のようだが、どうもこれを読んでいると「こんなコラムを読んでいること自体が時間を無駄にしているような気になって来るから不思議」である。自分のやっていることが実は無駄のオンパレードだ、というのは社会の色々な場面でしょっちゅう出くわすことなのだ。きょうも常磐線の人身事故で電車が遅れ、30分の距離を1時間半かけて会社に行った。そんな時に車内で待っていると、「前の駅に電車が止まっているので、それが出たら当車両も動きます」というアナウンスが放送された。車掌はこの手のアナウンスが「乗客の気持ちをひどく逆なでする」とは思っていないのだろうか。乗客は「なぜ前の駅で止まっている電車が発車しないのか?」を知りたいのである。つまり「動かない根本原因」あるいは「動くために必要な処置を行っているために後何分ぐらいかかるか」を知りたいのだ。他のことは結果引き起こされた「従属的事象」に過ぎない。まあ車掌はマニュアル通りアナウンスしているだけで、内容を云々する権限はないのだろうがそれにしても子供の使いじゃあるまいし、と我々乗客は思ってしまう。乗客による駅員暴行が時々ニュースになるが、事故の遅延時の説明には「もう少し配慮をしてくれないものか」と苦言を呈したい。何しろ YouTube や Twitter でリアルな情報が発信される時代である。事故の詳細は別にして、事故処理の進展具合ぐらいは「即座にアナウンス」してほしいと思うのだがわかんないかなぁ。

8 絶対にノーと言わない
私はB型なので周りの空気を読まないで顰蹙を買う場合が多い。だからイエスマンという官公庁では必須の「忖度」が全然出来なくて今に至っている。それで別に困っている訳でもないから気楽なものというばそうであるが、日常的にイエスマンを演じている人達にしてみれば、死活問題であろう。これを脱するには「自分が忖度される側になる」ことしか道はないのだから、人生辛いことこの上無しなのだろう、ご愁傷様。自分で選んだ道なのであるから、森友学園問題の佐川事務次官のように「忖度と言い逃れ・誤魔化し」で出世階段を上り詰めた人には、他人に言えない「辛い事」が山ほどあるのではないかと想像するのである。だから「安倍首相に媚びへつらって、ご褒美でなった事務次官」として生涯の目標が叶った今にしてみれば、佐川さんも今までの苦労が報われて「嬉し涙を流して喜んだ」であろう。けだし公務員の「本懐」である。但し、世間の物笑いになってまで欲しい役職かと言われれば、私は「ノー」と言わざるを得ないのだが。

9 締め切りを無視する
締め切りを守るって、簡単に出来ることじゃないと思うけどどうなんだろう。時間があっても達成できないことは世間では良くあることだ。私も展示会前日にプログラムが動かなくて、朝までパソコンと格闘したことが何回もある。幸い私は結果的に全部乗り越えて「失敗しない男」としてキャリアを全うできたわけだが(これ、自慢)、よく夜中の2時頃に外階段の「タバコ」スペースで「必死になって解決策を練っていた」ものだ。考え事が煮詰まってなかなか思うように答えを見つけられない時には、タバコというのは「良いアイディアを生む」ことが往往にしてよくある。今はタバコを止めて5年ほどになるが、80歳位になってガンの心配がなくなったら、正直また吸ってみたい気持ちが残っている。タバコは脳が覚えている中毒症状であるから、吸ったことがない人にはその気持ちが分からないのである。例えば車を運転していると「どうしてもタバコが吸いたくなる」と言う気分は、喫茶店で何するでもなくタバコの煙をふかしてボーッとしている気分と共通して「現実逃避の世界に遊ぶ」ツールなのである。だから時間に追われて締め切りを無視したくなる悪魔の瞬間も、一本のタバコがあればなんとか乗り越えられると言う気が今でもするのだろう。今思いついたことだが世の自殺願望者の多くは、「タバコを吸わない」人達ではないだろうか。これは単なる憶測に過ぎないが、案外当たっているようにも思えるのだ。ビルのてっぺんから飛び降りる前に「一服吸っていれば」、思い直すことだってあると思うのだが。

10 物事を先延ばしする
6番目のチェック項目で、嫌なものは最初に片付けると書いてある。ここで「そういう場合は自らの感情を書き出すことで自分を鎮める」ことが出来ると書いている。この「自分の感情を自分で検証する」方法は、私が頭にくることに出くわした時に良くやる方法である。自分はとにかく腹が立っているが、「何故そんなに腹が立っているか、自分の方が正しいと理論的に説明すること」は意外と難しい。そんな難しい事をやろうとしている間に、怒りは徐々に「収まってしまうもの」なのだ。怒りは「該当する対象者が反応する事によって」倍加する。つまり「火に油を注ぐ」である。これは逆に言えば「火種が無ければ、いずれ消えてしまう」とも言える。だから人間と人間の争いを、理論的な思考に置き換えて「無機的考察」に変えてしまうのだ。思考の中に感情のつけ入る隙きが無ければ、怒りも矛先を見つけられなくて何処かに消えてしまうほかないではないか。私はこの方法を覚えてからは、いつまでも怒りの感情に悩まされることが無くなったのである。

11 同時に複数のことをする
「同時に複数の仕事をこなす能力がある人は、2%に過ぎない」とフォーブス誌には載っているそうだ。それはそうであろう、同時にというのは実際にやってみると「少し複雑なことは全然無理である」。普通の人に出来ることはせいぜい新聞を読みながらパンを食べる程度のことであろう。別に「同時に」と言わなくたって、誰にもできる。だが仕事となるとどうだろうか。「考えること」というのは1つには数えないことすると、正味な話、無理なのではないだろうか。であれば「聖徳太子のようにいくつものことを一遍に処理する」というスーパーマンは、この世には実在しないことになる。同時にやっているように見えても、切り替えている速度が単に早いだけでなのだ。つまり同時並行に処理しているように見えて結局は別々に処理しているのだから、はっきり分けて処理する方が断然効率もいいし速度も早いというわけだ。コンピュータの並列処理というのも、「余って使ってない能力をフル回転させるにはどうするか」という発想から出来た処理ロジックなのである。細心の注意を払って精密加工をしているとき、同時に、裁判の口頭弁論を説得力溢れる言葉で巧みにこなす、なんてことは不可能なんである。人間の目や耳は一個しかないのだ。2つのことを同時にやろうと思えば、一つ一つが疎かになるのもやむを得ない。だから教訓、何事も集中すること、である。
以上。

これはビジネスインサイダーというサイトに書かれていたもので、原文は英語である。しかし最後まで読んでみて感じたことは、結局「大したことは書いてなくて時間の無駄だった」ことである、ああアホくさ。

所詮ネットニュースサイトなどに書いてあるこの手の文章は、「暇な時、時間つぶしに」読むのが丁度いい。言い換えれば「中身はキャッチーな面白いもの」で十分であり、重たい内容では逆に読むほうが困るのではないだろうか。それに比べて私のブログなどは「軽いタッチの旅レポもの」が意外と好評だとばっかり思っていたが、自分としては割りと真剣に書いているものも読まれているようなので、読者の方々の中には案外と「ディープ」なファンがいるのだな、と心強い限りである。で、今回はその軽いほうを書いたものなので、お酒でも飲みながら気楽に読んでいただければ幸いだと思っています。

なお、ついでですが、酒はそろそろ熱燗が恋しい季節ですねぇ。

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