明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

雑談倶楽部(96)欧陽菲菲に青春の日々を懐かしむ

2025-01-14 15:00:00 | 今日の話題

1、昭和バブル
昨日テレビで懐かしのヒット100曲をやっていた。番組自体はどうってことない「あの頃の自分」を思い出して感慨にふけるというコンセプトの作りだが、歌より何よりスタジオに登場してた五木ひろしの劣化に超ビックリである。ネットで調べたら76歳というので2度ビックリ、私とそれ程変わらないじゃないの!。まあ身体の動きは年相応みたいだが、元々小さい目が眼窩が落ち込んで「モロ老人顔」なっているのが痛い。何だかなぁと落ち込んだが私はまだそれ程じゃないので一安心する。色んな人が昔の映像で登場するが、欧陽菲菲の懐かし映像を見た時には一気に若い頃の思い出が甦ってきて、そう言えば私にも「夜の世界に憧れた時期」があったなぁ〜、などとしばらく思い出に浸ってしまった。そう、あの頃は私も若くて輝いていたよな・・・なんてね、老人あるあるです。

2、京都人の性格
京都人独特の裏表のある言い方にあんまり良い印象を持っていない人が多いのでは?。例えば来客があってお昼近くになっても帰らない場合に「ぶぶ漬けでもどうです?」と言って、暗に「もうお昼だから帰ってよ」という気持ちをそれとなく伝えるらしいのである。「もう昼だから帰ってよ」という気持ちをそのまんま言うと角が立つので、こちら側の気持ちを表に出さずに、あえて相手に自分から気付くように仕向けて上手に帰って貰う、というのが京都のコミュニケーションらしい。

これは京都が公家文化が長く、世の中が武士政権に変わった後も何とか「天皇の都」というプライドを保ちながら、実際には野蛮な武士の下でいやいや生きて行くための「生活の知恵」からきた生き残り術なのではないだろうか。たとえ相手が物事を知らない無作法な態度であっても真っ向からそれを指摘すると見下したように取られるので、表面は相手を立てて言い方を変え、自然と相手の方から気付くように持って行く。これを京都人は「相手に恥をかかさないための思いやり」と考えているようである(それがそもそも思い上がった考えなのだが京都人は分からないみたい)。

しかし今の時代、いつまでも「京都は千年の都」という考えはそろそろ捨てたほうがいいんじゃない?、と私などは思ってしまう。少なくとも今、京都に生活している人がそういう差別意識(=自分達は伝統と格式に生きる都人であり、無粋な大阪商人や野蛮な関東武士といった連中とは生まれも育ちも違う、という考え)を持っているのは時代錯誤じゃないかと思う。

京都の歴史は確かに素晴らしいが、今の京都人は別に「ただの普通の日本人」なのだ。それを如何にも自分達が作り上げたように誇らしげに自慢されると「それは違うだろう!」って言いたくなる。で私の提案は「京都の博物館化」である。京都の歴史的な行事やしきたり風物とか建物はしっかりと保存し、現在実際に京都に住んでいる市民は全員「学芸員」として観光客に紹介説明する公務員となってもらう、と言うもの。

思い上がった京都人をギャフンと言わせ、もうちょっと他人に「素直にフレンドリーに接する」ように意識を変えて貰うには打ってつけの方法ではないだろうか。これ、すごく良いアイディアだと思うけどどうでしょう?

3、AIの使い方
テレビを見ていてふと気が付いたのだが、AIに最適な使い方は「教師」じゃないだろうか。例えば外国語の勉強など、生身の人間が一人ひとりの生徒の進捗状態に合わせて指導するのは人数的にも費用的にも限界がある。そこで「AIによるマンツーマン指導」の登場だ。もう外国語はすべてAIで決まりでしょう(実際にスマホで勉強というスタイルが浸透しているようである)。そしてどんどん他の分野でもAI指導員を増やして行くわけです。私は学校における先生の勤務が過酷でなり手がいない、等という話を聞くたびに「AIにすれば良いのにな」と思ってしまいます。今からAI作りに取り組めば、5年もしたら小中高は全部AIでバッチリ!、ってなるかも。



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