明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

デジタル弱者の戦い(14)今時の若者事情とSNS・・・前編

2024-01-24 16:01:00 | 今日の話題

昔誰が言ったのか覚えていないが、「書を捨てて街に出よう」と言う言葉が若者の間で流行った事がある。覚えている人もまだ多いと思うが、今私の年齢も73歳を超えて、この言葉は「テレビを捨てて街に出よう!」に代わろうとしているようだ(ホントかなぁ)。そう、若さを保つためには家に籠っていてはダメなのだ。

という事で、今年は外に出る事を日課とするつもりです(いつもの通り実行するかどうかは神のみぞ知る)。だが、用も無いのに外に出かけるのはどうにも億劫である(これがそもそもの間違いなのだが)。それに年金生活をしているせいか、私自身働かなくてもいい環境なので「全く用事がなく」暇なのだ。そこで朝からテレビ漬け生活に陥るという仕組みになっている。図解すれば(しなくてもいいが)、朝起きてもすることがない → ついついテレビを見る → 他にする事がないからずーっと見る → 一日中座りっぱなしになる → 運動不足 → 体が疲れてないから夜ふかしする → 朝遅くなる → ボーっとして起きるから出かける気力がない → ついついテレビを点けてしまう・・・ の繰り返しである。

これじゃ「寝たきり老人」一直線じゃあないですか。じゃあどうする、どうする家康?(もう終わった番組をいつまでやってる?。それに全然受けてないし・・・。まあ、主役だった松潤がなんかSNSで炎上してたらしいから、もうやめた方がいいかも)。つまり八方塞がりです。何かいい手はないですかね?

振り返れば現代に生きる普通の人間として、テレビを止めるという選択肢はない気がする(そこが現代の若者と我々昭和世代との一番の違いかも)。それに我々にすれば面白い番組があるのにエンタメを見ないというのは勿体ないし、だからテレビは「必要に応じて見る」で良いんじゃないかって思うのだ。ただ、殆どこれと言った理由もなく「のんべんだらりと椅子に座って」一日中見続けているのが良くないのでは・・・と思う。まだ若いうちは仕事があるし友達と遊ぶほうが楽しいからそれほどテレビを必要とはしなかも知れないが、今の自分の状況を考えるとこのまま同じような生活を続けていてはダメになるんじゃないかと不安になってきたのも事実である。いずれ自分というものが無くなって、「画面をぼんやり眺めているだけの介護老人」となってしまいそう・・・そうなる日はもうそこまで来ているかも?、なのだ。

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昔まだ脳梗塞で会社を辞める前のことだが、会社の若い後輩から「〇〇さんって、家に帰ったらすぐテレビつけるほうですよね?」と言われた事があった。「何言ってんの、オレは違うよ!」と即座に強く否定したが、周囲にいる人達からはちょっと笑いが漏れたように感じた。彼の見立てはズバリ当たっていたのだ。だが面と向かって指摘されるとムカついて反論したくなる(無駄な抵抗です)。

歴史を紐解けば情報を得る手段としては「戦前の世代」は皆んな必ず「新聞」を読んでいた。それしか無かったというよりは「それが最も進んだ方法」だったのである。次にはそれに取って代わって「テレビ」が登場した。戦後生まれの団塊の世代は「誰もがテレビを生活の一部」と思っていて、むしろテレビを中心とした生活が「新しい未来」の象徴だったのである。それから冷蔵庫や掃除機やエアコンや洗濯機といった電化製品が続々と身の回りに増えて行っても、テレビは相変わらず家の中心にあって「新聞の代わり」の情報の窓口としての地位は、微動だにしなかったと思っている。テレビはそれまでの、新聞という紙媒体の「伝達」の世界から全く新しい「リアル」の世界を我々にもたらしてくれた(勿論、事実を伝えるという中身は変わってない)。

私がまだ幼稚園の頃は「冬は火鉢と炬燵」のアナログであり、冷蔵庫もテレビも洗濯機も言ってみれば「何も無かった」と思う(記憶は無い)。小学校の頃は九州の大分に引っ越して、昼は外で野原を駆けずり回って洞窟探検やチャンバラごっこをして遊び、太陽が落ちると家に帰ってご飯を食べて寝るだけ、そういう生活が当たり前だった(その分母親は大変である)。そして年に一度の正月というと凧揚げや独楽回しを楽しむ「素朴な田舎育ち」の子供だった。それが私の「昭和」である(なんか懐かしいなぁ)。

ところが今の若い世代は「スマホとSNSとゲーム」の時代に生きている。まるで別世界である。

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ちなみに余談だが、私は人生で新聞を取った事が一回もない。テレビが「新聞の代わり」だった。テレビは新聞と違って情報が速いし、映像で「情報量は格段に増えて」いた。それに無料である(情報にお金を払うという考えはなかったのが一番かも)。そしてそれと同じことが今「世代交代と共に起きた」という訳です。それがネットだった。世の中でどんな事が起きているか横断的に眺めるのはテレビで見て、興味のある事はネットを調べ「詳しい情報を得る」スタイルが定着したのである。確かにコンピュータが個人の生活に普及してもそれは単に「凄い事務用品」の認識であり、相変わらず日常生活は昭和のまま「テレビとネットの併用」で変わることはなかったように思う。ところが最近は身の回りの全てが電気で動いていて、何でもかんでもデジタル・デジタルになってきた。そしていよいよテレビという「生活の中心」が、「スマホとSNSとサブスク配信」に取って代わろうとしていると言うわけだ。いや、もう既に「変わっている」と言えるのじゃないか?

情報は戦後「新聞からテレビ」へと大きく変わったが、それは媒体の変化と言ってもいいレベルである。それがネットに変わって「情報の多様化」は進んだが、相変わらず限られた発信元が作成して与える情報を「我々は検索して読む」ことには変わりはないのである。ところが今や「情報の送り手」であった新聞社やテレビ局は後ろに引っ込んでしまい、情報は与えられるものではなくて「自らが発信する」時代に大きく変化したのである(誰もが現場を生々しく伝える「一次ニュース」の発信者となった)。

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若い世代は自分と同じような志向の人間つまり「仲間」からしか情報を得ようとしない。ニュースは「X」で知り、エンタメは個人がやる面白芸を「 Instagram や YouTube や TickTock 」で楽しむのが主流であり、買い物は「メルカリ」・食事は「ウーバー」で、仕事が終われば「仲間とオンラインゲーム」で盛り上がるという完全な「個人中心の生き方」である。もう身の回りの全てのことが「個人的な世界」として完結していると言っても良い。実際、彼らは「子供の時からそういう世界で育って来た」のである(これが衝撃です)。これは人類にとって「相当に大きな変化」と言って良いんじゃないか?。私はそう考えています。

昔は村社会といって田舎辺りではいまでもそうらしいが、そこでは個人という存在は許されなく、常に村とか親戚や家族というものが「何から何まで干渉してくる社会」であった。それが都会生活が一般的になって核家族化が進み、例えばマンションで隣に住んでいる人の名前も知らないということが当たり前になってくるにつれ、徐々に「社会という存在」が日常から薄れて来てしまったのである。つまり我々昭和世代は良くも悪しくも、いつも社会という「大人達が作り上げた一つの規範」の中でそれと戦いながら暮らしていた。情報もその中で「一方的」に流れて来て、それを上部世界の現状として「自分達がどう活かしていくか」をひたすら考えていたように思う。

だが今は社会とか規範とかそういう世界は中心では無くなって、常に生活が「仲間内の交流」で完結しているのである。自分達と関係ないことは最初っから知ろうとしないし、そもそもSNSはそういう「外部情報とは無縁」のものなのである。ではそれでは子供の世界のように「生活の範囲が狭いのか」と言うと、実はサンフランシスコやロンドンやチリの友達と普通に交流している、という風に「とんでも無くピンポイントでグローバル」でもあるのだ。そして、それらグローバルな拠点から発信された情報は、無秩序で整理されていない玉石混交でリアルであるから、要するに「仲間内の発信する内容」がそのままストレートに日常的に身の回りに溢れている状況、それが現実となっている。傍から見れば統一した価値観の無いカオスな世界だが、それはそれで「中に入ってしまえば」全く別世界であり、彼らだけの空間が広がっている・・・のだと思う。これはこれで一つのバーチャルな空間を共有している仲間・ソサエティなのだろう。もはや社会は一つではない。

そしてスマホとSNSが、それを可能にしている。

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だらだらと取り留めも無く雑談みたいに書いてしまいましたが、次回はもうちょっと論理的に考察して書こうと思います。

(続く)



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