伊調馨のパワハラ問題で大もめに揉めているレスリング協会だが、その渦中の栄和人氏が心身衰弱で日常生活がままならないという。本人にとっては深刻な症状だろうが「あの強面の顔」からは想像できない「ヤワ」な心臓には、少なからず「失笑を禁じ得ない」ネットユーザーも多かったのではないだろうか。海外のMeToo運動など、世界的に表舞台で取り沙汰されるパワハラ・セクハラ問題だが、話題になったアメリカのプロデューサーなどは「れっきとした裁判」で決着がつき、刑期も何十年という重いものだったと記憶している(ちょっとあやふやだが)。今回の伊調馨の問題がどうなのか正確には比べられないが、告発という手段を取ったというのは「既にレスリング協会の問題」ではなく、司法の手に委ねるべきではないだろうか、というのが私の主張である。
先般の相撲協会の時もそうだったが、どうもスポーツの世界は(スポーツに限らないが)閉鎖的で、「何でも内輪で処理」しようという傾向があるようだ。人間が集まる組織において特に体育会系と言われる会社や部署では「上下関係や礼儀作法」にうるさく、部下や後輩の権利意識も希薄で「ついつい」パワハラが横行しやすい環境になってしまうのは致し方がない。レスリング協会も華やかなメダルラッシュの裏側で「おぞましい人間のドラマ」が繰り広げられていたのかと思うと、手放しで喜んでばかりはいられないのではないだろうか。
ニュースで見る限りだが、協会は「第三者機関」に聴取させるつもりのようだ。こういう問題の時に必ず出てくる「第三者機関」であるが、殆ど「協会(というか訴えられている側)の意向に沿った人選」が行われるのが実情だ。広範な社会の批判を何とか「かわそう」として、第三者による聴取という「クリーンな立場」の人による「公正・中立な判断」を求めている筈なのに、その5人のうち4人までが「協会関係者」というのでは、告発した本人も「気がきではない」だろう。選手が練習できる環境を阻害した云々と言われている問題だが、栄強化本部長のやってることは「そんな生易しい問題ではない」ようである。心身衰弱になるくらい「ビビっている」というのだから、「犯罪まがい」の事案がボロボロ出てくる可能性も否定できないのではないか。
私は思うのだが、こういう事が起こる度に「マスコミで大騒ぎ」するのを止められないものだろうか。一つの提案は「何でもかんでも裁判する」という方法である。犬が小便したといっては裁判し、猫がサンマを取ったと言っては警察沙汰にしてしまうのである。コストはかかっても「法律で決着をつける習慣」が人々の間に定着すれば、感情的になって人間関係がギクシャクすることもなく白黒ハッキリするのだから、世の中の多くのトラブルが「綺麗さっぱり解決され」余程暮らしやすい環境になるのではないだろうか。パワハラ・セクハラも「全部裁判で白日の元にさらされる」ことになれば、相当自制心のブレーキがかかると思うのだがどうだろう。但し、告発する方もされる方も「裁判を信頼して法の決定に従う」気持ちがなければ、余計こじれるばかりで「解決には至らない」のは明らかである。
どうも日本人は「まあまあ、お互い恨みっこ無しで仲良くやろうよ」という曖昧な手打ちを好む国民性であるから「白黒決着する欧米式の裁判」はあまり馴染まないのかもしれないが、法律に則った「第三者」という立場を正確に把握していれば、両者の陳述を公平に判断しパワハラかどうかの決定をすることが出来るのは「裁判官だけ」だということが分かるであろう。今の裁判官の人数を5倍ぐらいに増やし、「社会的弱者をハラスメントから救う」ことが日常的に行われるようになって「誰も騒ぎ立てないくらい普通のこと」に思われるようになったら、それはそれで「一つの成功」ではないだろうか。このようなハラスメントは「立証」が難しいということらしいが、周り中が「ハラスメントだらけ」になれば「被害者も精神的に楽に」なれるし、加害者も「自分の非を反省する」事が出来て社会的に更生するチャンスが「もっと増える」のではないだろうか。軽いセクハラなどの罪は「自覚無くやっている」人も多いので、「とことんやってしまう」前に裁判でNOと突きつけられれば、大事にならなくて当人にとっても助かると思うのだ。要は「嫌だ」と思ったら、すぐに「裁判する」のである。勝っても負けても裁判の結果を受け入れることで「後腐れ無く」解決出来るのだ。日本人も「笑って裁判できる」ような強いメンタリティというか「裁判慣れ」してくるようになれば、こういう事件のニュースバリューもなくなると思うのである。
まあとにかくレスリング協会は「栄強化本部長のパワハラ事件」から手を引いて、司直の手に委ねるのが正解である。協会自身の「抜本的改革」は、後からじっくり選手も交えて考えればいいのだ。
一般に選手とコーチの関係の問題は、「他人が分からないところで起きる」のが常である。そして常に「コーチがやり過ぎてしまう」ことで問題が起きる。最初が蜜月関係のようでも、いつのまにか「二人の関係がギクシャクしてきて」おかしくなる。多くは「選手が成長して独り立ち」することで、その関係は「卒業」となるようだ。昔マラソンのキューちゃんがコーチの小出監督から離れて独立するというニュースがあった。二人の師弟関係は永遠に続くかと思っていたファンを驚かせたものだったが、選手は独りになって「自分の力を試してみたくなるもの」なのではないだろうか。ゴルフのタイガー・ウッズもブッチ・ハーモンと別れてから色々とコーチを変えているが、上手く行ったのかどうか「別の問題が起きてしまって」分からずじまいであるのは残念である。だが、いずれは別れなければならない関係が「師弟関係」なのかもしれない。
今となっては伊調馨選手も独り立ちして、栄コーチの事はすっかり忘れてしまいたいであろう。こうなる前に「協会の誰かが自分の生活を投げ打ってでも栄コーチを諌める」ことが出来ていたら、その時は「堂々とレスリング協会の存在意義」を宣言出来たと思うのである。ことここに至っては、協会をも解体するぐらいの真剣さで持って「問題の解決」に突き進んでもらいたいものである。それが出来なければ、オリンピックのメダル争いも陳腐なものに見えてくるであろう。
先般の相撲協会の時もそうだったが、どうもスポーツの世界は(スポーツに限らないが)閉鎖的で、「何でも内輪で処理」しようという傾向があるようだ。人間が集まる組織において特に体育会系と言われる会社や部署では「上下関係や礼儀作法」にうるさく、部下や後輩の権利意識も希薄で「ついつい」パワハラが横行しやすい環境になってしまうのは致し方がない。レスリング協会も華やかなメダルラッシュの裏側で「おぞましい人間のドラマ」が繰り広げられていたのかと思うと、手放しで喜んでばかりはいられないのではないだろうか。
ニュースで見る限りだが、協会は「第三者機関」に聴取させるつもりのようだ。こういう問題の時に必ず出てくる「第三者機関」であるが、殆ど「協会(というか訴えられている側)の意向に沿った人選」が行われるのが実情だ。広範な社会の批判を何とか「かわそう」として、第三者による聴取という「クリーンな立場」の人による「公正・中立な判断」を求めている筈なのに、その5人のうち4人までが「協会関係者」というのでは、告発した本人も「気がきではない」だろう。選手が練習できる環境を阻害した云々と言われている問題だが、栄強化本部長のやってることは「そんな生易しい問題ではない」ようである。心身衰弱になるくらい「ビビっている」というのだから、「犯罪まがい」の事案がボロボロ出てくる可能性も否定できないのではないか。
私は思うのだが、こういう事が起こる度に「マスコミで大騒ぎ」するのを止められないものだろうか。一つの提案は「何でもかんでも裁判する」という方法である。犬が小便したといっては裁判し、猫がサンマを取ったと言っては警察沙汰にしてしまうのである。コストはかかっても「法律で決着をつける習慣」が人々の間に定着すれば、感情的になって人間関係がギクシャクすることもなく白黒ハッキリするのだから、世の中の多くのトラブルが「綺麗さっぱり解決され」余程暮らしやすい環境になるのではないだろうか。パワハラ・セクハラも「全部裁判で白日の元にさらされる」ことになれば、相当自制心のブレーキがかかると思うのだがどうだろう。但し、告発する方もされる方も「裁判を信頼して法の決定に従う」気持ちがなければ、余計こじれるばかりで「解決には至らない」のは明らかである。
どうも日本人は「まあまあ、お互い恨みっこ無しで仲良くやろうよ」という曖昧な手打ちを好む国民性であるから「白黒決着する欧米式の裁判」はあまり馴染まないのかもしれないが、法律に則った「第三者」という立場を正確に把握していれば、両者の陳述を公平に判断しパワハラかどうかの決定をすることが出来るのは「裁判官だけ」だということが分かるであろう。今の裁判官の人数を5倍ぐらいに増やし、「社会的弱者をハラスメントから救う」ことが日常的に行われるようになって「誰も騒ぎ立てないくらい普通のこと」に思われるようになったら、それはそれで「一つの成功」ではないだろうか。このようなハラスメントは「立証」が難しいということらしいが、周り中が「ハラスメントだらけ」になれば「被害者も精神的に楽に」なれるし、加害者も「自分の非を反省する」事が出来て社会的に更生するチャンスが「もっと増える」のではないだろうか。軽いセクハラなどの罪は「自覚無くやっている」人も多いので、「とことんやってしまう」前に裁判でNOと突きつけられれば、大事にならなくて当人にとっても助かると思うのだ。要は「嫌だ」と思ったら、すぐに「裁判する」のである。勝っても負けても裁判の結果を受け入れることで「後腐れ無く」解決出来るのだ。日本人も「笑って裁判できる」ような強いメンタリティというか「裁判慣れ」してくるようになれば、こういう事件のニュースバリューもなくなると思うのである。
まあとにかくレスリング協会は「栄強化本部長のパワハラ事件」から手を引いて、司直の手に委ねるのが正解である。協会自身の「抜本的改革」は、後からじっくり選手も交えて考えればいいのだ。
一般に選手とコーチの関係の問題は、「他人が分からないところで起きる」のが常である。そして常に「コーチがやり過ぎてしまう」ことで問題が起きる。最初が蜜月関係のようでも、いつのまにか「二人の関係がギクシャクしてきて」おかしくなる。多くは「選手が成長して独り立ち」することで、その関係は「卒業」となるようだ。昔マラソンのキューちゃんがコーチの小出監督から離れて独立するというニュースがあった。二人の師弟関係は永遠に続くかと思っていたファンを驚かせたものだったが、選手は独りになって「自分の力を試してみたくなるもの」なのではないだろうか。ゴルフのタイガー・ウッズもブッチ・ハーモンと別れてから色々とコーチを変えているが、上手く行ったのかどうか「別の問題が起きてしまって」分からずじまいであるのは残念である。だが、いずれは別れなければならない関係が「師弟関係」なのかもしれない。
今となっては伊調馨選手も独り立ちして、栄コーチの事はすっかり忘れてしまいたいであろう。こうなる前に「協会の誰かが自分の生活を投げ打ってでも栄コーチを諌める」ことが出来ていたら、その時は「堂々とレスリング協会の存在意義」を宣言出来たと思うのである。ことここに至っては、協会をも解体するぐらいの真剣さで持って「問題の解決」に突き進んでもらいたいものである。それが出来なければ、オリンピックのメダル争いも陳腐なものに見えてくるであろう。
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