1、将来の廃棄費用を建築費に含めること
土地や建造物などの残存不動産価値(変動あり)と廃棄費用を差し引きし、廃棄費用のほうが高くなったら「その分を納付積立」させる法律を作る。或いは予想される建て替え補修費用が相当高額になると言う場合は、予め公的機関が「毎年の積立金」を計算し、所有者に請求できるものとする。いずれにせよ、こういった廃棄を専門に扱う「保険」なども登場するであろう。これは持ち主が死亡して幽霊屋敷になったり、ゴミ屋敷などの公共に害のある建物などの解体を、市町村が簡単に出来るようにするためである。つまり、個人の所有権に対して「廃棄費用未納」という理由で、該当不動産を政府が没収出来るという「画期的な法律」を作るのだ。これで所有者不在の宙ぶらりん家屋を「どんどん更地にすることが可能」になる。おまけに解体撤去費用も積立金から支払うようにすれば、どこからも文句が出ない「一挙両得の策」である。
2、巨大建造物は撤去費用先払い
ニュースに出ていた観音像のような巨大建築物は、特例処置として「建築前に廃棄費用の一括納付を義務付ける」と良い。ワイドショーによれば、解体廃棄作業の見積もりは8億9千万円だそうだ(爆破しちゃえばもっと安いけど)。観音像は瀬戸内海を見下ろす絶景の広大な土地に立っているから、資産価値6億ぐらいはあるらしいので、差し引き2億ぐらいの持ち出しで済む。しかしこれが、現在の法律では「全額、市の税金」で払わなきゃならない、と言うのだから腹立たしいじゃあ、あーりませんか、皆の衆!。出来ることなら所有者を墓から引きずり出して、「どうしてくれんだよ!」と怒鳴りつけたい気分である。こういう不始末が回り回って市民の税金にシワ寄せがくる今の法律など、「いの一番」にどうにかするのが政治家ではないか?、と怒りを禁じ得ない。そもそも海を見下ろす観音像なんていうアナクロなアイディア、誰が思いついたんだろう。そう言えばアルゼンチンのブエノスアイレスにも海を見下ろす高台の上にある巨大なイエス像があるらしいけど、メンテナンスはちゃんとやってるんだろうか?、心配である。なお、淡路島の方は解体に1年半ほどかかるそうだ。もう「厄災」以外の何者でもない。これを作った人は観光名所にして客寄せをねらったつもりだったそうだが、今じゃ粗大ゴミに成り下がって「市もホトホト困りきっている」という。所有者は死んだ後に「処理費に8億もかかる粗大ゴミを残した」っていうわけだ。語り草になりそうなくらいミジメな生涯である。そうならないためにも、撤去廃棄費用は「予め積み立てておく」というのが、人様に迷惑をかけない「きれいな死に方」だと思う。やはり人は「惜しまれて」死ぬのが理想だね。
3、ついでにゴミ問題
世間じゃSDG’sなどとカッコつけた流行り物に飛びつく連中が幅を利かしているようだが、それ以前にやらねばならない大問題があるではないか。それがごみ問題である。人間が天然資源を消費して何かを作るのはいいとして、それが本来の役目を終わったら「分解してまた元の自然に帰す」というのが、そもそものSDG’sであろう。日本は狭い国土に「これでもか」っと言うくらい人工物が撒き散らされているが、それらがようやく耐用年数が来て取り替えなきゃならない時期が来ているのだ。橋やトンネルや高速道路は言うに及ばず、老朽化したビルの構造物や地中のガス・電気の配管および下水道などの設備を考えただけでも「天文学的な数量」のゴミが、これから何十年にもわたって出続ける。そして、それをどこかに捨てるわけだ(おお、NO!)。また、日常生活に無くてはならないプラスチック製品もすべて「自然界に害を及ぼす」人工物である事は言うまでもない。我々はそれらのゴミを毎日々々何千トンと作っては捨てているのだ、考えても恐ろしいではないか。これらはすべて「江戸時代にはなかったゴミ」である。勿論、科学の発展でどれほど恩恵を被ったかについては、いくら感謝しても感謝しきれないものがある。その点では、我々の世代は「幸運ばっかり」のラッキーな人生を送ってきた、というのは間違いない。戦争もなければゴミ処理もしなくて「ただ捨てるだけ」で良かったのだ(なんて楽な生き方!)。だが、これからは「作る前からゴミを出さない」ように考えなければ、すぐさま廃棄場所に行詰まるのは目に見えている。早速一人ひとりが出来ることから始めよう!。
・・・だが、言うほど簡単ではないことは、すぐわかる。例えば身の回りにあるプラスチック製品の内、どれだけ「天然素材で置き換えられるか」と考えれば、目につくものの殆どが「プラスチックで出来ている」ことにようやく気がつくのだ。しかも、テレビやパソコンや家具に掃除機からバッグや靴に至る何から何まで、全部他の材料で作るのが無理な品物ばかりである。むしろプラスチックじゃないものを探すのが難しい位なのだ。ああー、こりゃ無理だな、無理無理!
というわけで、これは大変な問題を抱えてしまった、と今更ながら驚いているのである。我々はプラスチック社会の「真っ只中」に住んでいるのだ!(ヒェーッ)。
まあ今回は、3番目の記事は無かったことにして下さい。プラスチックを無くすのは無理です(断念)。せめて服は「綿か絹」を買うことにし、日用品は可能な限り「木と紙」製を使うようにし、レジ袋は麻袋などを使い、紙パックの日本酒を飲む(これはオマケ)、という風に「少しではあるが、ゴミを出さない生活」に切り替えていこう。国のインフラ設備を大規模改修する時に出る「コンクリート廃棄物」については、国で考えるとして、人々が生活で使っているプラスチック製品群の廃棄方法をどうするか。まさか「ゴミの詰まった袋を、宇宙にバラ撒く」わけにも行かないから、困ったもんである。やっぱり「化学」で作った代物だから、100年かかったとしても「お金をかけて」化学で分解し、自然界に戻す方法を開発して貰うしか無いだろう。ちょっと虫が良いお願いだが、「次の世代」に頑張ってやってもらうとしよう。我々の世代は、少なくとも「ゴミを増やさない努力」を全力でやるからお願いします!。
この「美しい地球」を守るためにも・・・
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