明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

今度の選挙、投票率が気になるって?、いや俺は、全然気にならないね!

2021-10-28 19:51:45 | ニュース

選挙で必死な立候補者は、投票してくれる人が「誰を支持してるか」だけ気になるわけで、投票しない無関心層には「全然興味ない」と思う。極端に言えば10万人の有権者の投票率が10%だとして、その1万人のうち得票数が3千票でも「2位より1票でも多ければ」当選、つまり得票率3%で当選でである。これが現行の選挙制度だ(投票率が○○%に満たない場合はやりなおし、っていうのは余り聞かない)。勿論、無党派層を取り込むことで相手候補より有利になるから必死でアピールはするけど、当日になっても投票しない人には「もう用はない」だろう。彼らの頭の中では「投票したくない人は、しなきゃいいんじゃない?」になってると思う。というか「そんなヤツ、放っとけ!」ってな感じじゃないだろうか。相手に投票するくらいなら、むしろ棄権してくれた方がよっぽどマシなのだ。棄権した人は立候補者にとっては「無」である。完全「無」。もう、存在すらしてないと私は想像している。

だからこういう状況で投票しないというのは、政治のことで何がどうなったとしても「投票しなければ誰からも相手にされない」存在になるんだ、ということでしょう。棄権したということは、そういう「選択をした」ということに他ならない。棄権にはそれなりの「ボイコットの意思」が表明されている、という人もいるが、私はそういうのは「独りよがり」だと思う。「棄権したの?、あっそう」で終わりだ。もう関係ない人なのである。立候補者は国民の意見を「代弁する」人だから、何か意見を持っている人の「声」を代弁するわけだ。その代弁者を選ばない(=棄権する)ということは、その人には代弁者がいない、つまり「常に無視される」ってことになる。これ、当然の理屈だ。自分の支持する立候補者=代弁者が必ず当選するとは限らないが、当選しなくてもその候補者は「政治活動」は続けている筈だから、支持者の何らかの政治的意見は「発信されている」と考えていいだろう。これが「政治に参加する」ってことだと私は考えている。まあ、それほど大仰に考える必要はないけれど、社会人であるならば普通に生活してるだけで「嫌でも政治には参加してる」という認識である。

それでも投票にいかない人が多数いるというのは、やっぱり政治に「参加してる意識」が少ないのであろう。これは日本社会の「昔からの特徴」だ。つまり、政治のことをあれこれ言うような人間は「なんか胡散臭い」と思われ、人に嫌われる。それに政治を話題にするのは「基本的にタブーだ」とよく聞く。若い奴は黙って上司や先輩の言うことを聞いていれば良い、という風潮がまだあるのだろうと私は考えている。

外国では、小学生のうちから「授業で政治問題」をディベートするらしい。国民性だろうか(北欧の何処かの国では、そうらしい)。

政治を取り巻く環境は色々と幅広いがとにかく有権者にとって、選挙で「誰を選ぶか」はそんなに大事ではない、というのが今の私の結論。大事なのは、当選した後の「判断・行動」である。我々はそれを「しっかり見ていくこと」こそ、最も重要なことではないか?、と思う。

・・・ああ、正論を言ってしまった。これじゃ議論にならないよね。話を元に戻そう。

大体が日本人は、大学入試でもそうだが「入ること」に異常に執着する(日本人だけじゃないだろうけど)。何故かと言うと、それは「肩書」が一番大事だと思っているからに他ならない(と思う)。誰しも「東大卒」という肩書は、喉から手が出るほど欲しいと思っているだろう。だが、東大に入学しても授業について行けず、周りの超優秀な生徒たちからも馬鹿にされ(というか完全無視だろう)、しまいには授業にも出なくなって、中途退学というのが関の山。やはり東大に見合った最低ラインの学力は持ってないと、入っても本人のタメにならないのじゃないだろうか。それに進級も出来ないだろうし・・・。

これを例に考えれば、選挙も誰を選ぶかより「選んだ後の行動」が議員として最低限のレベルに達しているかどうか、が重要なのは明らかである。例えば「嘘をつく」なんて議員は、到底「国民の代表」とは言えないであろう。そう言えば東大卒で経済産業省の公務員になり、その後衆議院議員で数々の不祥事・不快行動を連発して今年10月に「解散でお役御免」になった「丸山穂高さん」はどうしてるんだろうか?。まさか立候補して、挙げ句に当選しちゃったりして・・・(ははは、ブラックジョーク!)。余りに有権者を馬鹿にした話で、私は笑えない。

というわけで、選挙に興味がなければ「わざわざ投票」する必要は無いと思う。投票しても政治は変わらないと思っている人は、「そのままで」いいんじゃない、関係ないんだから。でも、何かの時に政治的なことを発言しようとしても、投票して無ければ「発言権は無い」ですよ、当たり前ですがね。それだけ分かっているのであれば、どうぞ棄権して下さい。誰も止めやしません。

結論は、政治は興味ある人だけで十分である。例え投票率が30%に落ちたとしても、当選した人にとっては「勝てば何だっていい」のだ。選挙とはそういうもの。投票率なんてそもそも関係ないんだし、投票日に投票率が云々と「得意顔で報道する」マスコミが馬鹿なんだから。

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とまあ何か尻切れトンボみたいになってしまったが、最後に一言。ここ毎日というもの、日本の将来と選挙について書いてきたが、結果は全然PVが伸びなかった。やっぱ私の記事は読まれてないようである(寂しぃ〜)。明日からは気を取り直し、また元の「ゴルフと芸術と旅と古代史」に戻ろうと思う。まあこれからは政治のことはブログやSNSで言い合うのではなくて、どこかの党員にでもなって「実践で発言する」ことにしようかな。はて、何党がいいんだろう?・・・と考えてみたら、それこそ選挙の「投票行動」と同じじゃないか、と気がついた。そうだ、自分がどこかの「党員になる」としたら、「どこが良いか」って視点で選挙を見るのが、正しい有権者と言えるのでは、と思ったのだ。これ、一番の正論だと思うけど、どうかなぁ?。

早速、明日にでも柏の各党選挙事務所に出かけてみるかな。人生初の〇〇党員、これはなんか面白くなりそう・・・


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