明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

悠々自適(13)三都市を比較する

2023-06-15 18:00:08 | 今日の話題

「恋の街札幌」とか歌にあったがそういうイメージで語るのではなく、事実に即していうならば「大阪」の梅田の辺りは元々は「湿地帯」で人も余り住んでなかったそうである(ブラタモリでは曽根崎心中の舞台と説明していた、つまり人が寄り付かない寂しい場所ということ)。それが明治になって鉄道の駅が出来てから何だかんだで発展して、現在みるような華々しい繁華街になったらしい。もともと織田信長が目をつけて狙っていた処と言うだけあって、海外貿易には適した場所だった。その後太閤秀吉が計画都市として大阪城と城下の町割りの基本を作り、今の大阪の基礎を築いたというのが始まりである。つまり最初から「商売するつもり」で作った町なのだ。だから町並みも「商人主導」で広がったのである。まあ、儲けることしか考えていない大阪人の人格形成はいつ頃から始まったのかは判らないが、今じゃ生まれついたその日から順番を守らずに他人の子を押しのけてでもミルクを貰おうとする「生粋の商人根性」が備わっているという(知らんけど)。どうも大阪人のこういう「拝金主義」、嫌ですねぇ。

一方「京都」はあくまで天皇の居る御所を中心とした、言うならば蜂の巣の中心に女王蜂が君臨している如く、その周りをあまたの殿上人が取り囲むやんごとない貴族の優雅な生活・交流の場として発展した。当然何をするのでも「細かい作法と格式・序列」が求められ、それが子孫代々に受け継がれて所謂「固定した様式美の極致」が演出される。とまあ、我々下々の者には息が詰まってストレスが貯まり、とてもじゃ無いがやってらんないと座布団を蹴って出て行きたくもなるのだが、こういう世界しか知らないで育った人間にしてみれば外に出ようなどとは考えもつかずに、何とか上に登ろうとだけ目指して必死になるわけで、日常のあらゆる瞬間を捉えて主上の叡感を得んがために奮闘努力するのである。じゃあトップに居るものは安逸放蕩の限りを尽くして己の欲望を満たしているかというとこれまた武力を持たない支配形式の限界が露呈して室町以降は天皇家も没落し、しまいには青息吐息・虫の息でカツカツの生活を続けたらしいからミジメなものだ。元々京都は毎年の河川の氾濫で、出来た頃からだいぶたった平安時代末期になると西半分にはボーボーとした湿地帯が広がり、殆ど人が住んでいなかったという(平家物語にも描かれている)。ようやく室町の頃から治水が上手く行って人も住み始め、徐々に大都市になっていったといいうから余り大都市には向いていなかったらしい。そういう貴族社会の栄華も長くは続かず、明治になって天皇が東京に引っ越してからは残っている貴族は冷泉家、つまり藤原定家の子孫だけになったみたいなのだ、寂しいねぇ。もう昔の貴族はとうにいなくなったわけだが、何故か京都市民はいつまでも自分達が「高貴な人種の末裔」だと勘違いしているようで、「京都は他とは違う」というのがアイデンティティの一つになってるという不思議な町なのだ(なんだかなぁ~)。とにかく京都人に取っては「ルール」が全てなのである。こういう「お作法」第一の考え、嫌ですねぇ。

さて残った「東京」はどうかというとコレもまた元々が「湿地帯」の上に出来た都市なのである。何だか大都市は皆んな湿地帯の上にしか出来ていないように思うが、人口集散の法則から見れば当然の事かも知れない。何しろ政治権力がある所には人が集まる道理だから、人が集まるには広大な場所と飲水の二つが必要というのは納得できる。考えてみれば多くの都市は川のそばにある。日本は河川が豊富だから気にも留めないが、京都も大阪も豊富な流量の河川がすぐそばにあった。ローマは湿地帯では無かったと思うが何キロもの水道を建設して、この飲水の問題を解決したのが大きいと思う。じゃあ東京はどうしたかというと太宰治の入水自殺で有名な玉川上水を作り、この問題を解決したのである。それで上下水道の完備した清潔な町、江戸城を中心とした「大規模な城下町」を築き上げたのである。大阪も城下町では?と皆さんは思うかもしれないが、あくまで日本の中心は京都でありまた江戸であり、大阪城は豊臣氏の居住する場所に過ぎない。その点、武士の棟梁として全国に号令を掛ける立場の「仕事する場」である江戸城とは役割が違って当然である。だから江戸は「武士の勤務地」であった。そのため武士の人口比率は非常に高く、人口の50%が武士階級という資料もある位である。当然街づくりの基本も防衛から入っていくわけで、商人の町大阪とは根本からして違っていた。だから、どちらかというと大阪よりは京都に近く、何らかの中心機能があってその組織に属する人が機能・役割を果たすために職住近接が求められた結果、今の東京が出来上がったわけである。だから一見すると人口が密集していて、人々がやたらゴミゴミしているところに生活しているように感じられるかも知れないが実は整然と目的に沿って住む場所が決まっていて、案外と整理された社会なのである。とにかくグルメもファッションも文化活動も政治以外の何もかもが、人が多いから自然と消費も増える理屈で集まってきただけであり、あくまで仕事が第一の「面白みのない」町なのだ。つまり東京は機能主義の町作りで出来た都市、それはそれで仕事一本のデスクワークしかない「潤いのない町」ということで、無職の私としては余り住みたくないですねぇ。

以上、ブラタモリの大阪探訪を見て考えたことを色々とダラダラ書いてみました。大阪・京都・東京が皆「湿地帯」の上に出来ているというのは大いに感心した所である。とくに大阪などは大阪駅一帯の土地が軟弱で、地盤沈下が激しかった実例を探索してたりして、番組としては非常に面白かった。都市の来歴ということを考えるに当たっては三つの都市それぞれに特徴が際立っていて、日本の都市づくりの見本とも言うべき場所だなと感じられ、また一つ勉強するテーマが増えたように思います。まあ都市を作るということはどういう街を作るかハッキリとした「構想」が頭にないと出来ないことであり、それを的確に実行した人たちがいたというのが面白い。まあ、自然と人が集まって出来た訳じゃあ無い、ってことでしょうか。

それでは奈良と博多はどうなんだろうか、或いはちょっと遡って「邪馬台国」はどうなんだろう?。またまた面白そうで眠れませんね、あ〜困った困った・・・



最新の画像もっと見る

コメントを投稿