明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

秋篠宮が今度の大嘗祭にモノ申す

2018-11-30 22:26:38 | ニュース
秋篠宮の大嘗祭に関する発言がスマートニュースで紹介されていたが、意外と良いこと言うなぁと好感度が急上昇した。夜のニュースでも「わりかし取り上げられていた」のでご存知の人も多いと思う。何より「聞く耳を持たない宮内庁の連中(山本信一郎長官)」なんかはどんどんクビにして、これからの天皇家を威勢良く刷新してもらいたいものである。

しかし「大嘗祭の費用が22億5千万円」と聞けば、只事ではないと感じる人も相当数いるはずだ。そもそも宮廷費というのは国費であり、その他に天皇家の家計に当たる「内廷費」があると言うから多分、天皇家の家計は相当な額ではないだろうか。秋篠宮が「身の丈に合った儀礼を」と言っているのは「もっともな意見」と私には聞こえた。例えお金がたくさんあっても、無駄な出費は抑えるのが「健全な金銭感覚」と言うものである。

そもそも政教分離といって宗教は政治に介入しないのが決まりであるのに、大嘗祭という「神道」の行事を国費で賄うというのは憲法違反ではないか、という有識者もいるというので問題は大きい。だいたい国の代表は、総理大臣が国民の選挙で選ばれた政党の「代表として」行っているのであり、天皇は政府が行う「国事行為の役割の一部」に過ぎないわけで、天皇自身の考えや意向というものは「越権行為」とも言える。

では天皇はただの人形かと言うと、それでは失礼だと言うので「ここら辺が実に曖昧」なのである。天皇というのは奈良の聖武天皇の時代から神道の大宮司であり仏教の大パトロンであり、政治と共に宗教を役割の中心に担ってきた経緯がある。仏教の方は明治維新で廃仏毀釈を大々的に行い昭和の国家神道へと突っ走ったわけで、一応仏教キリスト教は政治の世界から追い払われた歴史がある。

では神道はというので、ネットで「伊勢神宮と天皇家」で検索したら、天皇家が参拝するようになったのは「明治から」というのでビックリ仰天してしまった。つまり伊勢神宮参拝は明治政府の「ヤラセ」らしいのだ。これじゃ天皇家が神道の元締めという話も怪しくなってくる。その、そもそも怪しい話の大嘗祭を「国」が国費で盛大にやるというでは、又しても安倍首相の企みかと「陰謀論者は邪推」してしまうわけだ。ネットによると天皇個人は神道というよりも「朱子学」を信奉しているらしいから、ますます分からなくなってくる。

この際、天皇は国事行為の一切から手を引き、京都に戻って日本文化の継承者としての立場で「生ける世界遺産」になる、というのはどうだろう。伝統文化のしきたりや和歌や風雅な宴など、天皇以外にピッタリ来る人は他にいないのである。出来れば今度の天皇には「9つ目の勅撰和歌集」を上梓してもらえたら素晴らしい日本の芸術の再興にもつながるのだが、ムリかもね。

なお、ネット民が「天皇でもないのに」とか「政治に口を出すな」とか喧しく言っているようだが、発言自体を制限するような右翼の独善的考えというのが実は天皇を一番蔑ろにしているのだ、という事実は「戦前戦中に権力を握って日本をダメにした軍部」がそれを証明しているのである。まあ、天皇の役割については「天皇家」にまず発言権がある、と言えるのではないか。その意味で、秋篠宮の意見は尊重されて叱るべきである、と私は思う。天皇万歳を叫ぶ皇国論者は天皇よりも「自分の理想とする天皇像」を崇拝する。その理想に合わない天皇は「入れ替えれば良い」とは、2・26事件を起こした若手将校の有名な言葉である(名前は忘れた)。

私はいずれ国家の枠組みが変わって、ボーダーレスなEUのような社会がアジアにも生まれるんじゃないか、と思っている。その時天皇家は、どうやって生き延びるつもりなのか。秋篠宮にも一度聞いてみたいと思っている。

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