先ず、厚労省がミスを認めて下船客の再検査を実施することにした、との報道から検討してみよう。
a. 厚労省は「再検査しないで下船させたのはミスだった」とミスを認めたそうだが、では「どの部署で」ミスしたのか?
① 検査チームがやるべき再検査を「間違えて」やらずに下船させてしまった。これは現場の「うっかりミス」である。いわゆる「人的ミス」だ。
② クルーズ船を監督指揮している責任者が「マニュアルを間違えて」下船を許可した。これはマニュアルが再検査するように指示しているのに「しなくていい」と勝手に判断して下船させたもの。厚労省の指示ではないので、現場担当者の「勘違いミス」である。いわゆる「伝達ミス」だ。
③ 厚労省が決定し、現場がその通りに実施したことであるが、「よく考えてみると正しい判断とは言えず、間違いだった」という対応の誤り。これは「指示のミス」である。いわゆる「判断ミス」だ。この辺を厚労省は「オペレーションミス」という曖昧な言葉で誤魔化している。
ところが、クルーズ船から下船した広島在住の男性が「2日間に渡りTBSのワイドショーに電話出演し」、何度も現場で「再検査を申し入れていた」、と証言しているから、一転して政府のあいまいな対応に批判が集まって来た。この男性によると、クルーズ船の担当者には、下船する前に何度も「再検査してくれ」と要求していたそうだ。ならば、何故その時には「にべもなく無視」しておいて、今になって急に再検査を持ち出したのか、しかも該当者は「23人」もいるというのである。厚労省はミスと簡単に言っているが、それにしても恐ろしいミスの量だ。そもそも厚労省の加藤大臣は「ミス」と言うのであれば、「誰がいつ、どういう手順でミスをしたのか」を明らかにしなければ、国民が納得行く説明には程遠いであろう。私は、厚労省ひいては政府閣僚・官僚の「判断ミス」だ、と考えているがどうだろうか。
私は、政府の対応が「ウィルスを日本に持ち込まない、という水際対策」に固執する余り、クルーズ船の中に「ウィルスもろとも閉じ込める」作戦を取ったことが間違いだったと思っている。それはクルーズ船の乗員乗客3700人を犠牲にしても、日本国内にはウィルスを断固として入れない、という強い信念の現れだと受け取った。日本人らしい人命無視の切って捨て方である。12、3人の感染者が出る程度の範囲で収まるのであれば、この対応でも何とか済んだであろう。だが現実には六百人以上が陽性となって病院に収容されてしまった。当初の想定と大きく状況が変わってきているのに、対応を変えなかったのが原因である。感染・発病した患者だけを治療するために「下船・搬送して国内の病院に入れる」のであれば、他の乗客も同じように下船させて「隔離・観察」をするのが理屈というものではないか。政府は「健康観察期間」として、2週間を船内に閉じ込めた。当初、PCR検査のキャパシティにより全員検査が無理ということで、発症者のみの対応となっていたのが問題である。まだ検査が出来ない人は「感染予備軍」の筈なのだ。なのに船内で散歩やジョギングしている人もいて、まるで健康そのものといった扱いだ。これで隔離・観察は有効に機能していたと認識している、なんて「よく言えたもんだ」と思うのは、誰しもではないだろうか。
感染リスクという面では、「発病しているのと、感染が疑わしいのと、殆ど一緒」なのが、今回のウィルスの特徴だと分かってきたのである(今は陰性と出ていても危ない)。その情報は早くからテレビなどでも説明されていたので、厚労省が知らないはずはないのだ。しかも潜伏期間もインフルエンザと違って、感染力は強力である。であれば、先ず「検査能力をアップ」させることとと「施設の確保」が急務であることは、誰が考えてもすぐ分かるではないか。しかし政府は「法律では云々」と及び腰で、チャーター便の対応とクルーズ船の対応を分けて、有効な対策を実施してこなかった。前回の三日月ホテルのような「男気のある経営者」が自分から手を上げてくれるのを待つのではなく、それこそ「有事立法的な英断」で施設を借り上げて、出来るだけ「小分け」して分散収容すべきではなかったか、と思う。八丈島や新島などの「離島」が私は最適だと思っているが、要は「分散と隔離・観察」である。何しろ、一緒にいたら「危ない」のだ。
そしてアメリカなど諸外国が批判に転じて、チャーター機などによる自国退避が始まったにも関わらず、あくまで「感染は5日以前、感染確認の観察期間14日を隔離して、その後は下船」という当初のシナリオを一切変えずに、世間ではパンデミックではないかと大騒ぎしている状況の変化には全く対応せず、「マニュアル通りに今回下船させた」という。全員のPCR検査を実施するというのも「世間の批判が大きくなった」からしょうがなくやっているだけで、基本にあるコロナウィルス対策マニュアルは「全然変わってはいない」ということだ。件の乗客で下船した者の中には、下船後に寿司屋へ入って「腹いっぱい食べ」た人や、言われた通り公共交通機関で家に帰ったり、濃厚接触となるタクシーに乗ったりしていて、一般人と普通に接触「しまくっている」のだから、厚労省の判断ミスの「罪」は恐ろしいレベルとしか言いようがない。案の定、今日下船した乗客から陽性患者が出た。これは「驚愕だ」とか言っている人がいるようだが、驚きでも何でも無い。
当初はこの作戦が諸外国にも一定の評価を受けていたようだ。だが事態は徐々に変化をして来て、船内感染での蔓延が起きているんじゃないかと考え方が変化し、それなら「船から脱出させなければ」と対応を変えたのである。諸外国は現場の状況に常にフレキシブルに対応していたのだ。では、何故日本は変えられなかったのか?。それは日本人の特徴である「一度決めたことは、最後まで変えない、または変えられない」という国民性によるもの、だと私は理解している。最初の対策立案者と異なった意見を出す人との議論が、どうしても「〇〇さんと△△さんと、どっちが力があるか」という「人間の優劣」にすり替わってしまうのだ。意見の違いを人間の優劣の差と捉えるメンタリティは、一度決めた意見を「容易に変えさせない方向」に圧力がかかるのである。だから対策を最初に間違えると「最後まで」変えることが出来ずに、大失敗してしまう例がとても多い。何十年も前の土地区割りがいつまでも有効のままだとか、ダムなどの公共事業が条件が変わったにもかかわらず最初の計画のまま実行される、などはそのいい例である。一度決めたものを変えない利点というのは、ひたすら「責任を負わなくていいから」の一点に集約されるだろう。
この責任を誰も取りたがらない、あるいは責任を「役職と同義」と考える日本人の「もっとも悪い習慣」が、今回のコロナウィルスの悲劇を齎したと言えるのだ。その責任逃れの典型が「安倍政権」である。この一見無関係かのように見えるコロナウィルス対応と安倍政権の関係、実は政権の体質に「現場無視・国民無視」の共通点が見られるのだ。
今日TBSのゴゴスマでは、一転「政府の対応を非難」する空気に変わっていた。出ているコメンテイターが言うには、「各国はチャーター便で帰国させた乗客を、更に2週間隔離する」という報道を見て、「じゃあ、最初の5日からの2週間は何だったのか?」と喧々諤々だ。厚労省の発表では、担当者がチェックに行ったら被験者が「部屋にいなかった」からとか、「検査日時の管理」が出来ていなかったとか、まるでもう「子供の言い訳」のレベルである。広島在住の乗客(TBSに連日生出演している人)の話では、部屋に隔離されていて「散歩に出るのも指定された時間」に許されるような状態だったそうだから、厚労省のオペレーションミスという発表の実際は「真っ赤なウソ」である(と私は思った)。この期に及んで「まだ言うか!、バンバン!」と、講談師なら机を叩いて派手に盛り上げる所である。
ちょっと前、テレ朝の激論クロスファイアで「桜を見る会」を取り上げていた。つらつら見ていて思ったが、安倍首相のコアな支持者は、安倍さんが何をやっていようがやってなかろうが、「安倍首相の現体制を支持する」つもりでいるんだな、ということだ。こうなるともう「安倍教信者」である。民主党が政権をとって「あっという間に沈没」して以来、国会は与党独裁の「形だけの議論の場」になってしまった。政治は内閣三人衆の手に握られている(ここへ来て、綻びも見えてきているようだが)。これが良いことなのか悪いことなのか、結果はまだ出ていない。ここに来て安倍首相周辺で不祥事が続いているが、思えば森友・加計学園問題から始まった「官僚の国民軽視」が、その後も続々と明るみに出てきているのである。政治家や官僚が、国民を尊重しなくなったらどうなるか。今までも国民軽視の考えは、一部の政治家や官僚の中には「ずっと伏流水のように」脈々と流れていた。ただそれが、今は大っぴらに日の当たる面に出てきたのである。それは表に出てきても「もう誰も驚かなくなって来た」ことを意味している。国民の意識が変わってきたのだ。政治への無関心が蔓延していまや「有権者感覚の麻痺」を引き起こしているのではないだろうか。この現状を分析することで、日本の未来を占ってみたい。
安倍政権が歴代最長を記録した安定政権になったことについては、野党はともかくとして、自民党及びその支持母体である資本家や企業経営者が「今の体制継続を望んでいる」ということだろう。なんだかんだ言っても安倍首相は、表面は国民の支持率を相当気にしていて、なるべく余計な波風を立てない政治を推し進めてきた。これは野党が本来の役割を失って、重要な政治問題「特に経済活性化の方策」について、有効な対案を出せないことに原因がある。野党も経済政策では「安倍政権と同じ」なのだ。これでは政権担当を変える理由が「殆ど無い」のは当たり前だろう。国会議員は、自民党にいれば選挙で受かるのだから、もはや選挙運動の対象は「官邸と内閣府」に向かっている。官僚も、人事権を握っている安定政権が長期化しているから、どうしても内閣府への「いいなり・忖度」が日常茶飯事だ。これは「するな」と言っても難しいだろう。企業も安倍首相人気に、おんぶに抱っこで甘い汁を吸っているのが現状だ。つまり、企業・官僚・国会議員が「まとめて、安倍首相さまさま」なんだから、我々下々の生活は一向に楽にはならないのである。
一般の庶民には、政権が担う高度な政治判断は中々理解するのは難しい。だから人間性・人柄を見ることで代用するのである。それしか政権中枢の適不適を測る術はないと言える。その人間性・人柄が表れるだろう「普段の言動」が、安倍政権は「国民軽視」なのである。国民軽視の人が、重要な政治判断で「国民のことを思って」何かを行うとは、到底思えないではないか。簡単に言うならば、「それが世間の常識」であろう。騙したりはぐらかしたり、説明責任も果たさず大事な公文書も廃棄したりして、いつの間にかウヤムヤにしてしまう。この方法で国民の目を逸らすことが出来ると分かって以来、何が起きても「堂々と屁理屈を並べて」誤魔化すことにしたようである。すべては、国民の意識が「政治に関わる」ことを止めて、思考停止の「安倍教信者」に成り下がったせいである。いつまでも新興宗教のように安倍政権を無批判で賛美していると、今に後悔することになりそうだ(これが、私だけであればいいのだが)。今回のコロナウィルス騒動に見る政府の不手際を見ていると、日本は「政治が雲の上に乗っかって、生活現場から遊離している」とも言える。
実は安倍政権はコロナウィルスの被害よりも、「経済失速」で富裕層の支持がなくなるのを恐れているのではないか、と私は思った。富裕層の優雅な生活を維持するためには、我々一般庶民の多少の犠牲は止むを得ない、と考えたのであろう。昔、庶民は飢饉でバタバタ死人が出ているのに、貴族はお菓子などを食べながら遊び暮らしていたと言う。案外、これが安倍政権の真実なんではないかな。
追記:PCR検査は民間業者を導入すれば検査可能
PCR検査は難しくて、今日現在一日4000人弱しか検査できない、と政府は言っている。が、TBSの「ひるおび」で明らかになったのだが、民間の業界5位の会社で一日8000人位の能力があるそうだ(数字はウロ覚え)。ならば全業者を総動員したら、何万人・何十万人という数字が簡単に出来てしまう筈である。では政府は当初一日300人などという少ない数字を発表したのか?。遅まきながら首相が拡大を宣言したにもかかわらず、だいぶ経っているのに「現在でもまだ4000人弱」である。韓国ですら一日「5000人」の検査を実行できているというのに、世界第三位の先進国がこれでは余りにも対応が「おざなりで」、厚労省は「危機感が無い」のじゃないかと批判されても仕方がない。やることなすことが後手後手で、外国の対応が素早いのに比べると、日本は不思議なくらいに「のろい」のである。これ、どっかで聞いた話だなと思って考えてみたら、尊皇攘夷の旋風渦巻く幕末の江戸幕府と「そっくり」ではないか。あれ〜?。
歴史は繰り返す。安倍政権も今は、明治維新前夜の状況と「そっくりだ」ということを夢々お忘れの無きよう。なお東京オリンピックへの影響だが、そのまんま「1年延期」することを想定内に入れておくべきだろう。その場になって慌てないためにも、今のうちから公式発表しておくぐらいの「手回しの良さ」が大事だと思うんだけど、はたしてバッハ会長や小池都知事に「その決断」が出来るかどうか・・・。
a. 厚労省は「再検査しないで下船させたのはミスだった」とミスを認めたそうだが、では「どの部署で」ミスしたのか?
① 検査チームがやるべき再検査を「間違えて」やらずに下船させてしまった。これは現場の「うっかりミス」である。いわゆる「人的ミス」だ。
② クルーズ船を監督指揮している責任者が「マニュアルを間違えて」下船を許可した。これはマニュアルが再検査するように指示しているのに「しなくていい」と勝手に判断して下船させたもの。厚労省の指示ではないので、現場担当者の「勘違いミス」である。いわゆる「伝達ミス」だ。
③ 厚労省が決定し、現場がその通りに実施したことであるが、「よく考えてみると正しい判断とは言えず、間違いだった」という対応の誤り。これは「指示のミス」である。いわゆる「判断ミス」だ。この辺を厚労省は「オペレーションミス」という曖昧な言葉で誤魔化している。
ところが、クルーズ船から下船した広島在住の男性が「2日間に渡りTBSのワイドショーに電話出演し」、何度も現場で「再検査を申し入れていた」、と証言しているから、一転して政府のあいまいな対応に批判が集まって来た。この男性によると、クルーズ船の担当者には、下船する前に何度も「再検査してくれ」と要求していたそうだ。ならば、何故その時には「にべもなく無視」しておいて、今になって急に再検査を持ち出したのか、しかも該当者は「23人」もいるというのである。厚労省はミスと簡単に言っているが、それにしても恐ろしいミスの量だ。そもそも厚労省の加藤大臣は「ミス」と言うのであれば、「誰がいつ、どういう手順でミスをしたのか」を明らかにしなければ、国民が納得行く説明には程遠いであろう。私は、厚労省ひいては政府閣僚・官僚の「判断ミス」だ、と考えているがどうだろうか。
私は、政府の対応が「ウィルスを日本に持ち込まない、という水際対策」に固執する余り、クルーズ船の中に「ウィルスもろとも閉じ込める」作戦を取ったことが間違いだったと思っている。それはクルーズ船の乗員乗客3700人を犠牲にしても、日本国内にはウィルスを断固として入れない、という強い信念の現れだと受け取った。日本人らしい人命無視の切って捨て方である。12、3人の感染者が出る程度の範囲で収まるのであれば、この対応でも何とか済んだであろう。だが現実には六百人以上が陽性となって病院に収容されてしまった。当初の想定と大きく状況が変わってきているのに、対応を変えなかったのが原因である。感染・発病した患者だけを治療するために「下船・搬送して国内の病院に入れる」のであれば、他の乗客も同じように下船させて「隔離・観察」をするのが理屈というものではないか。政府は「健康観察期間」として、2週間を船内に閉じ込めた。当初、PCR検査のキャパシティにより全員検査が無理ということで、発症者のみの対応となっていたのが問題である。まだ検査が出来ない人は「感染予備軍」の筈なのだ。なのに船内で散歩やジョギングしている人もいて、まるで健康そのものといった扱いだ。これで隔離・観察は有効に機能していたと認識している、なんて「よく言えたもんだ」と思うのは、誰しもではないだろうか。
感染リスクという面では、「発病しているのと、感染が疑わしいのと、殆ど一緒」なのが、今回のウィルスの特徴だと分かってきたのである(今は陰性と出ていても危ない)。その情報は早くからテレビなどでも説明されていたので、厚労省が知らないはずはないのだ。しかも潜伏期間もインフルエンザと違って、感染力は強力である。であれば、先ず「検査能力をアップ」させることとと「施設の確保」が急務であることは、誰が考えてもすぐ分かるではないか。しかし政府は「法律では云々」と及び腰で、チャーター便の対応とクルーズ船の対応を分けて、有効な対策を実施してこなかった。前回の三日月ホテルのような「男気のある経営者」が自分から手を上げてくれるのを待つのではなく、それこそ「有事立法的な英断」で施設を借り上げて、出来るだけ「小分け」して分散収容すべきではなかったか、と思う。八丈島や新島などの「離島」が私は最適だと思っているが、要は「分散と隔離・観察」である。何しろ、一緒にいたら「危ない」のだ。
そしてアメリカなど諸外国が批判に転じて、チャーター機などによる自国退避が始まったにも関わらず、あくまで「感染は5日以前、感染確認の観察期間14日を隔離して、その後は下船」という当初のシナリオを一切変えずに、世間ではパンデミックではないかと大騒ぎしている状況の変化には全く対応せず、「マニュアル通りに今回下船させた」という。全員のPCR検査を実施するというのも「世間の批判が大きくなった」からしょうがなくやっているだけで、基本にあるコロナウィルス対策マニュアルは「全然変わってはいない」ということだ。件の乗客で下船した者の中には、下船後に寿司屋へ入って「腹いっぱい食べ」た人や、言われた通り公共交通機関で家に帰ったり、濃厚接触となるタクシーに乗ったりしていて、一般人と普通に接触「しまくっている」のだから、厚労省の判断ミスの「罪」は恐ろしいレベルとしか言いようがない。案の定、今日下船した乗客から陽性患者が出た。これは「驚愕だ」とか言っている人がいるようだが、驚きでも何でも無い。
当初はこの作戦が諸外国にも一定の評価を受けていたようだ。だが事態は徐々に変化をして来て、船内感染での蔓延が起きているんじゃないかと考え方が変化し、それなら「船から脱出させなければ」と対応を変えたのである。諸外国は現場の状況に常にフレキシブルに対応していたのだ。では、何故日本は変えられなかったのか?。それは日本人の特徴である「一度決めたことは、最後まで変えない、または変えられない」という国民性によるもの、だと私は理解している。最初の対策立案者と異なった意見を出す人との議論が、どうしても「〇〇さんと△△さんと、どっちが力があるか」という「人間の優劣」にすり替わってしまうのだ。意見の違いを人間の優劣の差と捉えるメンタリティは、一度決めた意見を「容易に変えさせない方向」に圧力がかかるのである。だから対策を最初に間違えると「最後まで」変えることが出来ずに、大失敗してしまう例がとても多い。何十年も前の土地区割りがいつまでも有効のままだとか、ダムなどの公共事業が条件が変わったにもかかわらず最初の計画のまま実行される、などはそのいい例である。一度決めたものを変えない利点というのは、ひたすら「責任を負わなくていいから」の一点に集約されるだろう。
この責任を誰も取りたがらない、あるいは責任を「役職と同義」と考える日本人の「もっとも悪い習慣」が、今回のコロナウィルスの悲劇を齎したと言えるのだ。その責任逃れの典型が「安倍政権」である。この一見無関係かのように見えるコロナウィルス対応と安倍政権の関係、実は政権の体質に「現場無視・国民無視」の共通点が見られるのだ。
今日TBSのゴゴスマでは、一転「政府の対応を非難」する空気に変わっていた。出ているコメンテイターが言うには、「各国はチャーター便で帰国させた乗客を、更に2週間隔離する」という報道を見て、「じゃあ、最初の5日からの2週間は何だったのか?」と喧々諤々だ。厚労省の発表では、担当者がチェックに行ったら被験者が「部屋にいなかった」からとか、「検査日時の管理」が出来ていなかったとか、まるでもう「子供の言い訳」のレベルである。広島在住の乗客(TBSに連日生出演している人)の話では、部屋に隔離されていて「散歩に出るのも指定された時間」に許されるような状態だったそうだから、厚労省のオペレーションミスという発表の実際は「真っ赤なウソ」である(と私は思った)。この期に及んで「まだ言うか!、バンバン!」と、講談師なら机を叩いて派手に盛り上げる所である。
ちょっと前、テレ朝の激論クロスファイアで「桜を見る会」を取り上げていた。つらつら見ていて思ったが、安倍首相のコアな支持者は、安倍さんが何をやっていようがやってなかろうが、「安倍首相の現体制を支持する」つもりでいるんだな、ということだ。こうなるともう「安倍教信者」である。民主党が政権をとって「あっという間に沈没」して以来、国会は与党独裁の「形だけの議論の場」になってしまった。政治は内閣三人衆の手に握られている(ここへ来て、綻びも見えてきているようだが)。これが良いことなのか悪いことなのか、結果はまだ出ていない。ここに来て安倍首相周辺で不祥事が続いているが、思えば森友・加計学園問題から始まった「官僚の国民軽視」が、その後も続々と明るみに出てきているのである。政治家や官僚が、国民を尊重しなくなったらどうなるか。今までも国民軽視の考えは、一部の政治家や官僚の中には「ずっと伏流水のように」脈々と流れていた。ただそれが、今は大っぴらに日の当たる面に出てきたのである。それは表に出てきても「もう誰も驚かなくなって来た」ことを意味している。国民の意識が変わってきたのだ。政治への無関心が蔓延していまや「有権者感覚の麻痺」を引き起こしているのではないだろうか。この現状を分析することで、日本の未来を占ってみたい。
安倍政権が歴代最長を記録した安定政権になったことについては、野党はともかくとして、自民党及びその支持母体である資本家や企業経営者が「今の体制継続を望んでいる」ということだろう。なんだかんだ言っても安倍首相は、表面は国民の支持率を相当気にしていて、なるべく余計な波風を立てない政治を推し進めてきた。これは野党が本来の役割を失って、重要な政治問題「特に経済活性化の方策」について、有効な対案を出せないことに原因がある。野党も経済政策では「安倍政権と同じ」なのだ。これでは政権担当を変える理由が「殆ど無い」のは当たり前だろう。国会議員は、自民党にいれば選挙で受かるのだから、もはや選挙運動の対象は「官邸と内閣府」に向かっている。官僚も、人事権を握っている安定政権が長期化しているから、どうしても内閣府への「いいなり・忖度」が日常茶飯事だ。これは「するな」と言っても難しいだろう。企業も安倍首相人気に、おんぶに抱っこで甘い汁を吸っているのが現状だ。つまり、企業・官僚・国会議員が「まとめて、安倍首相さまさま」なんだから、我々下々の生活は一向に楽にはならないのである。
一般の庶民には、政権が担う高度な政治判断は中々理解するのは難しい。だから人間性・人柄を見ることで代用するのである。それしか政権中枢の適不適を測る術はないと言える。その人間性・人柄が表れるだろう「普段の言動」が、安倍政権は「国民軽視」なのである。国民軽視の人が、重要な政治判断で「国民のことを思って」何かを行うとは、到底思えないではないか。簡単に言うならば、「それが世間の常識」であろう。騙したりはぐらかしたり、説明責任も果たさず大事な公文書も廃棄したりして、いつの間にかウヤムヤにしてしまう。この方法で国民の目を逸らすことが出来ると分かって以来、何が起きても「堂々と屁理屈を並べて」誤魔化すことにしたようである。すべては、国民の意識が「政治に関わる」ことを止めて、思考停止の「安倍教信者」に成り下がったせいである。いつまでも新興宗教のように安倍政権を無批判で賛美していると、今に後悔することになりそうだ(これが、私だけであればいいのだが)。今回のコロナウィルス騒動に見る政府の不手際を見ていると、日本は「政治が雲の上に乗っかって、生活現場から遊離している」とも言える。
実は安倍政権はコロナウィルスの被害よりも、「経済失速」で富裕層の支持がなくなるのを恐れているのではないか、と私は思った。富裕層の優雅な生活を維持するためには、我々一般庶民の多少の犠牲は止むを得ない、と考えたのであろう。昔、庶民は飢饉でバタバタ死人が出ているのに、貴族はお菓子などを食べながら遊び暮らしていたと言う。案外、これが安倍政権の真実なんではないかな。
追記:PCR検査は民間業者を導入すれば検査可能
PCR検査は難しくて、今日現在一日4000人弱しか検査できない、と政府は言っている。が、TBSの「ひるおび」で明らかになったのだが、民間の業界5位の会社で一日8000人位の能力があるそうだ(数字はウロ覚え)。ならば全業者を総動員したら、何万人・何十万人という数字が簡単に出来てしまう筈である。では政府は当初一日300人などという少ない数字を発表したのか?。遅まきながら首相が拡大を宣言したにもかかわらず、だいぶ経っているのに「現在でもまだ4000人弱」である。韓国ですら一日「5000人」の検査を実行できているというのに、世界第三位の先進国がこれでは余りにも対応が「おざなりで」、厚労省は「危機感が無い」のじゃないかと批判されても仕方がない。やることなすことが後手後手で、外国の対応が素早いのに比べると、日本は不思議なくらいに「のろい」のである。これ、どっかで聞いた話だなと思って考えてみたら、尊皇攘夷の旋風渦巻く幕末の江戸幕府と「そっくり」ではないか。あれ〜?。
歴史は繰り返す。安倍政権も今は、明治維新前夜の状況と「そっくりだ」ということを夢々お忘れの無きよう。なお東京オリンピックへの影響だが、そのまんま「1年延期」することを想定内に入れておくべきだろう。その場になって慌てないためにも、今のうちから公式発表しておくぐらいの「手回しの良さ」が大事だと思うんだけど、はたしてバッハ会長や小池都知事に「その決断」が出来るかどうか・・・。
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