まずニュースを聞いた時、学校関係者がコロナ陽性で大会に出場出来ない、というのは如何にも大袈裟だと思った。陽性反応が出た人は教職員でも生徒でもないと報じられ、野球部員も濃厚接触者じゃないというから、多分用務員かなんかだろう。高校野球で甲子園を目指そうという「人生の一大事(これもちょっとどうかと思うけど)」に、普段関係のない「一学校関係者」がコロナで陽性反応になったぐらいで「全校臨時休校」だというのは「やり過ぎ」じゃないだろうか。流石鳥取と言うか、あくまで「感染者ゼロ」を目指して日々県民が必死の思いで自粛しているんだろうなぁ、と想像した。イギリスでは一日5万人の感染者が出ていても「規制完全撤廃」を決行したらしいのに、である。余りにもイギリスと鳥取県の意識の違いに、正直に言って言葉がなかった。
コロナに対する世界の潮流は、もう新しいフェーズに入っている。それなのに鳥取は・・・なのだ。第一に、選手が濃厚接触者でなければ、出場でかまわないではないか。あるいは選手の何人かがコロナ陽性であったとしても、陰性が証明された選手は出場という考え方も、当然ある。第二に、米子松蔭の試合日を後回しにすれば、多少の影響はあったにしてもなんとか開催は出来る筈だ(実際にはこの方法で出場)。なのに鳥取県の高野連は、「コロナが出た」というだけで問答無用でルールを適用した。県連は選手のことより「スケジュール通り行う」ことを優先させたのである。これはオリンピックで武藤事務総長が小山田氏を続投させようとしたことと、根っこは同じ。何を目指している大会なのか?、というのが「すっぽり抜け落ちている」事務的な処置だ。
いろいろあったけど、なんとか「やり遂げた」というのがスポーツの精神だし、教育上も正しい対応だと私は思う。一番情けないのが「スケジュールを守る」ことじゃないだろうか。日本人の悪い癖である。まあ、高校球児にとって甲子園出場がどれほどのものかは分からないが、もうそろそろ「人生を賭ける」というのはやめた方がいい。これはオリンピックでも言えることで、ネットがこれほど発達した現代で「自国開催」など、どれほどの意味があるかは大いに疑問と言わざるを得ない。誰が一番なのかを決めるのに、「4年に1度」しかやらないオリンピックは必要ない、というのが私の意見である。選手には能力のピークというものが厳然とある。だから毎年行われる世界陸上とかワールドカップとか、競技ごとにある世界大会のランクを「最高」に格上すべきだろう。バッハ会長に象徴されるような「ぼったくり貴族」の跋扈を許している「オリンピックと言うブランド」は、百害あって一利なし、と言いたい。
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