明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

考えるヒント(16)クリスマスの過ごし方

2023-12-12 22:30:00 | 今日の話題

世間じゃクリスマス、盛り上がっているんだろうねぇ、知らんけど

1、今年のクリスマスは驚くほど何もない
今日は何もせずに朝からCSのMTVで、年間カラオケランキング100を聞いていた。出てくるアーティストは殆ど知らない名前ばかりが並んでいて、やっぱりカラオケは若い人のものなんだと再認識した次第である。しかしそれにしても曲作りが低年齢化している。勿論ビートルズが世に出て以来、若者が自分達に向かって「自分達と同じ世代の感情」を歌って共感を得るパターンが定着したのは、時代の流れであろう。その戦後のベビーブーム世代が今では高齢者の仲間入りを果たし、愛唱する楽曲は「昭和歌謡」として懐かしがられて再ヒットしているそうだ。歌は世につれ世は歌に連れ〜といって、歌とその時代に生きた感情とは不可分である。

我々はいつも「大人の世界」に憧れて生きてきた。今の若者も「先行する者」の後を追って駆け出していくことに変わりはないが、その先行する者の年齢が年々下がって来ているのである。昔は夢を歌い、理想と挫折を歌って共感を呼んだ。今の若者はもっと身近な、ありふれた手に届く出来事に対して、恋したり泣いたり怒ったり、要するに「日常または日常にある感動」を歌っている。これは今の若者が大人になった訳では決してなく、単に生活が向上して、昔は努力してやっと得られた高価なものが、今は誰でも手に入る程に「社会が豊か」になった、と言うに過ぎない。

外見は変わっても本質は変わってないのだ。そう考えると人間って、アマテラスの大昔から皆んな「同じ悩み」を持っていたんだなと分かる。それは一言で言うと「幸せって何だろう?」ってことではないだろうか。この「永遠のテーマ」を誰しもが歌にし、それを歌うことによって「その幸せを願い」、願い続けることで己を奮い立たせ再確認しているのだ。私は、歌とはそういうものだと信じている。

2、私のライフワーク
a. それは歴史全般、中でも奈良以前の「古代史」を完璧に知り尽くす事である。平安以降は記録が充実していて、謎が殆ど無いので私の謎解きという「研究対象」からは外れている。僅かに、明智の謀反や利休の切腹それと浅野内匠頭の遺恨は、まだ解明されてはいないようだが、それも煎じ詰めれば「個人の心の内」の問題なので、本来は「分からなくてもしょうが無い」とも言える。まあ、これらはどちらかと言うと歴史の範疇でなく「人物ドラマ」として描くべきだろう。

歴史の謎と言うのであれば、もっと「事実そのもの」が明らかになってない事に絞るべきである。例えば邪馬台国の場所だとか天武天皇の出自とか、または日本書紀は嘘ばっかとか壬申の乱は九州とかのセンセーショナルな問題がそれである。これらは「日本の成り立ち」そのものに関わってくる重要な問題にも関わらず、未だに「解明の糸口」さえ掴めてない状況だ。私は何とかして。これらの秘密を解いてくれる人が出てくるまで(自分ではとても解くのは無理なので)、どうにかして長生きしたいと思っている。つまり、これは「死ぬまで追究し続ける」私のライフワークである。

b. 歴史を私のライフワークとするなら、趣味としてずっと続けたいのがクラシック音楽である。 特にモーツァルトが大好きで、それとショパン。楽器で言えばピアノが好きなのだ。だからショパンにバッハの鍵盤作品、あとはブラームスとシューベルトとシューマンが好みである。最近はリストも聞くようになって、幅が少しだけ広がった。しかし音楽はロック・R&B・ポピュラーから映画音楽にジャズにカントリーまでと、何でも聞く。勿論、邦楽も何でも、である。但し、韓国ダンス系や坂道とかラップはどうも好きではない。

そう言えば年を取ると、人間大体「決まった曲」しか聞かなくなるようである。これは食べ物でも同じ事が言えて、私の場合はスーパーで何百種類もある食材の中から、買うのは納豆とめかぶに豆腐とヨーグルトとクラッカー、そして唯一お気に入りのアイスモナカと全部決まっている。それに麦飯パックと四元豚トンカツ一枚は月一で、全部銘柄は決まったものだけしか買わないのだ。もう食べ物で新しい食材にチャレンジしようとは思わない年齢になったとも言える。

しかしこれは、年取って「冒険が出来なくなった」というよりは、年齢と共に「自分の好み」がハッキリしてきたせいだと考えたほうがいいかも知れない。もう人生、残り少なくなってきたら、冒険より「安全安心安定」である。私の生活も、着る服はいつも同じで新しいのは買わなくなり、外にも出ないでテレビ三昧の毎日になって来た。

唯一、極めようとしているのが「ゴルフと読書(知識)」である。これだけは未だに研究心が旺盛だから、まあ、ゴルフは体力が必要なので無理かとは思うが、「読書」だけは死ぬまでトライしてみたいと思っている。なお今、来年に読んでみたい本は「紅楼夢 全8巻」にした。中国は歴史が長く民族も多様で、市民文化が見事に開花して「まさに宝庫」と言える。宋王朝は文化の華やかに花開いた爛熟期であり、紅楼夢はその頂点だという。日本の平安朝に匹敵する人間模様が描かれていて、読めば読むど引き込まれる世界だというから、今回は万難を排して読み切る決意である。問題は買うか図書館で読むかであるが、最初はお試しで図書館に行くつもり。期待通りの内容なら、その時は買ってもいいかなと思っている。

3、芸人の休み
こないだ芸人を50人集めて今年一年活躍した人云々の番組があった(ダウンタウンだったか?)。それによるとニューヨークとか青春の光とかパンサー向井とか、一日に10か所とか20番組とか回って、しかも休み無く「寝る時間も削って」仕事をこなしているらしい(私は毎日10時間は眠っているが、ちょっと寝すぎかも・・・)。中堅どころの彼らにしてこの状態だから、錦鯉やウエストランドなどはホントどうなっちゃってるんだろうか?。恐ろしい稼ぎっぷりである(億はいってるらしい)。

まあ、人気商売の彼等にすれば「売れてる時が稼ぎ時」という気持ちなのだろう。それにしても、労働基準法無視の過酷労働を強いている興行側の配慮というのは、芸能界には無いものなのか?という疑問が湧いてくる。昔、「正月の三が日」はどこも店が閉まっていて、人々は家族で「おせち料理」をつまみながら、ゆっくりと新年を迎えたものである。ところが今は芸人に限らず、人気のある売れてるタレントや俳優・ミュージシャンは引っ張りだこで、365日休み無くずーっと働き通しだそうだ。

幸いコロナが流行ったおかげで「リモート」という形態も市民に認知されるようになり、録音録画技術の進歩で前収録が多くなった。そこで提案だが、クリスマスから年末は仕事が立て込んでも仕方ないとして、せめて松の内いや「三ヶ日」だけはテレビもラジオもコンビニもスーパーも、「一切の店」が営業をやめて店を閉め、「完全な正月」として、すべての人にゆっくりと休日を楽しんでもらうという条例を制定したらどうだろう。

勿論、警察と消防と病院だけは動いてないと困るが、それ以外は完全に休みにするのである。一度、全部を元に戻して「憲法に保証された自由平等の世の中」にし、3日間だけでも「お互いが対等で平和な社会」を満喫したら、これはこれで素晴らしいことだと思う。そして車やバイクなどの移動も禁止すれば地球温暖化にも優しいし、地域社会やご近所さんとの「挨拶・会話」なども弾むだろうから、一石二鳥だと思うけどどうかなぁ?

前もって準備しておけば、3日位は何とでもなる。来年の正月は、試しに「国民全休」にしてみるのも良いかもね。



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