明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

デジタル弱者の戦い(15)今時の若者事情とSNS・・・後編

2024-02-01 13:19:00 | 今日の話題

今のSNS流行の元は「社会」というものが変わってしまった事にあるのだと私は考えました。社会と個人の関係が変化して、今や社会が遠くに追いやられて「狭い範囲の仲間同士」で全てが成立するようになってしまったのではないでしょうか。つまり今までの個人が所属する「社会という大きな規範」の代わりに、それとは異質の、意見を共にする仲間だけが集まった「例えて言うならば暴走族のような感覚」のグループが無数に出来上がって、今のSNSを支えているように思えます。

そう考える事で、今のSNSで問題になっているフェイクニュースや誹謗中傷やその他多くのことが見えてくるんじゃないだろうか。彼らはもう我々とは「同じ世界」に住んではいないのである。例えばエンジン音を響かせながら交差点で騒ぎまくる暴走族に普通の社会通念を押し付けても無駄なように、SNSを私物化する連中というのは既に「我々とは別物」になっていると思うのです。

これは暴走族の少年が大人になって社会というものの中で暮らして行かざるを得なくなるにつれて自然と社会感覚を身に付けて行くように、年を取ると否応なく教育によって「多少の分別」が付くのが今までだった。だがこれからは社会から離れて「どんどん個人の中」に深く潜り込んで行き、大人とか子供とか関係なく「社会の外でグループ化」するようになってくる気がする。この流れは変えられないと私は思うのだ。時代はテクノロジーの進化と共に物凄いスピードで実社会の人間関係から分離し、「仮想空間」の中で限定された関係に移行して行くのではないか。

この動きに対処する方法としてはSNSというものを「公共の場」と考え無い事であろう。私もブログを書き始めの頃は見知らぬ人からの心無いコメントに酷く気付けられ、悩んだ時期があった。しかしそれを「完全に無視する」ことで、その後コメントは一切来なくなったという経験がある。私の書いたブログは「公に対して」発表したものだから、もしその人がコメントをしたいのであればその人の意見、つまり私の書いた問題について「自分なりにブログを書けば良い」と思うのです。それがブログとして立派に成立し、内容が人々の受け入れるものになっているのであれば、私が意見を書いた意味もあると言えると感じます。

書くだけの中身もなくてただ文句や誹謗中傷だけ言ってるような連中のコメントは、交差点で騒いでる暴走族と同じじゃないでしょうか。一顧だにする価値も無い、そう考えましょう。世の中の人は実直に、社会の中で周囲の人と協調して暮らしています。その中で「ちょっとした発言の場」をSNSに求めているだけだなのです。もし自分のブログが公の場で発表されるとしても、臆せず堂々として笑顔でいるのでは?

SNSが常に「社会の中」にあること、それが平和な暮らしを尊重する原点だと思います。



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