今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

もう証拠品はいらない

2012-02-02 11:15:47 | 実践

英語関係の諸々を少しずつ断捨っている。

これはなかなか時間がかかるし、イチイチ辛い。

なぜなら…、思い起こせば遥~~~か昔、

15歳くらいからの想いがこもっているから。

私が曲がりなりにも英語の道へと進路を取ったのがその年齢。

何年分とは明記しないが、かなり年季が入った想い入れだ。

それぞれのステージで、精一杯努力した証拠品、
ホイホイと捨てられるわけがない。


たとえば、これ。



自作の単語リスト。

通訳の勉強をしていた頃の物で、
ジャンルごとに使いそうな単語をびっしり書き出してある。

それも生物テロとか、予防接種とか、核不拡散条約とか、
宇宙ステーションとか、液晶ディスプレイの商品化とか、
エネルギー産業の未来とか、ロボット技術とか、
…日本語で聞いても分からないようなジャンルも多々ある。

どんな依頼にでも応えられるよう、不得意分野のことも詳しく調べていた。

涙ぐましい努力のあと。

ちょうど子育て中だったと思うけど、頑張ってだんだなぁ…、私。

そういえば、日本通訳士協会の通訳士の資格も取ったんだった。


そして、これ。



人生、死ぬまで勉強…って、思ってたんだな。

それ自体は崇高で立派なことだけど、その観念に縛られる必要はない。

常に学べ…って、私に植えつけたのは、やっぱり母親かな。



さらに、通訳学校の成績表や講評。

京都の学校まで、週に1回、始発の電車で通っていた。

夥しい数のテープも出てきた。

通訳練習中の自分の声が入っている。

こっぱずかしくて、聞けないけど。



英語とは関係ないけれど、こんなものも。

子供たちの小学校で、
広報委員や図書ボランティアをしていた時のお知らせ各種。

PCを使い始めた頃で、レイアウトに四苦八苦したのを覚えている。

これも過去の栄光グッズなのかな…。


ここから見えてくるのは、

頑張ってる、頑張ってる、頑張ってるから…と訴える過去の自分。


うん、そう。確かにすごく頑張ってた。

それは私がよく知っている。

だけど、ギリギリまで無理して頑張って、
自分の存在意義を証明する必要はどこにもないんだよ。


単語リストや教材や成績表と向き合いながら、
こんな想いとも対峙している。

だからサクサクとは進まない。

でも時間がかかってもいい。

だって、これはとても大事なことだから。



おまけ



これは息子が頑張った証拠品。

センター試験の過去問と練習問題。

学校や塾にもあるから、これで全部ではないが、
高さにして33センチもある。

この努力が実を結ぶといいなぁ…。

今週末から、私立入試が始まる。



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辞書が象徴するもの

2012-01-09 10:35:11 | 実践

来年のことを言うと鬼が笑う…らしいが、
前年のことを言うと、誰が笑うのだろう…。


昨年、facebookでクリスマス断捨離を呼びかけた。

三連休で時間に余裕があったからか、
はたまたクリスマスの予定がなかったからか、
(一昔前はシングルベル…とか言いましたね
けっこうたくさん報告が寄せられた。

日本全国に散らばっているダンシャリアンが、
同時期に断捨離に勤しむ…。

ただそれだけのことなのに、なにか励まされる。

1.5トンも断捨った…とか、ゴミ袋が○袋とか聞くと、
対抗心がむくむくを湧き上がる。

(*注 ↑これは間違い。
断捨離はあくまでも自分軸の世界だから、
比べたり、張り合ったりはNG)

ただどちらかと言うと、
掃除の3ステップの1番最後、拭く・掃く・磨くに時間をかけたため、
最初のステップの片付け、つまり断捨離部分は手薄になった。

…これも、これまでの断捨離でモノが減ったおかげでしょう。

ありがたや~~


だけど成果がゼロだったわけじゃない。

量は少ないが、私にとって、ひじょうに重たいモノを手放した。


それは…、これ。



小学館、ランダムハウス英和大辞典。

縦27センチ、横21センチ、厚さ9センチ。

重さにして4キロのまさに大辞典。

33歳の誕生日に夫に買ってもらった。

当時のお値段、14,800円。

あの頃にしては、大きな買い物だったはず。

よほど嬉しかったのか、裏表紙にサインまでしてある。


仕事柄、よく辞書を使う。

それも7~8万語収録くらいの辞書では間に合わない。

重たくて、開くだけでも一苦労のこの辞書、よく使った。

だがデジタル化の大波がやってきて、
英辞郎を始めとするCD辞書が台頭し、
さらには掌サイズの電子辞書やネット辞書がその座を奪った。

誰だって、手軽で、早くて、便利なほうが好きだ。

いつの頃からか、大辞典は本棚の隅っこで、じっと座っているようになった。

ずっと、ずっと、待っても、待っても、出番は来ない。

あんなに重宝されていたのは、夢だったのか。

薄っすらかぶった埃が、その厚みを増していく。


この辞書はもう旬を過ぎた。

使う可能性は、ゼロに等しい。

…と分かっていながら、これまで1度も断捨離の対象にはならなかった。



なぜなら、この巨大な辞書は私のプライドの象徴だったから。



「私は翻訳家なのよ。」と自他共に認めさせる証拠品だったから。



全盛期は、1ヶ月に3本以上のドキュメンタリー番組に字幕をつけていた。


10年くらい前に、SSTという字幕用のソフトが導入されてから、
ほとんどの作業はPC上でできるようになった。

以前はストップウォッチで計っていたセリフの長さも、
尺を指定するだけで、PCが秒数を割り出し、
何字まで使えるかを瞬時に表示してくれる。

原稿用紙に手書きした字幕を
フィルムに焼き付ける作業もなくなった。

自分の訳をその場で画面に載せられるので、
映像とマッチしているかをすぐに判断できる。


いろいろ便利になったのは事実だが、
それでも1時間番組の字幕翻訳には10日ほどかかる。

オフィス仕事ではないから、
5時になったから終わりではなく、
1日12時間作業することもあった。

それを1ヶ月に3本ということは、
ほとんど休みなく、翻訳に没頭していたわけだ。


目も頭も疲れたし、慢性肩こりで体が重かった。

幼かった子供たちとの時間を犠牲にしたことも多々あった。

たまに仕事が途切れても、疲れ果てていて、何もできない。

当然、家も散らかっていた。


…それでも充実していた。

いや、充実していると思い込んでいたのか。



翻訳を取ったら、私には何も残らない…と思っていた。


翻訳家であることで、自分の存在意義を確かめようとしていたのかもしれない。



存在意義…なんて、

私が私であるだけでいいのに、

若い私は、何かに追われるようにPCに向かった。


内面がとてつもなく未熟だったんだなぁ…。

だから翻訳家の肩書きがそんなにも大事だったのか。

もうっ、いじらしい奴




手放せなかった辞書から、そんな過去が浮かび上がってきた。


でももういいよ。

すでにナショナル・ジオグラフィックやアニマル・プラネット等、
300本以上の翻訳をこなしてきた。

十分にやった。

培った字幕の技術は惜しいから、
これからは映像祭などで後進の育成に役立てれば、それでいい。

私には次のステージが待っているはず。



大辞典が去った後の本棚に、
ぽっかりとスペースが空いた。

重量だけでなく精神的にも重かったモノがなくなった。


この軽さが、ゆとり…という豊かさなのかもしれない。



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気楽なお正月

2012-01-06 11:28:57 | 実践


あけましておめでとうございます。



momoんちのお正月は、…なんというか、こんな感じだった。



つまり、一見普通の日となんら変わらないけれど、
そこはかとなく正月~~みたいな。
(バラとガーベラに、さりげなく葉ボタン)


大掃除はできる範囲でいい…と最初から決めていた。

だって生活っていうのは、1年365日のたゆまぬ営みで、
掃除は毎日のルーティンワーク。

年末だけが特別だと思うと、すごいプレッシャーになる。

毎日、少しずつコツコツやれば、それでいい。

家中、ピッカピカに磨き上げたら、そりゃ気持ちいいとは思うけど、
なにも忙しない年末に集中してやらなくてもいいはず。

ちょっと手間のかかる掃除は、
体力と気力が充実している時、
水が冷たくない時、
自分の気が向いた時にやればいい…、と私は思う。


お節料理も1段。

ここだけの話、お節とお雑煮が嬉しいのは、実は初日だけ。

何度も続くと飽きてしまう。(太るし・・・)

本当は1~2食分あれば十分なんじゃないかな…。


年賀状も年が明けてから、いただいた分にお返しをするだけ。


…だから、お正月を迎える準備は、とても簡単だった。

普段の家事に若干のプラスアルファ。

気合を入れて、へとへとになるまで頑張った以前の年末とは大違いだ。


おかげで子供たちと一緒に、ゆっくり紅白を見ながら過ごせた。


もちろん1年の締めくくりとして、
また気持ちよく新年を迎えるため、
一生懸命頑張る人を否定するものではない。

日本の伝統でもあるし、
家族総出の大掃除は、結束を高め、
互いへの感謝の念を生み出す。



実家の母は、伝統行事を、毎年、きちんとやる。

大掃除をして、お正月らしい花を生け、
お節料理も3段重で用意する。

元旦の初詣も欠かさない。


それはそれでいいものだと私も思う。

家庭から伝統文化の継承に貢献している。


だが幼い頃から、そんな母の背を見てきたはずなのに、
同じようにしたいと思わない私がいる。

いや、「したくない」・・・じゃなく、「できない」なのかも。

素敵だと思うけれど、私には無理。

母の意や教えに反するけれど…。



だけど、それでもいいじゃない…と堂々と言えるのは、
断捨離で確立した自分軸のおかげだろう。

母のやり方を踏襲していなくても、罪悪感はない。

後ろめたく感じたり、無理してでも同じようにしなきゃ…という焦りはゼロ。

実家のきちんとしたお正月も好きだし、我が家の気楽なお正月も同じように好き。

それでいいんだ…って、なんか心地よい。



これが実家の元旦の食卓。


はいはい、お母様には敵いませんって。

でも私は私のやり方でいくからね。





行きつ戻りつですが、2012年も断捨離道をまい進いたします。

本年もよろしくお願いいたします



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成長の証…?

2011-12-30 15:33:52 | 実践

12月中旬、娘が部活の友人と大阪に遊びに行った。

USJや海遊館に行くのかな…と思いきや、
道頓堀でB級グルメを食べまくったんだとか。

花も恥らう女子高生が食い倒れツアーって…


食欲を存分に満たしたら、あとはショッピング。

なにやら山ほど買い込んできた。


食べて、喋って、ショッピングして、とても楽しかったらしい。


娘には小出しにちょこちょこ断捨離の話をしている。

乱れた部屋は乱れた心を反映しているとか、
片づけをしてから勉強したほうが、絶対効率がいいとか、
八方ふさがりの時は、部屋の詰まりをなくすと、事態が好転しやすいとか。

素直な彼女は、母の言うことを真に受けて、
時々思い立っては断捨離をする。

要・不要の判断基準はとっても甘いが、
まだ子供なので、深くは追求しない。

一番大切なのは、本人の意欲なので、
小さな芽を摘まないように、つぶさないように、
断捨離で得られるすっきり感を何度も体感してくれれば、それでOK。


…で、今回も、お衣装が増えたので、
その分、要らないモノを出したら…?と水を向けた。

そうしたら、あっと言う間にバスケットが山盛りに!


イーストボーイのワンピやラルフ・ローレンのポロシャツが、
惜しげもなく断捨られている。


え~~っこれも要らないの


バスケットの中身を、思わず取りよけようとする執着だらけの母。


いかん、いかん、
持ち主本人が不要と判断したのに、
私が待ったをかけて、どうする!

娘は自分の感性に従って、取捨選択をした。

私の趣味や好みは関係ない。

これは娘の自分軸による選択なのだ。




空いたスペースには新しい服が収まった。


いかにも、わ~~大阪…な服がいっぱい。

ヒョウ柄の模様が入っていたり、
袖と襟に派手なフェイクファーが付いていたり、
裾がアシメになっていたり。

…私が絶対選ばない服ばかり。


そうだね。

親娘といえど、好みは違う。

自分がいい!…と思う服を、自由に選んできたんだね。
(お年玉が許す範囲で…)

自分が着たいと思った服、
自分のテイストにマッチした服、
自分で選んだ服。

だから、着たら気分もいいし、大切にもするだろう。


そっか…、イーストボーイ風、
つまり、私の好きな服はもう卒業なんだね。


あどけなかった娘は、どんどん成長して、ギャルと化す…



ご主人様が成長しても、ずっとずっと永遠に忠犬。


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戦果報告

2011-12-17 07:08:24 | 実践

出歩くのをやめてお掃除に勤しんだ水曜日。

夫の依頼を断って、断捨離に没頭した木曜日。

やればやっただけのことはある。

頭と手を使うと、その分、成果はきっちり上がる。

今まで、なかなか進まないな~~とぼやいていたけれど、
実は口ばっかりで、単に体を動かしていなかっただけかも。


ひでこ先生は講座でアリの例えをよく使う

アリ300匹を取り除くのは大変だけれど、
1匹ならすぐできる。

小さなアリ、たった1匹であっても、取り除けば確実に数は減る。

最初から大物や難易度の高いモノを狙ったり、
一気に大量断捨離を試みるのではなく、
毎日、できる所からコツコツやっていく。

断捨離は生き方のツールだから、
日々実践してこそ、その真価が発揮される。

そして残った299匹を見てため息をつくのではなく、
いなくなった1匹にフォーカスして、
昨日より不要物が減ったことを喜び、
この小さな1歩を達成した自分を認めましょう…とのこと。


講座でフンフンと聞いていたことが、
実践の場で、突然現実味を帯びて腑に落ちた。


今回の成果はこんな感じ。



まずキッチンから出たモノ。

キッチンを断捨離するのは、これで何度めだろう…。

その都度、もうこれでないはず…と思うが、
少し時間を置くと、またぞろぞろ出てくるから不思議だ。

これは自分のセンサーが精度を増しているから。

要・不要の判断基準がどんどんアップしているから。

こうやって螺旋階段のスパイラルを上がっていくのだろう。




次に2階寝室のクローゼットから出たモノ。

独身の頃から使っていたスキーバッグ、
ここ数年、出番はなく、半ば収納ケースと化していた。

子供たちが小さい頃は、
長野や新潟へスキーに行くのが常だった。

まぶしいまでに真っ白な雪山

最初は子供たちに合わせてゆっくり滑っていたが、
いつの間にか追い越され、そのうち「待って~~」と追いかける身になった。

やがて子供はボードに転向、
横向きのまま器用に滑走し、ますます先を行く。

反抗期の頃も、家族一緒に過ごせる貴重な機会だった。

たくさんの思い出があるが、
家族4人でスキー旅行に行くことは、もうないだろう。

ちょっとセンチになりながら、
スキー用衣類を4分の1以下に厳選した。


今回のクリアボックスは2個。

…だけど、以前は数え切れないくらいあった。


私の母は、ことの外、衣類を大切にする人だった。

いや、それは違う。

母はどんな衣類も絶対に捨てない人だった。

サイズが合わなくなったり、流行遅れになったりしても、
きちんとクリーニングして、保管していた。

そういえば実家には、でっかいナガモチがあった。

面積は畳1枚分、高さは80センチくらいあったような。

時代劇にでも出てきそうな代物だ。

そこにぎっしり詰め込まれた大量の古い衣類。

なんかとてつもなく不快なオーラが漂っていた

ナガモチ以外にもクリアケースが20個以上、
立派なタンスが3棹くらい。

ただ取っておくことが、
モノを大切にしていることでは決してない。

母は一体何に執着していたのだろう…。


そんな母に洗脳され、私も衣類は捨ててはいけないと思い込んでいた。

それでクローゼットには、
もう着ない、着られない、着たくない服でパンパンになった、
クリアケースがぎっしり。

引越しの多い人生だったが、その都度、大量の衣類を運んでいた。

それが必要か否かなんて、考えもせずに。

重たかったなぁ…、いろんな意味で。


断捨離に出会って2年、
これまでに廃棄したクリアケースは、
数えていないけれど、二桁台に突入しているはず。

なんて大量の容積…。

その分の詰まりが取れたんだから、
すごく身軽になったのは言うまでもない。



今回の戦果。

不要物満載の後部座席に、言い知れない達成感を覚える。

こんなに沢山の要らないモノと暮らしていたんだ…、私。

…感無量だ。



感動的なラストに水を差すようだが、こんな凄いモノを発掘した。



冷蔵庫の奥底に隠れていた、エリンギの成れの果て。

菌類に菌が生えるって…

貴方のこと、すっかり忘れていました、ごめんなさい。



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