今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

遠来のダンシャリアン来たる

2011-05-29 09:54:18 | 断捨離とは?

遠来…といっても、車で1時間ほどの距離だが、
そう簡単に行き来できるわけではない。

主婦・妻・母は、毎日山のような雑事と格闘しているし、
そこに仕事が加われば、往復2時間はかなりハードルが高い。


それでも時間をやりくりして、わざわざ訪ねて来てくれた2人は、
ダンシャリハウスで一緒に受講した断捨離仲間だ。

受講したのは1年前、
その後、それぞれの家庭や職場で学んだことを実践してきた。

お互いもう見栄も照れもないから、素直に言える。

「私の成果を見てちょうだい!」と。

褒め言葉も批評も、どっちもウェルカムだ。



2人の目に、我が家のリビングはすっきり片づいていると映ったらしい。

おおむね合格点かな




柔らかい日差しが気持ちのいい午後だった。

窓からの風は、新緑の匂いを運んでくる。


ゆったりした時間。

くつろいだ時間。

リラックスした気持ちのいい時間。


それもこれも、邪魔なモノがない、片づいた空間があればこそ。


話もはずむ。


楽しい時間を満喫した後、1人が言った。

「豊かさって、家の中にあるんだね。」


そうだね。

きっとこの安心感と心地よさこそが、本当の豊かさ。


家の中が散らかっていればいるほど、人は外に目を向ける。

乱雑な状態を見たくないから、
そこに居てもちっとも気持ちが休まらないから、
スケジュール帳を予定で埋めて、外を飛び歩く。

行く所、やる事、会う人が多ければ多いほど、充実した毎日だ…と思い込もうとしている。

だけど外で楽しい時間を過ごしても、結局、家に帰ってくる。

乱雑に散らかった家に。

疲れて帰ってきた家が片づいていなかったら、疲れも倍増するだろう。

だけど心からくつろげる状態ではないから、身体も心も休まらない。


…だから、翌日もまた、癒しを求めて、外出する。



家に居たいと思えることは、幸せなことなんだ…と改めて思う。

そしてそんな住まいを実現する第一歩は、とても簡単。

全ては目の前の不要物を一個、処分することから始まる。




天候不順の影響か、遅れ気味だったバラがやっと咲き始めた。




その名もエーデルワイス。

バラに他の植物の名前をつけるのは、ちょっと紛らわしいと思う。




断捨離講座in金沢、第1回目は6月2日です。

残りあと4席です。



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思いがけず

2011-05-24 13:24:51 | 断捨離とは?

「ひづちか~~、久しぶり。元気?」

すごく懐かしい人から手紙をもらった。

私が花も恥らう乙女だった頃、勤めていた会社の先輩だ。

もう20年近くも連絡が途絶えていた。

当時、私が働いていた会社は、男女雇用機会均等法の施行などなんのその、
女性は正社員も契約社員も、先輩以外、全員未婚、
既婚で子持ちの先輩は再三、肩叩きに遭っていた。

だが先輩は頑として退職を拒み、
若い子たちが次々寿退社をしても、働き続けた。

働きたい人は、気持ちよく働ける。

…それが成熟した社会のあるべき労働環境だと思うが、
20年前の日本は、男は仕事、女は家庭の旧態依然とした考え方をずるずる引き摺っていた。

そんな逆境の中、先輩はいつも明るかった。

当時の私には分からなかったけれど、すごく頑張っていたのだと思う。


不景気のあおりを受けて、金沢の営業所は縮小され、
現在、先輩はなんと東京に単身赴任中。

お子さん達はすでに独立されたと思うが、本当に固い信念を持ったすごい人だと改めて思う。


…で、その先輩が、なんで20年ぶりに突然便りをくれたかと言うと、
東京で“ソロモン流”を見ていたら、私が出てきて、びっくりしたから…だそうだ。

金沢では放映されていない番組に、ちょこっとだけ出演して、
それを東京にいる先輩が偶然見ていて、懐かしくて手紙を書いてくれた。

…なんか、じ~~~んとした。


嘘みたいな本当の、偶然が手繰り寄せたご縁。

こういうのを人智を超えた…って言うのかな。


ひでこ先生は、断捨離をして住まいと心をすっきり整えると、
詰まって停滞していた場所に、流れがよみがえり、
私たちの小さな脳みそで想像しうる以上の凄いことが流れ込んでくると、仰っていた。

ソロモン流をきっかけに、先輩と連絡が取れるようになるなんて、
全く思ってもみなかったけど、すごく嬉しいことだった。


それにしても、住所が分からないから…と、
「金沢市○○町○丁目 角の茶色い家」という宛名で出した先輩も、
それでちゃんと届けてくれた郵便局の人もあっぱれ



それと、たまたま生徒の引率で埼玉にいらした私のバレエの先生が、
ホテルに戻って、シャワーの前にテレビをつけた。

何を見ようという目的があったわけではないが、
たまたま入ったチャンネルがソロモン流で、
しかもつけた瞬間に私が映っていて、ええええええっ?と目が釘付けに。

そのまま最後までご覧になったとのこと。

もしかしてこれが先生と断捨離の出会いになるかも…。


テレビって凄いな…と思わせる出来事だった。



凄い偶然…と思えるような出会いや出来事、
きっと断捨離講座in金沢でも起こると思う。

自分のコントロールが全く及ばない、偶然の巡り会わせって貴重なうえに、
往々にして、運命的な出会いだったりする。

だから人生って面白い。


(ちなみに、ひづちかは当時のニックネーム)



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STOP・ザ・先延ばし

2011-05-20 22:50:50 | 断捨離とは?

特技とも言える、私の徹底した先延ばし体質。

これのおかげで散々苦労してきた

ちゃっちゃとやってしまえばいいのに、
今、すぐ、やってしまえばいいのに、
今日できることは、今日やってしまえばいいのに、
おそらくやり始めたら、数分か数十分で終わるのに、
済ませてしまえば、気持ちがいいと分かっているのに、

先延ばしする。


た・と・え・ばーーーーー



とか



とか




缶からあふれ出した小銭は銀行へ。

使用済みのプリンターインクは、回収ボックスへ。

欠けた一輪挿しは、瞬間接着剤で修復を。


どれも、ほんの一瞬でできることなのに、もう何ヶ月放ってあるだろう…。


捨てようと思っているのに、
ゴミステーションへの搬入が面倒くさくて置きっ放しになっているプラスチックの脱衣かご。

子どもの教科書を再利用してくれるNPO団体に、
送るつもりで梱包したけれど、そのまま鎮座しているダンボール。
(諸般の事情で学校に通えなかったが、
20代・30代になってから再び勉強したいと思い立った人たちをサポートするNPO団体がある)

支払う意思はあるのに、振込みをしていない請求書。

夫が部下一同にプレゼントしてもらった仕事用ズボン。
哀しいかな、いっぱい裾を切らないと履けない。
アイロンを出してくるのが億劫で、裾上げがいつまでたっても終わらない。


こういった類の、いつかはやるつもりだけれど、
たいした理由も無く先延ばしにしている雑事が山ほどある。

やらない訳じゃない。

いつかはやるんだから、いいじゃない。

でも、それって、いつ?


友人のご主人は、とても几帳面で、郵便物は開けたその場で処理していく。

捨てる物、ファイルする物、支払いをする物、書き込んで返送する物を、
ちゃっちゃっと仕分けして、どんどん処理していく。

我が家のように、ダイニングテーブルの一画に仮置きされ、そのまま1ヶ月…なんて、ありえない。

すごいな…と思う。

でも一家の主婦じゃなくて、、旦那さんがそれをしてくれることが、もっとすごい。

一事が万事、こんな感じなのだろうと思う。

彼女の家は、いつ訪ねても玄関が整然と片づいている。



片づいた住まいに憧れるなら、先送り体質は大敵だ。

後でやる、明日やる、いつかやる…は甘美な誘惑だけど、
今やってしまう選択肢だってある。

その日の懸案事項がその日のうちに片づいてしまえば、どんなに気持ちがいいだろう。



「今、すればいいじゃありませんか!」

テストがまだだと止めるエンジニアに、
こう叫んで、未知の機械を作動させた女がいる。(←分かる人にしか分かるまい

コスモクリーナーほど大げさなことではないけれど、
日常の雑事は、今、すればいいじゃありませんか?



断捨離講座in金沢が10日後に迫った。

せめてこの10日間、先延ばしして溜まった雑事を順番に片づけていこう。

日常の諸々に追われてばたばたしている自分を、講座に向けて整える意味でも。



とりあえず小銭とプリンターインクと花瓶と裾上げは処理完了




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過去の買い溜め

2011-05-03 08:57:00 | 断捨離とは?

ほとんど手をつけていなかった、リビングの飾り食器棚の下段。

ガラス扉じゃないので中が見えず、
何が入っているのやら、外からは窺い知れないブラックホールのような空間だ。

先日の取材の折に、よりにもよってそんな所を、ひでこ先生に見られてしまった


…もうこれ以上、見てみ見ぬふりはできないから、意を決して扉を開ける。


中身を全部出してみると…


あれ、あれ、あれ~~~~?


なにかしら、これは。



マスクがどっさり出てきた


そう言えば、今を去ること2年前の冬、
日本列島は新型インフルエンザの猛威にさらされ、
老いも若きも、未知のウイルスに冒されたら…と戦々恐々としていた。

ワクチンが不足していて、接種は乳幼児、妊婦、高齢者、慢性疾患がある人が優先で、
働き盛りの私たちや中高生は、
よしんば感染しても、体力があるから死ぬことはなかろうと後回しになった。

最初は2回接種が原則だったが、1回でもOKなことが分かり、
厚労省の接種方針は週単位でコロコロ変わる。

その度に新たな情報に惑わされて右往左往する一般市民、
やがて自衛するしかない!…と、マスクを求めて薬局に殺到した


震災時に水や保存食料、電池等が一瞬にして消えたのと同じく、
店という店の棚から、マスクが無くなった。

工場はフル回転、でも入荷は未定。

マスコミの煽りもあり、半ばパニックに陥った私たちは、
わざわざウイルスが飛び交う町を、マスクを求めてさ迷った。(←ちょっと大げさ


そんな最中、たまたま運よく入荷に遭遇すると、
自宅の在庫量など考えもせずに、とにかく我先にと購入したマスクだ。


結局、ワクチンの順番を待つうちに、多くの児童・生徒は感染し、
一度罹れば免疫ができるので、その後はワクチンもマスクも用なしとなる。

もう感染したから…とワクチンのキャンセルも相次ぎ、
騒ぎが収束してみれば、200億円分以上のワクチンが接種されずに期限切れを迎え廃棄された。

海外でも不足するワクチンを、かき集めて輸入したというのに、なんとも勿体無い話だ。


政府レベルでは、ワクチンの過剰な準備、
(しかも供給時期が遅すぎて、ほとんどが手遅れ)
個人レベルでは、マスクの過剰な買いだめ。

残ったモノは、膨大な廃棄ワクチンと、戸棚の奥で忘れ去られたマスク。


さらに新型インフルエンザは、殺人ウイルスではなかった

これまでになかった新種のウイルスだが、
罹ったとしても、症状は、発熱、喉の痛みや咳、お腹の不調など、通常のインフルと変わらない。

不足気味ではあったが、タミフルやリレンザが有効な疾患だ。

(※確かに犠牲者も出たが、季節性インフルエンザでも毎年亡くなる方はいる)



この大騒ぎから、私たちは何かを学ぶことができただろうか。

不様な失敗をしても、それを次に生かすことができれば、それは進歩と言える。

だけどモノやコトが変わっても、同じことを何度も繰り返すのは、少々恥ずかしいことかもしれない。



少なくとも私は、今回の震災後、品薄な店を見ても、慌てたり焦ったりしなかった。


モノがなくても、なんとかなる。

本当に必要なモノは必要な時に手に入る。

また私には必要なモノをゲットする才覚がある。

・・・そういう風に自然に思えたのは、断捨離の考え方が浸透してきたからだと思う。




私が断捨離ハウスで講座を受け始めたのは、
ちょうどこのインフル騒ぎの真っ只中だった。

ひでこ先生とEMIさんと私、3人ともワクチンにはありつけなかったが、
誰一人罹患することなく、7回の講義に1度も穴をあけず、最後まで受講できた。

これって、私たちが特別頑丈だったからではなく、
この時期に、この講義を受けるべく定まっていたからだと思う。


会うべき人には、会うべき時に必ず会える。

ひでこ先生がよく仰る言葉だが、ベースはこれと同じだ。


つまり断捨離を学ぶべき人は、学ぶべき時に、必ず学べるということ。





断捨離講座in金沢、申し込み受付中です。

間もなく、早期受付割引の適用期間が終わります。

迷っておられる方は、お早めに。

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せ・い・ひ・つ

2011-04-30 09:48:00 | 断捨離とは?

静謐って、こんな字を書くんだ。


1 静かで落ち着いていること。また、そのさま。「深夜、書斎に過ごす―なひととき」

2 世の中が穏やかに治まっていること。また、そのさま。「―な世情」  by大辞泉


辞書にはこうあるけれど、もっとこう…なんて言うか、
清々しさとか、畏怖の念を抱かせるような神聖な感じ…とか、
私の中では、人の世の汚れとは無縁なニュアンスがある。

もちろん散らかったとか、片づいていないとか、モノが溢れているとかは論外で、
まさに対極にある状態だと思う。


そんな静謐な空気を、最近、ほんとに時々だけど感じることがある。



汚れ物を全て片づけ、磨き上げたキッチンに、朝一番に、足を踏み入れた時だ。


余計なモノは何もなく、シンクも天板もコンロもピカピカ、
そこに朝の光が差し込んでいる。

朝早いので音も無く、
視界や心を乱す色も形も無く、
何もかもがしっとり落着いた中に、ただただ光が満ちている。


寝ぼけ眼で入ってきても、「おや…っ」と思う。

空気が何か違うのだ。


大げさかもしれないけれど、“静謐”という言葉が頭に浮かぶ。


なんとも清々しい1日の始まり。

とても気持ちがいい



ひでこ先生は神社が大好きだ。

月初めには、白山比神社への参拝を欠かさない。

セミナーで全国を周る際も、時間があると現地の神社を訪ねておられるようだ。

神社の敷地全体に漂う、静謐な空気が好きだと仰る。

本殿も参道も大木に覆われた敷地も、
そこに満ちる空気は、我々が日常生活を送る、雑事と雑念に溢れた下界とは異なると。

「断捨離に通ずるものがあるでしょ?」とにっこり


はい、確かにそうですね。


神社と我が家の小さなキッチンを比べるなんておこがましいが、
片づいて拭き清められた場所は、漂う空気が違う。


とても清々しくて、気持ちが良くて…


私は、この静謐さが好きだ



一旦はきれいに片づけても、その状態をずっとキープできないことが目下の悩み。

だけど、この気持ちよさを肌で感じ、
好きだなぁ…と深呼吸する瞬間を重ねていけば、
またこの空気に包まれて過ごしたいと自然に思うようになる。

人は他人にあれこれ指示・命令されても動かないが、
自分が心からこうしたい…と思えば、自然と身体が動く。

だから積み重ねていきたい、
キッチンの空気を心地よいと感じる朝を。


そのためには、前日の夜、少々頑張らないといけない。

きれいな状態にしてから寝る、これを徹底すれば、幸せな朝は確実に増えるはず。


気持ちいい朝を迎えたいかーーー?(ウルトラクイズ風

は~~~い



私は毎朝、特大と大と中のお弁当を作るが
清々しいキッチンで、目覚めのコーヒーを一杯飲んでから取り掛かると、
手際が格段にアップする。

お弁当にかける手間も愛情も増幅され、
朝ごはんも、ついもう一品行くか!…って気持ちになる。

そして、朝が苦手なのに、朝からそんなに頑張れる自分が、ちょっと好き



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