札幌市のギター教室から!

札幌市でギター教室を開いている、Kギタースクールの辻林圭です。ギター&ウクレレを弾きたい方はぜひお越し下さい。

エッセイ;ぼくらがギターを楽しく弾く方法 3

2022年08月02日 | ギター&楽器&作曲関連
技術的に困難な曲を弾きこなせた時の達成感はとても大きなものだ。病み付きになる。
だが、そのような難曲でなければ達成感が得られない、としたらモンダイだ。
それは音楽に対する健全な感覚を麻痺させ、スポーツの一種としてしかとらえられなくする。
最近の若手は、ギターをスポーツ感覚で弾いてる者が多いような気がする。テクニックばりばりで颯爽と弾いてはいるが、聞いてるぼくとしては、ぜんぜん面白みを感じない。音楽のもつ繊細さを感じない。

手の小さな人は、そんな演奏を目標にしちゃ、いけないと思う。

そこで、自分にあった曲のレパートリーをどうやってさがすか?
そのためには自分で楽譜を集めなければならない。
自分で身銭をきって楽譜を買う! これしかない。10冊買っても1曲しかめぼしい曲が見つからないかもしれないが、それでもいい。1曲でもあれば一生充分に楽しむことができる。
楽譜も本と同様、自分で身銭をきらなければ、身につかない。レパートリーにならない。

最近は楽譜をインターネットで無料でダウンロードしたり、コピーしたものをもらったりする風潮が世界的に強いが、これは自分のレパートリーを作り上げるにはよくない。身につかない。
身についてないものを高いテクニックで弾いたとしても、所詮上っ面だけの演奏でしかない。

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エッセイ;ぼくらがギターを楽しく弾く方法 2

2022年08月02日 | ギター&楽器&作曲関連
なぜ手の小さな人はギターを弾くために無理をしなければならないのか?

もしかしたら、「弾き難い曲」とわかった時に、それに代わるほかの「弾き易い」曲をあまり知らない、または見つけられないから、いつまでも手の大きな人用の曲を弾き続けているだけなのかもしれない。

ここで強調するが、手の小さな人が大きい人向けの曲に挑戦するのは、けっして悪いことではない。テクニックもたしかに向上するし、達成感も大きい。全てを避けるということではなく、挑戦はしたほうがいい。

だが、弾きたい曲がそのような類の難曲ばかりなのはよくない。これは、ある意味自分のレパートリーをもっていない、ということだ。

無理に難曲の練習を延々とするより、自分にあった弾き易い曲のレパートリーを探すことの方が大事だし、それに時間もカネもかけるべきだと思う。

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エッセイ;ぼくらがギターを楽しく弾く方法 1

2022年08月02日 | ギター&楽器&作曲関連
最近(そんな最近でもないけど)若手とくに小中高大生でギターのテクニックに長けた者が増えてきた。
本人たちの努力も大いにあるだろうが、ここはやはり以前よりも栄養に恵まれ体格が大きくなったことと、教材など学習メソッドの充実が一番の理由ではないかと思う。

中学生なのに大人並みの手の大きさの子もいる。
手の大きな子は左手の押弦は非常にらくらくやってるが、一方で右手の複雑なアルペジオなどで、窮屈そうに長い指をもてあましている者も多く見られる。


残念ながら、クラシックなギター曲を弾くには確かに手の大きな人のほうが有利だ。
ピアニストの青柳いずみこさんが言うように、大は小を確かに兼ねるが、小は大を兼ねない。
大きい手のギタリスト作曲家(バリオスなど)が作った曲などは、手の大きな人ほど有利に弾ける。
(なお、指が短くても横に大きく開くことの出来る人も、ギター界では大きい手の人といえる。)

ふつう、手の小さい人がこのような曲を弾こうとすると、余計に練習量を増やさなければならない。しかもそのわりには結果はかんばしくない。

そこで、これはテクニックが未熟というよりも、「知ってる曲が少なすぎる」という点が問題なのでは? という具合に発想を変えてみた。

つづく・・・

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