野生生物を調査研究する会活動記録

特定非営利活動法人 野生生物を調査研究する会の会員による活動記録です。

血吸いバッタ -ショウリョウバッター

2023-09-04 | 兵庫の自然

血吸いバッタ -ショウリョウバッター

人間の生き血を吸い取るバッタのことではなく、手でつかむと口から茶色の汁を出すことから「血吸いバッタ」と呼ぶ地域があります。飛ぶときにチキチキという音をだすのでチキチキバッタのほうが有名かもしれません。

7~10月に見られるこのバッタはショウリョウバッタです。

頭部が尖った、大きなバッタです。特にメスは大きく、8cmぐらいになります。

オスは細身で4~5cm程度と小さいです。7月から10月頃まで見られます

緑色型と褐色型や白い筋のはいっているのがいますがすべてショウリョウバッタです。見た目は別のバッタかもと思います。

これは後から色が変わるのではなくて、母親から生まれたときにすでにそれぞれの色をしています。

遺伝的に同じ色にならないよう何系統の色にわかれています。

枯れ葉が多い場所、草が茂っている場所、土が多い場所、などどんな場所で生まれて、目立たない色で生まれると生き残れる確率が高くなります。産む卵の数は100~300ほどで、卵の中どれかの個体が生き残れるような仕組みになっています。

 

明るい草のはえている原っぱが好きで、住宅地周辺でもよく見られます。特にエノコログサ、メヒシバ、カゼグサなどのイネ科の葉が大好きです。

驚くと、はねを使って遠くまで飛んでいきます。オスは、飛ぶときにチキチキという音をたてます。

どのように音をだしているのでしょうか。

オスは飛ぶときに前翅と後翅をうちあわせて「キチキチキチ・・・・・・」と音をだします。


街路樹でなくアオマツムシ

2023-09-03 | 兵庫の自然

アオマツムシ

 

街路樹で「リー・リー」とかん高く聞こえる。

アオマツムシだ。

アオマツムシは8月下旬から10月ごろにかけて街路樹の上で「リー・リー」と、かん高い音で連続して鳴いている。

アオマツムシはどちらかというと自然の森ではなく、街路樹や生け垣などでよく見られるのが特徴だ。

体長は20~25mmくらいで、鮮やかな緑色、オスの背中の羽には茶色い斑紋がある。

幼虫 ・成虫 とも夜間活動型で、日中は隠れてじっとしている。

夕方ごろからは活発な歩行活動を行う。

秋の終わりに、細い木の枝に卵を産み付けて死んでしまう。

卵で越冬、翌年の初夏に幼虫がかえる。

 

明治時代 1898 年に東京で発見され1970年ごろから、都心部などで急激に増えてきた。

中国からはいってきたといわれている。

関西で広がりはじめたのは戦後のこと。

関西では植木の産地の兵庫県宝塚市山本地域から広がりはじめ、大阪、京都を通って滋賀県に広がった。

 


日本に一番最初にやってきた外来のカミキリムシーラミーカミキリ

2023-09-02 | 兵庫の自然

日本に一番最初にやってきた外来のカミキリムシーラミーカミキリ

 

カミキリムシといえば最近はサクラなどを枯らすクビアカツヤカミキリが有名です。

特定外来種に指定されています。

それ以外にも果樹の害虫であるツヤハダゴマダラカミキリや街路樹に被害を与えるサビイロクワカミキリの被害も多く報告されています。

 

ラミーカミキリは樹木に被害をあたえない,

愛好家に人気のカミキリ虫です。

しかもカミキリムシで日本に一番早くやってきました。

 

もともとはインドシナ半島,中国,台湾に分布し、江戸時代長崎で見つかったという記録があります。

繊維の原料であるラミーの根について入ったと考えられています。

 

1930年には宮崎県, 1938年には福岡県, 1940年代には四国,兵庫県,愛知県,神奈川県につぎつぎと侵入定着しています。

 

兵庫県では、1948年に有馬温泉で見つかっているのが最初です。

 

幼虫はカラムシなどイラクサ科の茎の中で育ちます。

最近の研究ではマメ科のフジやムクゲなどが寄生植物になっています。

 

かつては兵庫をはじめ関西に生息する昆虫でしたが、今では関東までも生息するようになりました。

冬期の平均気温が4℃以上あれば生息できるため、温暖化の影響で分布が北上しているようです。

 

 


里地里山の1年 8月下旬の里地

2023-09-01 | 里地里山の1年

里地里山の1年 8月下旬の里地

 

イネの穂が金色に色づき田んぼはもう秋の気配・・・

ですが現実は8月、猛暑日がつづきます。

田んぼの上にはアカトンボがたくさん飛んでいたので手当たり次第に写真をパチリ。

 

草花は秋の花が

ゲンノショウコ、ワレモコウ、ツリガネニンジン、

ヒメアカネ、アキアカネ、リスアカネ、マユタテアカネ、

ツマグロヒョウモン、ショウリョウバッタ、コバネイナゴ、クビキリギスなど


里地里山の1年 8月下旬の里山

2023-08-31 | 里地里山の1年

里地里山の1年 8月下旬の里山

2023年は例年以上に日照りの8月でした。

里山のため池は干上がることはなかったのですが、池の水位はずいぶん少なくました。

池ではトノサマガエル、メダカはぶじ8月を過ごすことができたようです。

里山は8月上旬に草刈りをおこないましたが、もう一度草刈りをしないといけないほどは伸びませんでした。

8月には里山近くを台風が通過したのですが、雨風ともたいしたこともなく、台風による倒木も少なかったので9月の作業で片付けられそうです。

8月の生き物

ツリガネニンジン、ゲンノショウコ、コマツナギ、アキノタムラソウ、ガンクビソウ、ノギラン、カキランの実、コオニユリ、ツユクサ、グンバイトンボ、モノサシトンボ、キイトトンボ、ショウジョウトンボ、ハグロトンボ、コシアキトンボ、シオカラトンボなど


エノコログサのなかま

2023-08-30 | フィールドガイド--植物編--

エノコログサのなかま

 

エノコログサの仲間は、どれも1年草。

五穀の一つとして栽培されるアワ(粟)はエノコログサを祖先とする栽培植物である。

(「モデル植物となったエノコログサ―その雑草生物学への適用」福永健二;雑草研究 Vol. 65(4)140 ~ 149(2020))

 

アワは黄河文明で栽培の証拠は、紀元前5000~6000年前の遺跡から見つかっている。

エノコログサがアワの祖先であるが、アワがどこから始まったのかはいまだ明確な答えは見つかっていない。

『栽培植物と農耕の起源』(中尾佐助 1966 岩波新書)ではインド起源説、その他中央アジアからアフガニスタン‒パキスタン‒インド北西部の地域説、中国と日本を含む東アジア説など多くが論議されている。

エノコログサの実は硬く、剛毛が多く、食べるツブツブの部分(小穂)も小さく美味ではありません。

が、 炒めると香ばしく、 食べることはできます。油でポップコーンのようになるのをしょうかいしてるホームページもあります。

スズメなどの小鳥はこの実を食べにきます。しかし、食べられても、消化がわるく、そのまま体外に排出されるので、エノコログサがひろがる理由の一つです。

 

8月以降になると、アキノエノコログサのようがよく目立ちます。エノコログサの穂は比較的短く、直立しているものが多いですが、アキノエノコログサの穂はエノコログサより太く長く、先端を下に向けて、深く垂れています。

 

エノコログサは、俗称「猫じゃらし」の方が有名です。

漢字で書くと「狗尾草」と書き、「狗尾」は「子犬の尾」のことです。

昔の人は、あの草の様子を「子犬のしっぽ」とたとえました。

 

「よい秋や 犬ころ草も ころころと」小林一茶

 

英語では、「green Foxtail」と「キツネのしっぽ」と見立てています。


女郎蜘蛛と上臈蜘蛛ージョロウグモー

2023-08-29 | フィールドガイド-昆虫編--

ジョロウグモ

ジョロウグモの原産地は、日本、韓国、中国、台湾です。

最近、そのジョロウグモがアメリカのジョージア州北部に生息していることがわかりました。(2014年)その後、ジョロウグモはジョージア州北部からアラバマ州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、テネシー州まで広がっています。

なんらかにまぎれてアメリカ大陸に行ったようです。

 

ジョロウグモは黒脚に黄オレンジの縞模様、明るい黄色の体に青緑の縞模様があり、背中には赤が入っています。オスのクモは8月下旬に、メスのクモは9月から10月上旬に成熟します。

 

秋のクモでジョロウグモの巣がやたら目につくようになります。

直径が50cm位ある大きな巣の真ん中にジョロウグモのメスがでんと居座っている姿をみると、クモの嫌いな人にとっては迷惑な話でしょう。

ジョロウグモのオスは他のオスからメスを守るために交尾のあともメスの巣で居候を続けます。(写真の上の小さいクモがオス)

メスは冬が近づくと、産卵を控えておなかに卵をかかえています。

寒くなる11月の中頃から12月初め頃には木の幹や建物の壁などに卵をうみつけます。

卵は赤い色で卵のうにつつまれ春まで待ちます。

 

 

ジョロウグモを漢字で書くと、「女郎蜘蛛」と書きます。ところが、辞書をみるともう一つ上臈と書いてあります。

「上臈」とは平安時代、後宮などに仕える女官で身分の高い順に上臈、中臈、下臈ととなります。江戸幕府の大奥の職名としても上臈という官位がありました。

ちなみに講談社の「日本語大辞典」で「上臈」を引いてみると

  • 年功を積んだ高僧 ②身分の高い人,上流の人 ③身分の高い女官,上臈女房 ④江戸幕府の大奥・・・」

「上臈」とは身分の高い意味で使われていましたが、いつ上臈(ジョウロウ)より女郎(ジョロウ)グモが主にになったのかはわかりません。

 

ジョロウグモには妖怪伝説があります。

400 歳になるまで生きつづけると、魔法の力が発達し、昆虫の代わりに人間を食べるようになる話です。

魔法の力がついた女郎蜘蛛は洞窟や森、街の空き家などに巣を作り、若くて美しい女性になって現れます。

女郎蜘蛛はよい男性を見つけると、愛情を約束して家に誘い込むと、弱らせ、男性を長く苦しませてながら死を待つのです。

女郎蜘蛛は都市の真ん中でさえ、気づかれず何年もこのように行動し、愚かな若者の骸骨を何百も積み上げている。という怖い話になっていきます。

そのようなところから、女郎蜘蛛のほうが定着したのではないでしょうか。


2001年 ブラジル国トメアスでの活動の「はじまりのはじまり」

2023-08-28 | 野生生物を調査研究する会歴史

2001年 ブラジル国トメアスでの活動の「はじまりのはじまり」

今年でブラジル国トメアスとの関係を考えると20年以上の付き合いになる。

最初のきっかけは物見遊山でブラジル、ベレンへ旅行に行ったことによる。

そして、ベレンでたまたまトメアスに行くことになったことが、トメアスでの活動が20年以上つづくことになるとは。

以下の文章は、当会の初期のホームペジで掲載していた「ブラジル紀行」を再録したものだ。当時はまだデジカメがそれほど普及しておらず、すべてフイルムカメラでの記録になっているの画像は見にくいことはご了承を。

 

「はじまり」

2001年(平成13年)8月の10 日間、ブラジルのアマゾン川の熱帯雨林を訪れる機会を得ました。

アマゾン流域の破壊は続いています。また、森林の消失は地球温暖化にも影響をあたえます。

森林が減少したために乾燥が進み降雨量が減少していることを知りまた。雨量の減少は深刻な水不足をもたらし、農業に大きな影響を与えています。

トメアスの日系の人たちがおこなっている農業の方法は、わたしたちの行っている里山復元活動の考え方と共通するところがありそうです。人と森の関係を構築する試みをアマゾンの熱帯雨林でもやってみたいと思いました。

行程

1期間:2001年(平成13年)8月11日~20日

2 行き先:ブラジルバラ州ベレン市及びトメアス

3 旅行行程

・1 1日目(成田~ロサンゼルス~ロス~サンパウロ)

・2目(サンパウロ~ベレン)

・3 日目 ベレン市内観光

・4日目 永大産業ベレン工場  州立熱帯生物園見学

・5日目 群馬の森見学

・6日目 トメアス文化協会との交流

・7日目 トメアス熱帯雨林視察

・8日目 買い物

・9 日目 ベレン~サンパウロ、日本へ

4.ベレンの街

ベレン市はブラジル北部パラー州の州都です。

アマゾン川の河口はマラジョー島を挟んで北側の本流と南側のパラー河に分かれ、ベレンはそのパラー河に注ぐトカンチンス河の支流、グァマ河とグァジ ャラ湾に沿った海抜14mの低地に位置します。人口は約140万人、最高気温32度、最低気温22度、湿度80%以上と高温多湿の熱帯雨林気候です。気温は乾季に高く、雨季に低くなるので、ベレン市民は雨季を「冬」と呼んでいるそうです。ベレンの住民は、欧州系、アフリカ系及び先住民の混血が圧倒的に多く、邦人・日系人は約3千人がすんでいます。

ベレン名。物のひとつが、マンゴの並木。(前世紀初めに東南アジアから導入) 結実するのは 11 月頃で、マンゴは誰がとっても良く、少年が小遣いの足しにとせっせと集めている姿は、年末の風物詩になっているでもある。

市内観光

・宝石工芸品博物館(PÓLO JOALHEIRO):刑務所として使用されていた建 物を改築し、2000 年に宝石工芸品博物館としてオープン。、パラー州内で採掘された 5 億年前 の水晶をはじめとする貴石が展示されている。

・エミリオ ゴエルジ博物館(MUSEU PARAENSE EMÍLIO GOELDI):、ブラジル科学技術省が所管する研究施設で一部が一般に開放され、アマゾンの動物学、植物学、考古学、地質学、 文化人類学が学べる。

ロドリゲス・アルヴェス植物園(BOSQUE RODRIGUES ALVES):市営の自然植物園。

カステロ要塞 (FORTE DO CASTELO):1616年に築かれたカステロ要塞は、ベレン随一の観光名所として市民にも親しまれている。

・ヴェロ・ペーゾ市場(MERCADO DO VER-O-PESO);2千軒の露店がひしめく、ベレン市民の市場であるとともに、ベレンの顔として観光名所になっている。

パラー州の食べ物:カランゲージョ(カランゲージョ(泥がに)を塩ゆでしたものを棒で殻を叩き割りながら身をすするのがおすすめ)アサイー(アサイ椰子の実を液状にする。これをマンジオッカ粉をいれ、混ぜて朝食に食べる人が多い。

・群馬の森(現在2023年は「アマゾン日伯友好の森」となっている)

ベレン市より北東へ51kmのサンタ・バーバラ市に、 群馬県出身者がつくる「北伯群馬県人会」が運営する、地球環境と熱帯雨林保護を目的とする原生林が群馬の森(540Ha)。

 5.永大産業ベレン工場の見学(現在2023年 すでにブラジルから撤退している)

 ベレン工場では合板をつくってアメリカに輸出している。この工場では、合板をつくるときにできる 廃棄物を堆肥にして、人工林を栽培している。

その様子を見学した。

 合板の原料はアマゾンの熱帯雨林であり、伐採後 の表層土は雨などの侵食などにより荒廃地化していく。荒廃したこれらの地域では生物多様性の低下, バイオマス(生物体量)の減少,地力の低下がひどく、そのまま植林しても荒廃がすすんでいるので、 植物の成長がのぞめないのが現状である。そのため、自然資源を持続的に利用するためには,拡大しつつある荒廃地を森林に修復し、利用可能な森林を拡大しようという試みをしていいた。

 永大産業の試みは、地域住民の修復作業(混植, インタークロッピング,造林,保育)への参加を生み、地域住民の活動を促し,多様な利益をもたらす 木材生産だけでなく、高い環境機能を持つ多目的森林の修復を栽培林で実施している点は重要であると思われた。

  1. トメアス文化協会との交流

 トメアスはベレンから南に300km、バスで5時 間のところにある。1929年に日本人が始めてブラジルに入植した歴史ある町で、日本人移住地としてはパラー州最大のものである。

現在,農作業のほとんどは現地の労働力を利用し,日本人の農場主の仕事は,作物の植え付けから収穫,出荷に至る企画,立案などの頭脳 労働が主である。

 トメアス文化協会の会長エイカワ氏の紹介 で、農協が経営するジュース工場やコンポストの現場を見学した。

 現在、単純栽培(コショー栽培のみ)から複層栽培をはじめていると言う農場を見学した。端境期のない栽培と根粒バクテリアの増殖に日本では厄介者のクズが栽培され役に立っているのには驚いた。

 ここには、日本食の出る民宿があり、豆腐、き んぴら、みそ汁、サラダ等、などで歓迎していただいた。特に豆腐ときんぴらには日本を離れてひさしぶりに食べた日本食で涙が出るはどうれしかった。

 エイカワ氏にはお忙しい中、入植記念館を案内いただいた。入植当時の病院の保存の事などトメアスの抱えている課題もお聞きすることができた。

7.JICAの熱帯雨林の実験地の見学

熱帯林の現状、伐採現場を見た。

案内人はライフル銃と山刀を携帯して熱帯林に入った。ライフル銃は猿やネズ ミを捕るためとか。

森林内ではワニがいる川とか、ジャガーやクロヒョウがいると聞いても、「あ、そうかと。」素直に耳に入ってくるし、熱帯 林といっても日本の沖縄の方がイメージとして熱帯林らしいと感じ、どちらかといえば南紀の森林に似ていると思った。

一方、樹冠を形成している樹木は迫力があり、ここは正に熱帯林と感じる。このようなところに是非日本の子どもを連れてきたいと思った。3時間程度熱帯林を見学し、迎えの車がくるので車道のそばで待っていると直径1~2mの原木を積んだトラックがひつきりなしにトメアス方面に向かっていくのを見て呆然とした。

 JICAの実験基地に戻り、午後から伐採現場に向かう。

どんどん奥地に車を進めていくと、途中には広大な牧場があった。 野焼きにより作られた牧場のためか、立木が焼かれ白骨のように白や黒色の立木 が乱立している様子は、異様な雰囲気をかもし出していた。どこを見ても牛がいない、聞いてみると水飲み場に行けばいるとのこと、それにしても牛の数が少なすぎる。

何故牛が少ないのかと聞くと、1㌶あたりに牛一 頭の飼育だとのこと、理由は牧草が2年分程度しか生育しないとのこと。 栄養分の少ない表土に 問題がある。熱帯林では腐葉土の分解が早く森林の生育には都合がよいが、耕作としては大変な作 業になるのだなと感じた。入植時の苦労は大変だったろうと思いながら延々と続く牧場を約30分 間程進んだところで一軒の小屋(広さ20畳程度;2部屋で炊事兼食堂と居間に8人程度住む。)を見つけ、住人に車の窓越し伐採場所の情報を得ているようだが、会話の雰囲気からどうも伐採は終わったような感じで、もうダメかと思っていたが別の所へ行く様子、1時間程車を進めた所で一軒の農家でたずね、その農家の人の案内で、道なき道を進んでようやく伐採用の進入道路にたどり着いた。その道を進んでいくと周辺の立木は引き裂かれたように折れ倒れている。これは日本にいる とき本や写真集でよく見る熱帯林の現状と全く同じ、言葉が出なかった。

 現実にその場に立った時のすさまじいさは、日本の伐採とは比べものにならないもので、正に破壊としか言いようがない。そのような思いを巡らせながら伐採の作業場を探し、車のきしみを聞きながら進んでいくと森のはずれに出てしまった。 また空振りかと思っていた。その時、木と木に吊した黒ずんだテントが目に入った。テント周辺には、オイル缶が散乱していることからも、ここが作業場の拠点と察した。交渉の結果、若い作業者が案内してくれることになり一緒に車に乗り、15分程進んだところで全員下り、若い作業者の後をついて熱帯林の中に入っていた。

午前に行った熱帯林とはまた、違って植物が密集しておりこちらの方がすごく歩きにくい。案内の作業員が甲高い声を立て、他の作業員の位置を確認しながら歩くこと10分、着くと40歳くらいの作業員が2人出迎えてくれた。つい先ほど伐採したばかりの直径2m近い木が横たわっている。

 そのからすこし離れたところで、直径が私の両手を一杯にした位の大きな木を今から伐採するとのこと。案内してきた若い作業員がチェンソーで5分もかからぬうちに伐採した。つづいて少し離れた所でも、同じ程度の木を伐採したときには 思わずブラボーと言ってしまった。その伐採技に対し妙に感嘆してしまい思わず声が出てしまった。

 一本の木がなくなると、その周辺がまぶしいぐらい明るくなったことに気づいた。伐採した木は、まさに樹幹を形成していたのだときいた。そばは直径30cm程度の木々が引き裂かれるように倒れているのを見て何とも言えない気持ちになった。

 その矢先に左足のふくらはぎに痛みみを感じ、 左手でそれをさぐったところ左手の人差し指に刺されたような激痛が走った。すぐに振りはなしたが黄色と黒色のまだら色の昆虫だった。

その後はお察しの通りふくれあがった。「ブラボー」 などと言った罰か!気に入っていたサングラスもそのとき落としてしまったようだ。

 トメアスから帰る時間も迫っていたので礼もそこそこにその場を後にした。

8.旅の終わりに

ベレンからサンパウロまでの3000km、6時間あまり。来たときと 同じ機内食にうんざりしながら考えている。

ブラジルは、ここ2年前、電力不足に陥っている。

 今、日本のODAからの助成を得て、アマゾンに巨大なダムを造ろうとしている。ダムを造れば日本の国土の30%がダムの底に沈む広さだと聞く。そうなるとその面積に近い熱帯林が水没することになる。 適材適所というが、ブラジルにとってダムを建設することが最良の策なのだろうか?

 ベレンの人口は100万人以上、その生ゴミは埋め立て処分と聞く。 それを使って、熱帯の気候を利用したバイオマスによる発電、広大な原野を活用した風力発電は可能ではないのか。

 また、トメアスの農協のジュース工場も例外ではなく、近々電力供給を押さえられるかもしれないとか、そうなった場合、現状では対策はないとのこと。 ジュースを製造するとき出る残りかすは捨てるか、 一部コンポスト化している程度、もったいないと思う。

 

以上が2001年の報告です。


上海ガニとおなじく食べることができる川のカニ モクズガニ

2023-08-27 | フィールドガイド--水生生物--

モクズガニ

 

画像は猪名川でみつけたカニです。モクズガニといいます。

中国料理のひとつ、上海ガニ(チュウゴクモクズガニ)とおなじなかまで食べることができます。

 

兵庫県但馬地方では「川ガニ」と呼ばれ、円山川や矢田川、竹野川や岸田川など主要な河川でも漁獲対象になっています。9月から10月が漁の期間になります。全国的にも通販で販売されており、いい値段です。

 

モクズガニは海域で生まれ、川を上って淡水域で成長し、成熟すると産卵のため川を下る回遊するカニです。

海ではゾエヤという小さなプランクトンの状態ですごし、小さなカニになると川を遡上してきます。

大きなダムがあるとのぼれないため、近年は山間部ではほとんどみることはありません。

実は全国的には減少傾向にあります。これは、乱獲、河川工作物、水質の悪化などが原因で、将来的には絶滅するかもと心配されています。

す。

 

オスは体が大きくて爪の部分がメスに比べて毛深く,腹に三角形の模様が見られます。

メスの爪の部分はオスより毛は少なく,腹には横線が何本も入ったような模様があります。

雑食性で、水中に生える藻類や動物の死体などを食べます。

 

「生きている猪名川」などの私たちの川の副読本にはモズクガニをイワガニ科としてきましたが、

 

「モズクガニ科は、ソラコトレマタンカニの家族です。分類学的に混乱しているイワガニ上科の一部であるこの家族の境界は、改訂中です。長い間、イワガニ科の亜科に分類されていましたが、通常はスナガニ上科に配置されているイワガニ科とイワガニ科に最も近いようです。 ウィキペディア(英語))

とあり、科については様子を見たいと思います。


ジャンボタニシ(スクミリンゴガイ;リンゴガイ科)は困りもの

2023-08-26 | フィールドガイド--その他の生き物--

ジャンボタニシ(スクミリンゴガイ;リンゴガイ科)は困りもの

 

生きている加古川やナチュラリストクラブの観察会で加古川流域のため池で見つけた巨大なタニシ、

ジャンボタニシです。

もともとは食用に日本にやってきたタニシだったようです。

昭和58年のある広告

「成長が早く繁殖が旺盛で、しかも形が大きく、サザエのように刺身やつぼ焼き塩焼きにしても美味しいタニシの新品種が誕生!簡単に養殖が出来るので早くも注文が殺到」(「養殖」昭和58年8月号)

美味しいタニシこそジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)のことです。

しかし、日本人の味覚にはあわず、次の年には野生化した貝により被害が発生しています。

水田での被害が拡大し、昭和60年には九州を中心に防除対策が行われるまでになりました。

 

繁殖力は絶大で、暖かいところの貝にも関わらず、冬でも土中で冬眠、冬越しすることができます。

また、環境によってえら呼吸と肺呼吸の両方ができ、肺呼吸のときは長い呼吸管を水面まで伸ばして呼吸します。生命力の強い貝です。

そのため、蔓延しているところでは撲滅は困難な状態になりました。

 

メモ

スクミリンゴガイ(リンゴガイ科)淡水棲の大型巻貝である。

俗にジャンボタニシと呼ばれます。

南アメリカ、ウルグアイが原産といわれています。

日本では食用を目的とした養殖用に台湾からはいってきました。

イネを食害することから、防除対象になっています。

 

4月から10月にかけてたくさんの卵を産みます。

2、3日に1度産卵し、1度に数百の卵を産み、年間の産卵数は2400~8600卵粒程度(タニシは50~60個程度)と考えられています。

産卵から10日程度で孵化します。

 

兵庫県でも加古川調査でもみたように、播磨地域や淡路島でも見られます。

将来的には県下の平野部では生息可能な状態なので今後気を付けていく必要があるようです