「堀川」は飫肥伊東藩
第五代藩主祐実(すけざね)の命により
天和3年(1683)から2年4ケ月をかけ
難工事の末完成した
これにより
広渡川から堀川運河を経て油津港へ
木材を安全に流せるようになった
運河周辺は
明治後期から飫肥杉の集積場となり栄えた
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