高森湧水トンネル公園
熊本・高森町
(2014年12月23日~2015年3月8日 九州一人旅の記録)
高千穂線のトンネルとして掘削された坑道が
湧水流出で廃止に、そこを湧水トンネル公園にしました。
旧国鉄高森線と高千穂線を結ぶ工事が昭和48年12月から着手されましたが、
昭和50年2月、突然トンネル工事で大量の出水に見舞われ、
そ . . . 本文を読む
燕趙園(えんちょうえん)【2】 in 鳥取・湯梨浜町
昨日に引き続き
庭園内部をご紹介します。
(撮影は昨年12月14日)
すべてが本物。
中国の歴史シンボルが日本で蘇る
梨の花温泉郷の一つ、東郷池畔に湧く東郷温泉のほど近く、
鳥取県と中国河北省の友好のシンボルとして建設された日本最大級の本格的な中国庭園です。
歴代皇帝が造り親しんだ皇家園林方式の中 . . . 本文を読む
燕趙園(えんちょうえん) in 鳥取・湯梨浜町
東郷温泉 湖畔にある
中国の皇家園林をテーマ とするテーマパークで、
日本最大の中国庭園になります。
この日は寒い日で雪が降ってました。
昼を回っていたので
道の駅 燕趙園で休憩
軽食 喫茶 「えんちょうえん」で珈琲をいただきました。
雰囲気もよく美味しくいただきました。
久し振 . . . 本文を読む
回る石風車のある 日韓交流友好公園 「風の丘」
鳥取・琴浦町
国道9号線沿いにある
「道の駅 ポート赤碕」に隣接して
日韓交流友好公園「風の丘」があります。
この地に漂着した韓国船を2度にわったて救助した史実をふまえ、
日韓の友好が永遠に続くことを願い、この公園が作られたそうです。
しかも
この公園には大きな石風車があります。
韓国か . . . 本文を読む
中国庭園 燕趙園-えんちょうえん-鳥取・梨浜町
車中泊の朝6時過ぎに目が覚めましたまだまだ暗い北の空です大山は黒い雲の中にお隠れですやむを得ず荒れて白波立つ日本海を見ながら梨浜町まで足を伸ばし中国庭園を見てきましたときおり雪が舞う寒い日です日曜日ではありますがお客さんにも厳しい公園散策でした倉敷に戻ったのは20時前、荷物を下ろす間もなく急いで投票に行ってきましたNHK.の推定投票率は . . . 本文を読む
乗光寺 庭園
島根・松江市
乗光寺は、
高野山真言宗派で、創建は平安時代末期の古い歴史があります。
庭園は、
富田城を築城した悪七兵衛、平景清の築庭といわれ枯山水式で有名です。
(富田城はお隣 安来市にあり、毛利勢によって落城しています)
全景
大きなイチョウが(樹齢500年)が歴史を感じさせてくれます
金 . . . 本文を読む
枯山水の美しい庭園 康國寺 庭園
臨済宗妙心寺派・大雲山
-koukokuji-
島根・出雲
康國寺は正平24年(1369)に弧峰覚明禅師(三光国師)を開山とし、
当地の豪族であった康國公の寄進によって建立された。
康國寺庭園は
米国庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」によって
2005年度・ランキング8位になっています。
禅院特 . . . 本文を読む
峯 寺 庭 園
島根・雲南市
古代神々の降臨の山と尊ばれ、
伊豆も風土記に「伊我山」と記されているのは、
峯寺の四方をとりまく山々です。
主峯の弥山は標高約300m、三刀屋の街並みを眼下にし、
出雲大社の弥山と相対して指呼する
また遠く大山、三瓶山を望見する。
奈良期の昔、
役行者小角(えんのおずぬ)は西の滝に修行し、
次いで弘法大師は真言宗密教相応の地とし給い . . . 本文を読む
散歩を復活しました
酒津公園
足が痛くて
散歩には2年くらい出かけてなかったと思います。
天気も良くなって来たので
3キロ程度から始めることにしました。
スマホで
歩数や消費カロリーが分かるので目安になります。
歩き出した最初こそスピードがありますが、
時間と共にスピードが落ちて来るのが悔しい。
少しずつでも良くなれば嬉しいです。
. . . 本文を読む
散歩コース in 酒津公園 水辺の美しさ
岡山・倉敷
去年12月には6羽居たアヒルが1羽になっていました。
久し振りの散歩でしたからびっくりしました。
捨て猫が、アヒルを襲ったのかもしれません。
(皆さん、酒津公園に猫を捨てに来ないでくださ~い)
水辺の美しさにアヒルの侘しさは似合わない
&nbs . . . 本文を読む
散歩コース in 酒津公園
岡山・倉敷
農業配水池の回りに桜を植えた親水公園。
3年近くも
散歩から遠ざかっていましたが
先日から、
また この公園を歩き始めました。
暑い間は気持ちがのらなかったのですが、
少し気温も下がってきたので歩きやすくなりました。
足の筋肉をつけないと
好きな撮影にも行けなくなってしまいます。
このコースの
散歩時間は3 . . . 本文を読む
重文 櫻井家・庭園
島根・奥出雲
桜井家は戦国の武将 塙圑右衛門の末商家です。
関が原の戦いでは鉄砲隊長を勤め、後に大阪夏の陣で討死しました。
正保の頃、1644年 第3世直重は出雲領上阿井の地(現在地)に移り
屋号を可部屋と呼び、”菊一”の銘鉄を創りだしました。
その業績は松江藩に認められ、
第5世源兵衛利吉は . . . 本文を読む
絲原家住宅
松江藩鉄師頭取 絲原家居宅・庭園
-まつえはん てつしとうどり いとはらけきょたく・ていえん-
島根・奥出雲町
絲原家
古くは備後に住み、家伝によると祖先は山中鹿介の同族だという。
(岡山県高梁市 備中松山城近くに山中鹿助のお墓があります)
寛永元年(1624)に、初代善右衛門が、
仁多郡大馬木村に移住、たたら製鉄を始めたのが出雲・絲原家の始 . . . 本文を読む
今は蕎麦屋の 旧卜蔵氏庭園 ( 卜蔵庭園 )
-ぼくくらていえん-
島根・奥出雲町
中国山脈に近い
出雲の南部地方はかって鉄の生産で大いに栄えた。
この雲南地方には製鉄で隆盛を極めた旧家が多い
卜蔵家も江戸時代初期からの「タタラ」製鉄の経営者であり、
絲原家、櫻井家等諸家と共に優遇され、中世以来の豪族であった。
作庭は初代惣兵衛の時 . . . 本文を読む