人が自分の生理的な
「これ以上はできない」
の線引きをする場所は、
それぞれ違っていて、
その線引きの場所が
その人の個性そのものの
発露のように思われ、
愛おしく感じられる。
(梨木香歩)
どんなことに
対してでもいいが、
自分が「出来ない」
と思った時、
それは、
本当に出来ないのか、
(物理的に、科学的に?)
出来ないと思いたいのか、
(それ以上、やりたくない?)
出来ないと知らせたいのか、
(誰かに、助けてほしい?)
ということを
区分する必要があると思う。
そのどれに当てはまるか、
によって、
自分の行動も変わってくるだろうし、
誰と何に取り組めばいいのかも、
考えなくちゃいけない。
誰にも助けを求めたくない、
という性格の人もいるだろう。
誰か見てさえいてくれば、
がんばれるという人もいるだろう。
人が「出来ない」
という事柄のほとんどは、
出来ないと思っているだけのことが
多いかもしれない。
「出来る!」
と自信もてるくらいまで
ならなくても、
「出来るかな?」くらいに
考えて動けるようになったら、
いいんじゃないかな。
(いい言葉)
線引きしちゃってきたことも
考え直してみるいい機会かな。
クリスマスは、音楽会を開く。
二部構成にするのだか
一部は、わが町内の太鼓連中の披露。
今夜、そのリハーサルを会場となる場所を借りて行う。
私もそれに参加。
気合入るぞ。
いいクリスマスが過ごせるように・・・。