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「山笑う」は春の季語。散り残った桜の花に葉芽が混ざり、さまざまな木々の芽吹きが山全体をパッチワークのように彩(いろど)る。写真の散歩道でも、落葉樹は、尖った冬枯れの枝々の先がややにやわらかく丸みをおび、常緑樹の濃い緑の間には、明るい黄緑がほころびはじめている。
自然は確実にめぐり来るが、人は逝って還らない。逝く者を現世に引き戻そうと虚しい願いに心を塞がれず、往き先なる来世に新しい生を希求すべきではないか。
受難週である。人の心の冬に、命の春を取り戻させようと、神の独り子が恥辱に苦しまれた記念の季節である。その贖いによって来世が約束され、復活の希望が、人の心に命の春を来たらせる。
冬の心を持った暗い顔の人々の間に、復活の希望に生きる人々の明るい顔が、パッチワークのように広がり、地球全体を彩(いろど)って、「地笑う」という日が来るのは、いつのことだろう。
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい」(ピリピ書4:4)
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