何をか善というとの問題に対して、キリストは「善とは神なり」と答えたまえり。孝も善なり。仁も善なり。されども孝も仁も善の結果にして、善そのものは神なり。
神を知るは善人となることなり。善を学ぶは神に近づくことなり。善を求めずして神を知るあたわず。神を知らずして善なるあたわず。
宗教と道徳、信仰と行いとは同一物の両面にして、一を去って他を知るあたわざるなり。聖書は善人をもって「神と共に歩む者」となせり。神を離れて偶像に仕うるは、善を去って悪を行うなり。
すなわち悪を行うは真正(まこと)の偶像崇拝なり。キリスト教徒にまれ、仏教徒にまれ、義を重んじて正しきを求むる者は、神の子どもにしてイスラエルの世継ぎたるなり。 (内村鑑三)
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