「仕方がない」と言って辞めた大臣が居た。
しかし、仕方がないことは仕方がない。世人が騒ごうとマスコミが反対しようと、仕方がないのである。
主が十字架に懸かられた。仕方がないのである。我が極悪の罪を贖うのに、他に方法がないと父なる神が判断されたのである。
牧師が殺された。多くの義人の血が犠牲として流され、神の酒舟に満ちて溢れ出すまで、世の平和は来ないと聖書は語るのである。
「我は独りにて酒槽(さかぶね)を踏めり、もろもろの民のなかに我とともにする者なし」(イザヤ書63:3)
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