河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑103 / 蜜柑

2023年10月12日 | 菜園日誌

秋、畑で作業していても気持ちがいい。
道の駅に落花生を出荷しだしてから十日、一日が短い。
昼過ぎから収穫、水洗い、乾かしてから一つずつ選別する。
しっかりとシワができた実はいいが、コガネムシがの幼虫がなめって黒くなった部分が出来たものや、中途半端なシワの寄り方のものは勘に頼るしかない。
そこで、判断が微妙なものはオマケの増量にしている。
わずかな儲けだが、秋は年に一度の金儲け。これが翌年の種代や肥料代になる。
選別した良いのは袋詰めして冷蔵庫に入れて酸化を防ぐ。
翌朝、シールや値札を貼って道の駅へ持って行く。
これで落花生との一日が終わる。

ところが、二日続きの雨で、しばらく収穫ができない。
そこで久々の遠足(弁当を食べにドライブ)。
ミカンでも買おうと、いつもの和歌山県橋本にある産直市場へ。
旬の柑橘類が棚に並んでいる。
蜜柑(みかん)、橙(だいだい)、柚(ゆず)、かぼす、すだち、レモン、ライム、シークアーサー・・・。
この中に日本古来の柑橘類の原種である「橘(たちばな)」にちかいものがある。
朝ドラ『らんまん』の万太郎(植物分類学者の牧野富太郎)が「やまとたちばな」と名付けた果樹だ。
『魏志倭人伝(3C)』の中に「有橘不知以為滋味[橘有るも以って滋味と為すを知らず]」とある。
日本人は、橘が自生しているにも関わらず、その美味しさを知らない。
その美味しい日本原産の柑橘果樹はシークアーサーだ。

まてまて、シークアーサーではなく、蜜柑を買いにきたのだ!
さまざまな品種の早生蜜柑が並んでいるが、日本の蜜柑の原型は温州蜜柑(うんしゅうみかん)だ。
『日本書紀(8C)』の中に、垂仁天皇の命を受けた使者が、「時じくのかぐの香の実(常世の国の常に香しい実)」という不老長寿の果物の苗木八本を中国から持ち帰った
これを「橘」と呼んだが、早い話、中国原産の蜜柑だ。
この苗木が栽培増殖され西日本に広がっていく。
900年ほど経った江戸時代初期、薩摩の国鹿児島で一本の蜜柑の樹が突然変異する。
種が無い、その分、栄養が実にまわって美味しい。
日本独自の種無し蜜柑で、中国の有名な蜜柑の産地、温州地方にあやかって「温州蜜柑」と名付けられた。
これが愛媛や和歌山などの一部地域で栽培されるようになる。
紀州の豪商 紀伊国屋文左衛門が大金儲けをした蜜柑だ。
とはいえ、温州蜜柑が「種なし」であったことから、縁起が悪いと敬遠されて栽培は全国には広がらない。
現在のように日本の温暖地で栽培されるようになったのは明治以降になってからである。

和歌山から帰って、買ってきた温州蜜柑を一つ持って畑へ。
畑を一回りして異常のないことを確かめるとドカッと椅子に座り、手にした蜜柑を眺める。
普段なら鼻唄の一つや二つ出そうなものだが、「蜜柑の花が咲いていた・・・(みかんの花咲く丘)」しか出てこない。
リンゴなら「リンゴの花びらが・・」とか「リンゴ畑のお月さん今晩は・・」とか出てくるのに、蜜柑の歌は少ない。
なぜなのか? と思いながら一房ほおばる。
種がない。種がないのに、どのようにして苗木を増やしたのだろう?
それどころか、日本独自の種なし蜜柑なのに、なぜ中国の名を付けたのだ?
なんとも不可解な「時じくのかぐの香の実」だ。
 紀州蜜柑は御国の宝 外は日の丸内は菊 /俗謡

コメント
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