河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑119 / 時雨之化

2023年12月06日 | 菜園日誌

毎日のように時雨る。
晩秋から初冬にかけて、降ったりやんだりする雨を時雨(しぐれ)という。
昔の人は、木々の葉が色づくのは、時雨が降って葉を染めるからだと考えていた。
 こもりくの泊瀬(はつせ)の山は色づきぬ しぐれの雨は降りにけらしも
 万葉集 大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ) 
〈隠り国の初瀬の山は美しく黄葉した。時雨の雨が降ったらしいよ〉
泊瀬は現在の奈良県桜井市の初瀬(はせ)あたり。真言宗の長谷寺がある。

上記の和歌に「しぐれの雨」と、「しぐれ」を雨の修飾語につかっているように、本来の「しぐれ」は〈しばしの間に急に暗くなって降る・集中して降る〉の意味だった。
だから、秋冬に限らず、桜しぐれ・青しぐれ・片しぐれ・北山しぐれ などの言葉がある。
それが秋に限定されるのは、「しぐれ」という言葉の響きの柔らかさが、今の時期に、はらはらと降る雨にぴったりだったからだろう。
 暮れて行く時雨霜月師走かな /与謝蕪村
にわかに、降ったりやんだりして、はらはらと降るという時雨を見立てて「蝉時雨・虫時雨・落葉時雨・紅葉時雨」」などの言葉ができる。
人間に見立てたものでは、はらはらと涙を流す「袖時雨」というのがある。
 心もみじ葉 秋かと思や 濡らす涙の袖しぐれ/ 都々逸

昨日の昼は、南の方は晴れているのに我が畑だけ片時雨
今日は夜半に小夜時雨で、なんとも憂鬱な時雨心地
なのだが、この時雨が野菜を育て、木々を色づかせるのだ。
本来の「時雨」は、昔に中国の孟子先生がおっしゃった〈ほどよい恵の雨〉の意。
 孟子が言いました。君子の(家臣・人民への)教え方の第一は、ほど良く降る雨が自然に草木を養育するようなやり方である(時雨之化 じうのか) /『孟子』
時雨はありがたい雨なのだ。

※絵は竹久夢二(国立国会図書館デジタルコレクション)

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