河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑184 / お預けの秋

2024年10月29日 | 菜園日誌

久々の投稿。といっても、遊んでいたわけではない。
秋祭りの三日間をはさんで、ひたすら動いていた。
10月10日頃から、新たにビニールハウスを造り出した。
一昨年の春に、百姓を引退した先輩から、長さ10mのビニールハウスの骨組みやら資材一式を頂戴した。
去年の秋に、落花生やら里芋の出荷が落ち着いた11月頃に建てようと計画していたが、ちょうどその頃に体調がおもわしくなくなった。
それで、やむなく中止した。
それを横目で見ていた資材をくれた先輩百姓が、「おまえは、よう建てへんやろなあ……」とポツリと言う。
その一言が頭にカチーンときて、心にボッと火が着いた。
今年は何が何でも建ててやる!

幸か不幸か、アライグマやらカラスのせいで、落花生の収穫が早くに終了して、時間的余裕が出来た。
よっしゃ! 建てるとするか!
まずは、きれいな長方形になるように地取りをする。
次の日からは、それに従って曲管支柱パイプを45㎝間隔で、30㎝の深さで埋め込んでいく。
しかし、ここで難題につきあたる。
我が畑は黒土だが、20㎝ほど掘ると砂と石の地層に突き当たった。
かつては、大和川の支流石川の低湿地帯を開拓した土地だと、真左様に納得できる。
砂と石の河原に、我がご先祖は、大枚の金を投じて大量の畑土を入れたのだ。
長老によると、金持ちほど多くの畑土を入れたのだという。

日本全国の畑や集落に、大きな石を積み上げた石垣の道や畔がある。
どこから石を持って来て、どのようにして造ったのかと感心する。
その労力たるや膨大であったろうと感服する。
ご先祖が、何十年、何百年後の子孫のことを考えて命を尽くしたものなのだ。
それはさておき、ご先祖に、なるほどと感謝しつつも、さてどうしよう?
考えあぐねた末、25㎝まで穴を掘って、5㎝ほど土を盛ることにした。

五日ほどかけて26本の支柱を立てた。
そこへきて豊年満作の秋祭り。
祭り三日は酒浸り。
よろよろよたよたの三日間が過ぎて、再びビニールハウス造り。
補強を入れて、裾のビニール(おこし)を張って、後は天井のビニールを張れば完成というところまでいきついた。

しかし、台風21号が発生。
こいつものろのろよたよたと北上して、異例の本土上陸しそうな雰囲気。
とりあえず、台風一過まで、ビニールハウスの完成はお預け。
おまけに、11月1日から岡山の友人宅へ行く予定もお預け。
今年は、実によく自然に振り回される。


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