河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

74 / メダカ

2023年08月22日 | よもやま話

メダカを家で飼っている。
大きな水槽が二つ。小さな水槽が三つ。数えたことはないが200匹はいるだろうか。
飼いだしたのは25年ほど前。観賞魚としてではなく、畑の水溜のボウフラ退治のためだった。
その頃は、畑の脇の水路に黒メダカが普通に泳いでいた。
1999年に絶滅危惧種(Ⅱ類)に指定された。
小さいころから見慣れているメダカがいなくなるのは寂しいではないか。
いらなくなった風呂桶をもらってきて、水路のメダカをすくってきては桶に入れて飼いだした。
つまり、朝夕に畑に行った最初の仕事が、メダカのエサやりになったのだ。

2004年、「楊貴妃」という品種改良メダカがが火付け役になって、メダカブームが起こった。
それに便乗したのか、畑で飼っている原種の黒メダカにも一匹50円という値が付いた。
風呂桶をもう一つもらってきて、水路のメダカをせっせとすくってくる。
桶の中の500匹ほどのメダカにエサをやりながらニタニタ笑うのが、毎日の日課になったのだ。

コメリで『メダカ元気』というエサを買ってきた翌朝、エサの袋の封を切って桶をのぞく。
メダカがいない!
一匹もいない!
盗まれた、みごとに!
なんとも不埒、不届千万!
なのだが、手にした『メダカ元気』の袋を見て、どこかで元気でいてくれれば、それでもいいか! と思う。
欲にかられていたのは自分なのだから。
それから、家で飼うことにした。

昨今のメダカブーム。 中には1匹10万円どころか100万円のメダカもいるという。
泳いでいる姿を見て癒されるという効果もあるが、メダカブームの根源には、品種改良の金儲けという人の欲がからんでいる。
野山の小川で、畑の水路で泳いでいてこそメダカなのである。
私がメダカを飼っているのは、郷愁、ノスタルジアを感じたいからなのだ。
※『川瀬巴水版画集』国立国会図書館デジタル

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畑86――蝉

2023年08月21日 | 菜園日誌

昨日(8/20)は四年ぶりの地蔵盆(祭)。
従来は23日と決まっていたが、平日は男手が少ないので第四日曜に変更された。
30年ほど前、私が子ども会の会長をしている時に、町内会にお願いして日曜日にしてもらったのだが、会長を辞めるとすぐに、町内の長老級の人から「地蔵盆は伝統ある23日でないとアカン!」と文句が出て、元の23日に戻されてしまった。
だが、その長老が亡くなられると、すぐに日曜日に変更された。
地蔵盆はセレモニー(儀式)であるとともに、子どもたちが楽しみにしているイベント(催し物)でもあるのだ。
年寄りは、世の中の変化に合わせて、固いことを言わずに、若い人がやり易いようにするのがよい。

地域や子どもの守り神である地蔵菩薩の縁日は、子どもが主役の楽しみな行事だった。
しかし、地蔵盆が終わると、シャンシャン、ニーニー、ジイジー鳴いていた蝉が鳴かなくなり、ツクツクボウシが鳴きだす。
その鳴き声を聞くと急に寂しくなった。
「そろそろ夏休みも終わりか・・・宿題せんとアカンがな!」
ツクツクボウシの「ホーシ・ツクツク」の鳴き声が「早よし、宿題」に聞こえた。
まだまだ猛暑が続いているが、蝉たちは季節の移り変わりを確実に感じている。

地蔵盆やツクツクボウシの鳴き声は、秋の農事の始まりを教えてくれる。
とはいえ、ここで早って秋野菜の種を植えてしまうと苦労する。
水やりやら、日除けのネットを張ったりやらで余計な手間がかかる。
はては、夕立や台風にやられて植え直しなどということになる。
へたをして熱中症にでもなれば元もこうもない。
せめて植えるとすれば収穫まで百日かかる人参。
本格的な秋の農事は二百二十日(=9/10頃)以降と決めている。

まずはのんびりと、休耕していた部分の畝立て。
朝の7時には30℃を越えている。
太陽が雲に入って陰るのを待つが、なかなか入ってくれない。
遠くでツクツクボウシが鳴いている。
「着け着け、帽子。着け着け、帽子」

※『楳嶺画鑑 六』幸野楳嶺(国立国会図書館デジタル)

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畑――少し秋

2023年08月20日 | 菜園日誌

人が火の上で火あぶりになっているという怖ろしい漢字がある。

ではなかった。
火の前で人が祈りを捧げているのである。
古代中国では「火」は穢(けがれ)をはらう力があるとされていた。
それを表した漢字が「赤」である。
そこから赤色には炎や太陽の力、血液の力が宿っていて、魔除けになると考えられていた。
江戸時代に、疱瘡(ほうそう=天然痘)が大流行した時、人々は赤一色で画かれた「疱瘡絵」を買い求め、平癒を祈ったという。
お守り袋に赤が多いのも、還暦祝いの赤いちゃんちゃんこも、巣鴨地蔵通り商店街で赤い下着が人気なのも、赤色には偉大なパワーがあるからだ。

そこで、畑の中で赤いものを探した。
人参のような薄い赤ではなく、唐紅(からくれない)のような真っ赤な赤。
あった!
唐辛子。
実に見事な唐紅。
家に持って帰って魔除けの唐辛子飾りを作ろう。

ついでに、縁起のいい赤い動物はいないだろうかと探した。
いた!
赤とんぼ。
赤とんぼ羽をとったら唐辛子。
少し秋!

※『女三十六気意』専修大学図書館蔵
※『國芳芳藤疱瘡繪帖』東京大学総合図書館

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73 / それから

2023年08月18日 | よもやま話

※【 】は過去記事
朝は黒大蒜と無花果葉茶から始まる。
六月に買ったニンニク発酵機を使って二週間でいいぐあいの黒大蒜が30個できた【63/忍辱】。
こいつを一かけら食べてから、イチジクの葉っぱのお茶。
かってに無花果葉茶(むかかばちゃ)と名づけている【畑/無花果葉】。
冷やして飲んでわかったが、プアール茶によく似た味がする。
ただし、甘い香りはプアール茶より勝っている。

一段階、健康になった気分で庭に出る。
当帰(とうき)と胡蝶蘭と苔玉の水やり。
当帰は2枚だった葉っぱが10枚になった【畑/トウキ】。
胡蝶蘭は新しい葉と根が出てきた【64/根】。
苔玉はバテ気味で、やっぱり夏場は難しい【62/しのぶ】。

さて、今日はどうしよう。
台風がおもいっきり過ぎて、少しは秋らしくなるのかと思ったが、今日も厳重警戒の暑さ。
ならば、お盆も過ぎたことだし、そろそろ年末の準備でもするか。
葉牡丹と冬至南瓜の種まき。
日陰で芽を出させてから日向に出すのだが、なんせこの日照り。
そのときはそのときでそれからのこととしよう。
そうそう、それがよい。
 さてそれはその時のこと汗拭う

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歴史35 昭和――春やん戦記➆

2023年08月16日 | 歴史

4月11日にバターン半島を攻略したが、半島尖端から4キロの距離に浮かぶコレヒドール島の攻略という難関が待ち受けていた。
東西7キロほどのオタマジャクシのような形をした島なんやが、周囲6キロの島は断崖絶壁で、その上にコンクリートに鉄板を張り詰めた陣地を巡らし、オタマジャクシの頭には、十六インチ要塞砲や三十サンチ加農砲、高角砲などがズラリと砲口を並べている大要塞や。
そんな「浮沈軍艦」と呼ばれたコレヒドール島攻略作戦に、我々の部隊にも出動命令が出た。
島の攻略に歩兵が刈り出されるということは、最も危険な敵前上陸をせよというこっちゃ。
小さな島の敵の懐に上陸したんでは逃げることも出来んがな・・・。
こら、ほんまにアカン!
三日後の5月4日は、半島の突端のジャングルの中で夜を過ごした。夜空に輝く南十字星を見ながら、いよいよ明日が最期かと、小春に別れを告げた。

次の日の夜の11時前に、半島の南端に設置された100門の砲撃と、空からの爆撃機の攻撃が始まった。
耳をつんざくような爆音の中、わしらにも出撃命令が出た。
砂浜から10mほどの所に停泊している大発艇(上陸用のボート)に乗り込むために道を急いだ。
そのときや! 
待ってましたとぱかり、要塞から一斉に照明弾、曳光弾が打ち上げられた。
空が明るくなったと思たら、50センチほどのドラム管のような爆弾が飛んでくるのが見えた。
・・・わしが覚えているのはそこまでや・・・。

5月5日の上陸から三日後の7日、米極東軍司令官が無条件降伏を申し出て、フィリピン島は完全に攻略された。
それを知ったのは、マニラの病院あった。
病院というても、ベッドに寝かされるのは将校で、わしら星一つ(一等兵)は、教会のような大部屋の床の上あった。
敵の砲榴弾(爆発と同時に散弾が飛び散る爆弾)を受けて、左目は包帯で巻かれていた。
その他にも、左腕と左足膝をやられていた。
幸いにも急所を外れていて意識ははっきりしていたのやが、疲れで二日間眠ってたそうや。
ああ、腹が減った・・・そう思うと同時に・・・ああ生きてるんやと思た。

十日もすると手足を動かせるようになった。左目もうっすらと見えるようになってきた。
それでマニラに野営している部隊にもどったんや。
一か月ほどした六月の末に復員命令が出て、7月7日に大阪に帰ってきた。
彦星が織姫と逢える日やと思うて聖天坂の家に帰ったが、小春は居らんかった。
隣の天外さんの奥さんに訊いたら、四国へ巡業に行ってるということあった。
奥さんが知らせてくれたんやろう。しばらくしたら小春からハガキがきた。

「前略 〇〇で負傷されたと聞いて驚きましたが、たいしたこともなく〇〇にご帰還されたこと嬉しく思います。今は〇〇中で、〇〇の劇場を中心にして、〇〇〇〇を巡業しております。
八月日ぐらいには〇〇に帰れることと思います。〇〇〇〇〇・・・。かしこ」
なんやこれ、黒塗りだらけやないかい! と思たが、最後に「🍊💧💧」ミカンから雫が垂れてる絵が画かれてた。
なんのこっちゃ?
ミカンの雫・・・? ミカンの汁・・・? 
あっ!
ためしや思て、炭火でハガキをあぶったら、文字が浮き出してきよった。あぶり出しあったんや!
「生きて還ってこそ日本男児。ほんまに嬉しい。早く逢いとうおます」

拠点にしている四国の劇場の住所を訊いて、わしもハガキを送ったった。
「はからずも負傷し、御国のために名誉の戦士ができず誠に無念なり」
その後に「蜜柑の汁」の絵を画いて、あぶり出しで大きく書いたった!
アイラブユー!

※『沈まない軍艦 : 中級向』 鈴木栄二郎 絵 (国立国会図書館デジタル)
※竹久夢二 (国立国会図書館デジタル)

コメント (3)
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