河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑182/ リング

2024年10月07日 | 菜園日誌

どうやら午後から雨が降りそうなので、気持ちをさっぱりさせようと、アライグマがほとんど食べた落花生の枯れたのを燃やした。
野焼きは原則的に禁止だが、「農業・林業または漁業を営むためにやむを得ないものとして行われる必要な廃棄物の焼却であって、軽微なものは許可する」という例外措置がある。
もちろん、周りに住宅があると迷惑がかかるので野焼きは出来ない。
しかし、我が畑は田園地帯のど真ん中にあるので心配ない。

昨日、サツマイモを試しに掘ってみた。
六月中旬という遅い時期に植えたので、まだ小さいだろうと思っていたら、小ぶりのラグビーボールくらいのが4、5個ついていた。
こりゃ大きくなりすぎじゃわい!
大きすぎるのは道の駅に出しても、料理しにくいので売れ残る。
だから、我が家では、大きいのは四等分して、蒸して干し芋にするのが定番。

〈次から次へ〉の意味を表す「芋づる式」は、サツマイモの収穫から生まれた言葉だ。
柔らかい土や砂地だったら、小学生でも芋づる式に簡単に掘ることが出来る。
だから、「サツマイモ掘り体験」なんぞというレジャーになる。
しかし、我が家の粘土質の畑ではそうはいかない。
かなりしんどい肉体労働だ。
まず、畝の端から株元30㎝くらいまでの土を、備中鍬で崩す。
「あっ、やってもーた!」
株元から離れた所についた行儀の悪い芋が、備中鍬にブッスリと刺さって出てくる。
次に、手で土を崩しながら慎重に芋を探っていく。
学生時代に、アルバイトでやった遺跡の発掘作業を思い出す。
見つかったら、その下からシャベルを入れる。
「あっ、やってもーた!」
真っ二つになった芋の片割れが出てくる。
10株を掘るのに、6時から始めて9時までかかった。

一昨年に、サツマイモを植えて、ヌートリアに全滅にされた。
それで、去年は植えなかった。
ところが、去年はヌートリアの出没はなかった。
だから、今年は一か八かで植えた。
すると、目出度く収穫にいきついた。
しかし……。
すっかり燃えつくして、サッパリとした落花生の畝を見る。
さて、来年はなんとか対策せねば……。
パラダイスだった畑が、明日のジョーのリングになろうとしている。

来るなら来い!

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畑181 / 秋色佳也

2024年10月06日 | 菜園日誌

♪薄紅の秋桜が秋の日の 何気ない陽だまりに揺れている♪
岡山の友人宅でもらってきたコスモスが満開になった。
秋の心を知っている花だ。
秋の陽のやさしい光を背にうけて、畑にほほえむコスモス。
薄化粧した湯上りの女性のような嫋(たお)やかな色気がある。

もう一つ満開なのがニラ。
赤い花でも咲かせてくれれば美しいのだが、小さな白い花で目立たない。
それでも、これだけ群生すると、なんとなく見栄えがする。
しかし、種を付けさせると株が弱るので、写真を撮った後に株元から刈り取る。
去年は種を採ってやろうとおいておいた。
が、今年に種を蒔くまでもなく、こぼれ種が芽を出して雑草状態になっている。

こっちの花は、もう終わりかけの青シソ。
畑のあちこちに10株ほどあるが、2株ほど残してあとは刈り取る。
その時のご褒美がシソの実。
指でしごいて実を採り、洗ってから水分をぬいて、糊の佃煮のビンに入れて醤油で漬け込む。
これが実にいい酒のアテになる。
プチプチした触感がなんとも答えられないほどいい。

カラスに猛暑にアライグマ。
なんだかんだとあったものの、季節は黙って巡りくる。
秋祭りの練習をしている太鼓の音が遠くから聞こえる。
秋色ようやく佳なり。

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俄36 / 台本にない笑い

2024年10月04日 | 祭と河内にわか

江戸時代に書かれた『古今俄選』にある俄の技法をいくつか紹介する。※は筆者注。
【あぶら】俄の最初から終わりまで、出放題で言葉で引っ張ることだ。
※理屈の通らないことを次から次へと連発(出放題)すること。やすきよの漫才のようなものだろう。
【なえこ】おかしみを出すために、下をなやして言葉を遣うこと。
※「なやす」とは「力を抜く」ことで、阿呆のような間の抜けたしゃべり方をすること。藤山寛美の「あほぼん」のしゃべり方だ。
【でたらめ】はだかにて出る俄に多し。
※「はだか」とは文字通りの「裸」の意もあるだろうが、役柄として演じず、地のまんまのこと、アドリブだろう。

以上を踏まえたうえで、次の【俄の稽古の事】を読んでいただきたい。
  座敷で充分に稽古をして出演すれば「でたらめ」もよく効いて面白い。稽古が不足している時は、「あぶら」がやりにくい。
俄は即興芝居だが台本はある。その台本で充分に稽古をしてこそ、本番の時にアドリブが出てくる。あるいは稽古をしている最中にアドリブが生まれることもある。この〈アドリブ=でたらめ〉が俄の〈即興性〉であり、〈ボケ=とぼける〉となって笑いにつながっていく。俄の笑いは、台本にない笑いである。
そして、このボケによって、観客は〈ばからしさ=愚〉を感じ、〈滑稽=雅趣(味わい)〉が生まれるのである。

古今二和歌集』で倉腕家淀川は言う「昔の俄は下手なれども、理屈に縛られず、愚なるようなるところに雅趣あるを美とするのみ」
風流俄天狗』で村上杜陵は「ボケこそが俄の最も大事なことだ。よって、その役に医者の気持ち、師直の気持ち、俄を演じる者の気持ち、姿、言葉を、三つに分かつを極意とする」と述べている。
風流俄選」で月亭正瀬が言う「名人達のニワカを見ていると、どんな役柄をしても、少し笑みを浮かべてセリフを言う。これでこそニワカの情深く、風流を離れず、実に滑稽である」

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茶話147 / 眠り

2024年10月03日 | よもやま話

若いときは睡眠時間四、五時間という時もあったが、今は8時間眠ることにしている。
研究によると、レム睡眠(浅い眠り)とノンレム睡眠(深い眠り)の山が五回あるのが良いらしい。
一つの山が1.5時間として「1.5×5回」で7時間30分がベストだという。
もちろん、個人差があって、8時間の人もいれば、7時間眠ればよいという人もいる。
どっちにしても、人生のほぼ3分の1(1/3)は眠っていることになる。
一日の1/3眠って、1/3働いて、1/3は私的な時間をもつというのが理にかなっている。

何かの会合で10㎞ほど離れた会場へ車で行く。
会合が終わってからの帰り、道に迷う。
銀行のビルがある交差点に差し掛かる。どっちへ行こう……と右折する。
二車線の広い道路を数キロ走ると、一車線の道路になり、閑静な住宅街に入る。
碁盤の目のように区切られた道をグルグルと回る。
そのうち、出口が見つからなくなり、同じ道を何度も永遠に堂々巡りしていた。

昨日は9時に寝て、真夜中に目が覚めた。時計を見ると0時、浅い眠りのレム睡眠だ。
ガレージのトタン屋根を打つ雨音が聞こえる。
道に迷ったのは夢だった。
同じ夢を、もう何度も見ている。
それも一寸たがわず、まったく同じ夢だ。
よくよく考えると、明日は雨という日に限って同じ夢を見ている。
大雨が降って増水すると、かってにしぼむ風船ダムの管理を任されている。
ダムがしぼんだ後に減水した時、その風船ダムに空気を入れて起立させるのが役目だ。
これは、ちょっとしたストレスである。
それに、雨が降ると畑仕事ができない。これもストレス。

ある研究によると、繰り返し同じ夢を見るのは、農が、寝ている間につらい出来事を処理してくれているのだという。
夢占いによれば、同じ夢を見るのは同じストレスを感じているからだという一方で、そのストレスを何とかしようとする責任感からだという。
なるほど、よくない夢を見たからといって、けっして悪いことではないのだ。
夜中からの雨は、昼前まで続いた。
今日は、のんびりとして、8時間ゆっくりと寝て、いい夢を見ることにするか。

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茶話146 / 曼殊沙華 

2024年10月02日 | よもやま話

畑からの帰り道、堤防の土手に、赤い花が咲いていた。
アライグマと格闘しているうちに、気づかずにいた。
そういえば、お彼岸に咲くからヒガンバナなのに、今年は、お彼岸に咲いていなかったなあ……。
ヒガンバナの開花温度は20~25度とされている。
特に、最低気温が20度前後まで下がってくると、地中の球根から花茎が一気に伸びて花を咲かせる。
だのに、10月になって咲くとは……。
こんなの始めて!
まだ暑いのだ。

江戸時代初期、南蛮貿易で沸き立ってい長崎の貿易商の娘が、ポルトガル船の航海士であったイタリア男性と恋に落ちた。
やがて、二人の間に姉・お万、妹・お春が生まれる。
しかし、寛永16年(1639)に第五次鎖国令が発布され、今後、日本人との混血を禁止するため、長崎に在住していた紅毛人とその家族は日本を追放された。
家族はバラバラにされ、15歳のお春はバタヴィア(ジャカルタ=ジャガタラ)へと流された。
後に「ジャガタラお春」と呼ばれる女性である。
お春は、遠く離れた日本の親戚や友人に何通かの便りをよこした。
習字や読書を心得た少女が、遠い島で綴った美しい文は、何とも切ないもので、「じゃがたら文」と呼ばれるようになる。
 千はやふる、神無月とよ、うらめしの嵐や、まだ宵月の、空も心もうちくもり、時雨とともにふる里を、出でしその日をかぎりとなし。又、ふみも見じ、あし原の、浦路はるかに隔てれど、通ふ心の送れねば、思いひやる日本(やまと)の道のはるけきも、夢に間近く超えぬ夜ぞなき……(略)。
そして、次のように結ばれている。
 あら、日本恋しや、ゆかしや、見たや 。

昭和14年、じゃがたら文を元にしたぬ歌謡曲(『長崎物語 (詞:梅木三郎  曲:佐々木俊一)』が作られる。
 赤い花なら曼珠沙華(まんじゅしやげ)
 阿蘭陀(おらんだ)屋敷に雨が降る
 濡れて泣いてるじゃがたらお春
 未練な出船 ああ鐘が鴫る
 ララ鐘が嶋る
ヒガンバナは「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも言われている。 
サンスクリット語で〈天上に咲く花〉という意味がある。
おめでたい事が起こる前兆に、赤い花が天から降ってくるという仏教の経典からきている。
その一方で、ヒガンバナは、花が咲いた後から葉っぱが伸びるという、通常の草花とは逆の生態を持っている。
つまり、葉と花を一緒に見ることが出来ないのだ。
そこで、「葉見ず花見ず」という別名がある。
また、深紅の花色から「血」や「炎」を連想し、昔の人々は恐れをなして「死人花(しびとばな)」とか「地獄」ともよんでいた。

美しくも悲しいヒガンバナだ。
それが、じゃがたらお春と結びついたのだろう。
 平戸離れて幾百里 つづる文さえつくものを なぜに帰らぬじゃがたらお春 サンタクルスのああ鐘が鳴るる ララ鐘が鳴る(3番)
ともあれ、ヒガンバナが咲いたということは、25度以下になったということだから、良くも悪くもヒガンバナである。
しかし、ヒガンバナは、やっぱり、お彼岸に咲くべきだ。

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