アイリス あいりす 

社会問題 日々雑感 家庭料理 健康管理

捕鯨問題 軍事費

2016-07-24 22:20:27 | 社会問題 日々雑感

http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p003.html#page120 より転載

 

日本の陰謀 (80) 

捕鯨船団は 海上自衛隊の別働隊

 

日本の 戦争犯罪を調べてみると、 捕鯨問題にたどり着いた。そして、すべてが明るみに出た。今、日本の捕鯨船団が海上自衛隊の別働隊であることを確信する。 理由は以下のとおり。 

■ 軍事活動の偽装 

第二次世界大戦を振り返ると、戦争は最後は人間と人間の戦いであることがよくわかる。資金や資源や最新兵器がどれだけあろうが、優秀な兵士のいない軍隊は無力に等しい。最新兵器は、設計図と原料があれば簡単に複製を製造できる。しかし兵士は簡単には作れない。優秀な兵士は時間をかけて選抜し、訓練を重ねて技術を向上させねばならない。訓練のみでは不十分だ。それゆえ実戦経験は不可欠だ。 

だが、軍事訓練は必ず周辺国の目に留まる。戦争、特に侵略戦争においては、相手国を油断させ、軍事力を弱体化させておくことも重要だ。その点、捕鯨船団は海上自衛隊にとって絶好の訓練場所を提供する。 ナガスクジラは敵国潜水艦攻撃の訓練標的となる。 捕鯨砲は実弾砲撃訓練として使える。クジラの解剖は、敵兵などの人体実験の訓練になる。

かぐや/H-IIAロケット
13号機
打ち上げ  

種子島宇宙センター
 


M-Vロケット7号機打ち上げ 画像 

内之浦宇宙空間観測所


種子島宇宙センターは事実上、 大陸間弾道ミサイルの実験場だ。 地対空ミサイルは固体燃料を使うため、技術が全く異なる。それで、 内之浦宇宙空間観測所で発射実験が行われる。 

■ 軍事予算の偽装   日本の軍事費 

日本の軍事費の中には大きな問題がある。まず軍事費の定義そのものが曖昧だ。

1. およそ1兆円と言われる軍人恩給が軍事費に含まれていない。軍人恩給は外国では軍事費に含まれる。また、日本では正確な金額もわからない。 防衛省は、これらの軍人は旧日本軍であり、防衛省の予算には含まれないと言う。笑わせる。 

2. 海上保安庁の経費が含まれていない。 予算は1900億円というが、中身はほとんど理解できない。人件費が含まれているかどうかもわからない。また関係者の年金も軍事費に含めねばならない。最近の 巡視艇は機関砲を備えている。外国では沿岸警備費用は軍事費に計上されている。当然だ。 日本の警察は海上も取り締まっている。一体、防衛省、海上保安庁、警察の境界はどこにあるのだろうか。 

3. 宇宙航空研究開発機構の2004年度宇宙開発予算は1800億円だ。だが、これ以外にも、軍事技術に関連する費用が 科学技術庁から支出されている。 

4.これらの予算額が実態を反映しているとは思えない。しかし、それ以外にデータがない。一応、世界における日本の位置を見てみる。 日本の軍事費は世界で第五位。だが、これらの事情を勘案すると第二位になることは間違いない。

■ 指揮系統の偽装 

自衛隊法第80条によると、有事で、特に必要な場合、海上保安庁は防衛大臣の指揮下に入る。それゆえ海上保安庁は海上自衛隊の一部だ。 

日本の警察組織は一般的には 自治体警察とみなされている。しかし、 都道府県公安委員会ではなく、警察庁自体が 都道府県警察に対する指揮命令権を有すること、警察庁や道府県警の警察本部の幹部は 国家公務員であることから、日本の警察は事実上、 国家警察だ。 

■ 遠洋漁業と捕鯨 

捕鯨でもそうだが、 漁船は戦時には軍用に切り替わる。平時でも戦時でも漁船が海外の港に入港するときのチェックは甘い。秘密物資・資金の引渡しは容易だ。最近は GPSを使うと、海上での引渡しは簡単に出来る。日本人は魚が好きだと言われるが、昨今の 牛肉騒ぎなどを考えると、政府による強力な誘導が感じられる。例えば、 宴会は魚料理と決まっているが、誰が決めたのだろうか。歴史的に日本人が魚を多く食べた記録はない。 

とにかく遠洋漁業は海軍予備隊の強化のため重要だ。その遠洋漁業の強敵が「クジラ」なのだ。クジラが減れば、 遠洋漁業の漁獲高は跳ね上がる。遠洋漁業が拡大すれば海軍予備隊が強化され、世界中の海上・港の調査、情報収集、 破壊活動 諜報活動などが自由に出来る。世界各国が 排他的経済水域の設定を行い、捕鯨の禁止に動くのは、水産資源だけの問題からだけではない。裏には、こういった日本の深刻な問題がある。 

日本が捕鯨問題で世界と足並みをそろえるのは、日本が軍事拡大・世界支配という野望を捨てた時だけだ。 

~~~~~~~~~~

♫ 本当に日本は捕鯨をして、国民の食べ物として必要だったのは、昔の話しです。

もしかしたら、昔も捕鯨をして、ここに書かれているように、軍事的なこともしていたのでしょう。

 

このサイトを最初に見た時、信じられませんでしたが、このようなことは、今では充分に有りえると思います。

ニホンは本当に無茶苦茶な国です。

そして、宇宙開発も原爆の特許者が天皇であると思われることからして、ミサイル実験を見越しているのは、明らかだと思います。またもしかしたら、プラズマ兵器はすでに搭載しているのかもしれないです。

いきなり、兵器を作って売るというのも、準備ができているから、出来るんですよ。

三菱ではずっとそれをしていたんでしょう。

私達国民は戦争はもう、うんざりです。

誰の為に戦争をするのですか?

支配者と提灯持ちが肥るためですか?

 


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Incoming! Airport workers' disbelief as 'UFO' マイアミのUFO?

2016-07-24 16:32:18 | 宇宙

Incoming! Airport workers' disbelief as 'UFO' trailing blue smoke flies over the runway

2016年7月

日本や世界や宇宙の動向で、紹介されていた動画です。

これはUFOに間違いないと、私は思います。

彼らは、人類にわかってほしくて、ディスクロジャーにむけて、姿をみせているのでしょう。

日本の空に、見えるのはいつでしょう?

 

コメント (1)
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天皇まんざーい 松代大本営跡一部公開

2016-07-24 09:34:57 | 天皇まんざーい

https://ja.wikipedia.org/wiki/松代大本営跡 より転載

松代大本営跡

 
 
 
象山地下壕入口
 
象山地下壕内部
 
舞鶴山地下壕入口

松代大本営跡(まつしろだいほんえいあと)は、太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために長野県埴科郡松代町(現長野市松代地区)などの山中(象山、舞鶴山、皆神山の3箇所)に掘られた地下坑道跡である。

このうち現在、象山地下壕(ぞうざんちかごう)が一般公開されている(詳細は後述)。

概要[編集]

太平洋戦争以前より、海岸から近く広い関東平野の端にある東京は、陸軍により防衛機能が弱いと考えられていた。そのため本土決戦を想定し海岸から離れた場所への中枢機能移転計画を進めていた。1944年7月のサイパン陥落後、本土爆撃と本土決戦が現実の問題になった。同年同月東條内閣最後の閣議で、かねてから調査されていた長野松代への皇居大本営、その他重要政府機関の移転のための施設工事が了承された。

初期の計画では、象山地下壕に政府機関、日本放送協会、中央電話局の施設を建設。皆神山地下壕に皇居、大本営の施設が予定されていた。しかし、皆神山の地盤は脆く、舞鶴山地下壕に皇居と大本営を移転する計画に変更される。舞鶴山にはコンクリート製の庁舎が外に造られた。また皆神山地下壕は備蓄庫とされた。3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶ。

そのうち中心となる地下坑道は松代町の象山、舞鶴山、皆神山の3箇所が掘削された。象山地下壕には政府、日本放送協会、中央電話局、舞鶴山地下壕付近の地上部には、天皇御座所、皇后御座所、宮内省(現宮内庁)として予定されていた建物が造られ現在も残っている。また皆神山地下壕には備蓄庫が予定された。

関連施設は善光寺平一帯に造られたため、「一大遷都」計画であった。上高井郡須坂町(須坂市)鎌田山には送信施設、埴科郡清野村(現長野市)妻女山に受信施設、長野市茂菅の善光寺温泉および善白鉄道トンネルに皇族住居などが計画された。また長野市松岡にあった長野飛行場が陸軍により拡張工事が行われている。

松代が選ばれた理由[編集]

 
皆神山

大本営移動計画は後に終戦時の宮城事件に関わることになる陸軍省井田正孝少佐が1944年1月に発案し、富永恭次次官に計画書を提出、大本営幹部会の承認を経た後、鉄道省の現地調査が行われ、全国に地下施設の構築計画案が決まり、大本営の建設場所に松代が選定された。計画案の選定理由は以下のとおりである[1]

  1. 本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場(長野飛行場)がある。
  2. 固い岩盤で掘削に適し、10t爆弾にも耐える。
  3. 山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
  4. 長野県は労働力が豊か。
  5. 長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。
  6. 信州は神州に通じ、品格もある。

この案では松代に大本営、東京浅川に東部軍収容施設、愛知県小牧に中部軍収容施設、大阪府高槻に中部軍収容施設、福岡県山家に西部軍収容施設を建設するものであった。その後、この案は東條英機首相の日本政府全体の移動の意向により変更され、大規模化した。

「松代倉庫」工事として極秘に進められた工事であったものの、工事に従事した地元の日本人労働者の証言では、当時は、地元はもちろん、周辺地域の村では「大本営と天皇陛下が東京から移ってくる」という噂で広がっていたという。噂になった原因は、大規模な工事であり、長野電鉄松代駅に列車で輸送されてくる、大量の物資が住民の目に留まったからだとされる。

建設[編集]

 
トロッコ枕木の跡
 
削岩機ドリル掘削跡

土地の買収は役場を通じて軍が行った。当時は養蚕が重要産業であったので桑畑は程度により買収金額が三段階に分かれていた。買い上げた土地のうち戦後に不要になったものは買い上げ価格の半値程度で払い下げられた(疎開補償費を元住民が半額返金した)。当該地区一帯500戸足らずのうち130戸が立ち退き対象となり、疎開は東部軍の指示により1945年4月から行われた。田畑の耕作は許可されていたため多くは付近の親戚や知人宅を頼った。大規模な移動が起こっていないように偽装するため、家、庭木、庭石などはそのまま、畳の持ち出しは3枚までに制限されていた。終戦後は漸次9月9日までに自宅に戻り、修理されていた家もあった[2]

1944年11月11日11時11分、象山にて最初の発破が行われ、工事が開始された。「11」が並ぶ時間が選ばれたのは、漢字の十一を縦書きにすると「士」に通じることが理由とされる。ダイナマイトで発破して、崩した石屑をトロッコなどを使った人海戦術で運び出すという方法で行われた。建設作業にあたっては徴用された日本人労働者および日本国内および朝鮮半島から動員された朝鮮人労務者が中心となった。工事は西松組鹿島組が請け負った。満州国からの第4639部隊や、賢所工事には鉄道省静岡隧道学校の若者も当たり、付近の住民は勤労奉仕隊としてズリなどの運搬に、また当時の旧制屋代中学旧制松代商業らの生徒も陸軍工兵隊の指揮の下、運搬などに学徒動員され、国民学校初等科の生徒も運搬や山から採ってきた枝でズリを隠す作業等を行った[2]。勤労奉仕隊は無料だったが、朝鮮人労務者は賃金をもらっていた。総計で朝鮮人約7,000人と日本人約3,000人が当初8時間三交代、のち12時間二交替で工事に当たった。最盛期の1945年4月頃は日本人・朝鮮人1万人が作業に従事した。延べ人数では西松組・鹿島組・県土木部・工事関係12万人、勤労奉仕隊7万9600人、西松組鹿島組関係15万7000人、朝鮮人労務者25万4000人、合計延べ61万0600人、総工費は6000万円[3]。当時の金額で2億円の工事費が投入されたとも伝わっている[要出典]。しかし、1945年8月15日ポツダム宣言受諾発表により、進捗度75%の段階で工事は中止された。

昭和天皇の「神器を奉じて帝都を動かず」との考えによって、内廷皇族では皇太子明仁親王今上天皇)、義宮(常陸宮)、皇女以外は東京から疎開する気は無かったといわれる。しかし、6月中旬には宮内省の関係者(小倉庫次侍従加藤進総務局長)が訪れ、内大臣木戸幸一の日記(木戸日記)の1945年7月31日付けに信州に行くことの具体化を相談している記述があり、終戦直前には移動を本気で考えていたと思われる。

当時飯場で賄いをしていた人からの証言では地下壕掘削のために働いていた朝鮮人労働者には1日に白米7合、壕外での資材運搬で働く朝鮮人労働者には白米3合が配給、他にそれぞれ麦やトウモロコシなどが配られるという破格の待遇[4]であった。

朝鮮人労務者は体が丈夫なせいかあまり風邪を引かず、規則正しく礼儀正しかったといわれる[2]。家族ぐるみで働きに来ている者もおり、子弟は日本人と一緒に学校に通った[5]。松代住民と朝鮮人との仲は比較的良く、朝鮮人が農業を手伝ったり、西条地区の強制立ち退きも手伝った。また朝鮮人名で預金通帳をつくることができなかったため、松代住民が代わりに名前を貸したという。また日本人と朝鮮人の恋愛結婚もあった。朝鮮人労務者の食事事情は(密殺した)牛肉を食べるなど、国内での炭鉱や土木工事などに徴用された朝鮮人労務者と比較して待遇面では悪くはなかったようで、日本人よりも良好だった。終戦後、朝鮮半島出身の帰国希望者には列車、帰還船を用意し、一人当たり250円の帰国支度金が支払われ1945年の秋にはほとんど富山港から帰国させることができた。

なお、松代大本営は主に陸軍において計画・推進されたものであるが、さらに戦局が悪化した終戦直前になって、連合軍が南九州に上陸するとの想定のもと[注 1]、より作戦が取りやすいという理由などから、奈良県天理市の一本松山付近に大本営と御座所を移すという計画が主に海軍により立てられ、実際に工事が進められていた。


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天皇まんざーい 皇居に豪華な地下室 <>

2016-07-24 09:23:16 | 天皇まんざーい

https://ja.wikipedia.org/wiki/松代大本営跡 より転載

松代大本営建設に至るまでの皇居の防空対策[編集]

 
御文庫

皇居には1935年頃、鋼鉄扉の防空室(地下金庫)が作られた。だが、内部が狭く大型爆弾に耐えられないことから、宮内省工匠寮の設計で、吹上御所近くに新たに防空壕を作ることになった。のちに御文庫と命名される大本営防空壕が完成するまでの間、昭和天皇香淳皇后は空襲警報発令のたびに宝剣神璽(三種の神器のうち剣と璽)とともに皇居第2期庁舎の防空室に避難していた。

さらに1941年4月12日、御文庫が極秘に着工され、1942年12月31日に完成した。施工を請負ったのは大林組で建築費は約200万円であった。建坪1,320m2。地上1階、地下1階・2階の3階建て。そこには天皇・皇后の寝室、居間、書斎、応接室、皇族御休息所、食堂、洗面所、侍従室、女官室、風呂、トイレなどがあった。このほか、映写ホール、ピアノ、玉突き台などもあった。屋根は1トン爆弾に耐えるよう、コンクリート1mの上に砂1m、さらにその上にコンクリート1mを重ねた計3mの厚さであった。天皇は午前中は表御座所(御政務室)、午後は御文庫で過ごすのが日課であった。

戦況が悪化したため、1945年6月頃にさらに頑丈な御文庫附属室が御文庫から90m離れた地下10mに陸軍工兵部によって建設された。広さ330m2、56m2の会議室2つと2つの控室、通信機械室があり、床は板張り、各室とも厚さ約1mの鉄筋コンクリートの壁で仕切られていた。50トン爆弾にも耐えるよう設計され御文庫とは地下道で結ばれていた。この地下壕はのちの終戦時の2度の御前会議の場所となった。

松代が選ばれた理由[編集]

 
皆神山

大本営移動計画は後に終戦時の宮城事件に関わることになる陸軍省井田正孝少佐が1944年1月に発案し、富永恭次次官に計画書を提出、大本営幹部会の承認を経た後、鉄道省の現地調査が行われ、全国に地下施設の構築計画案が決まり、大本営の建設場所に松代が選定された。計画案の選定理由は以下のとおりである[1]

  1. 本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場(長野飛行場)がある。
  2. 固い岩盤で掘削に適し、10t爆弾にも耐える。
  3. 山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
  4. 長野県は労働力が豊か。
  5. 長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。
  6. 信州は神州に通じ、品格もある。

この案では松代に大本営、東京浅川に東部軍収容施設、愛知県小牧に中部軍収容施設、大阪府高槻に中部軍収容施設、福岡県山家に西部軍収容施設を建設するものであった。その後、この案は東條英機首相の日本政府全体の移動の意向により変更され、大規模化した。

「松代倉庫」工事として極秘に進められた工事であったものの、工事に従事した地元の日本人労働者の証言では、当時は、地元はもちろん、周辺地域の村では「大本営と天皇陛下が東京から移ってくる」という噂で広がっていたという。噂になった原因は、大規模な工事であり、長野電鉄松代駅に列車で輸送されてくる、大量の物資が住民の目に留まったからだとされる。

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♫ 目覚める前なら、何とも思わなかったことが、目覚めるとこうも違うのかと、自分でも驚いていますが、この文を読むだけで、怒りが込み上げてきます。
戦争も原爆も日米合作でした。そして国民の命をあのようにして、抹殺してきたのです。
 
自分たちのみ、助かればいいというのは、これで、わかりますよね。
豪華な地下室と、おおきな金庫ですって。今でもむろん存在するのでしょう。
戦争への道筋が、いま国会でも、参議院選挙後に、自民党へ復党をした元復興大臣のおかげで、過半数をとりましたね。
 
いよいよ、自民党はNWOの中心的な政治をとるようになるでしょう。
 
彼らはあきらめていません。交渉にもついていません。
 
日本人はまだ、この事態が解る人が少ないのです。お人よしです。
また、怖い話は嫌だというのもあるでしょう。
自分は知らない方が幸せ。というのもあるかもしれません。
このような人は、自分が大人だという自覚がないのでしょうか。
 

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WADA会長 「ロシアドーピングは証拠なし政治だ」

2016-07-24 08:53:44 | 社会問題 日々雑感


http://jp.sputniknews.com/sport/20160723/2548922.html より転載

プランカーのウラジーミル・クズネツォフ(ヴォヴァンの名で知られる)とアレクセイ・ストリャロフ(レクサス)の両氏は世界アンチ・ドーピング機構(WADA)のクレイグ・リーディ代表と米国反ドーピング機関(USADA)のトラヴィス・タイガート代表と会談した。内容は22日、NTVサイトに掲載された。

会話は5月に行われたが、ロシア選手に対する国際オリンピック委員会(IOC)とスポーツ仲裁裁判所(CAS)の決定に影響を与える可能性があったので、発表されなかった。
プランカーはイーゴリ・ジダノフ・ウクライナスポーツ大臣を名乗った。

 

クレイグ・リーディ氏は、元モスクワアンチ・ドーピング検査室のグリゴリイ・ロドチェンコ代表の言葉以外ロシアの違反の証拠はない、と語っている。

トラヴィス・タイガート氏は、証拠の不足にもかかわらず、ロシアチームはリオ五輪から失格するべきだと述べた。 「我々の立場は、ロシアの参加は認められない、とうもの。私が決定するなら12ヶ月陸上ロシア代表チームを退ける。これは政治だ」。

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♫ ロシアのオリンピック参加は、もう絶望的な情況になってきました。

あるいは、参加させるにしても、直前になって選手の活きをそぐという策略かもしれません。

この記事にあるように、ロシア人の証言によるもの以外に証拠はないとして、政治がらみだとしています。

世の中は、このようにして、ロシア人選手にまでバッシングを続けているのです。

これは、政治的にロシア潰しのひとつでしか、ありえませんね。

闘いは、このようにして起こっているのです。

日本の報道は、全く真実を報道していません。

 

 


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