この事件は、障碍者への差別意識が問題なんだけど、
そういう意識が芽生えるのは、何故なのか、自分に問うってみました。
私、小学校の低学年まで、そういう意識は皆無でしたよ。
仲がよかった友達には、後になって、それは障がいの一つだと分かったけれど、
その時には、なあ~んとも思わずに一緒に遊んでいました。
でも、周りの大人、それも、私の母や姉などがひそひそと、あの子は云々・・・とその障がいのことを言っていました。
差別意識を作るのは、大人、しかも、親が最初なのかもしれません。
それを子供に植え付けて行く。
今、私が、障害のある人にどう思っているかというと、
それはそれ、と思っていますよ。
家族の介護を10年以上やった経験の中で、
毎日、全面介助を一人でやって、気が狂いそうになったことや、
いっそのこと、死んでくれないかなあ・・・と思ったことも何度もあります。
この人、生きる意味ある? って思ったことだってありますよ。
でも、この世に存在することになったのだから、きっと、深い宇宙の論理の中で、この人に関わる全ての人にとっては、意味があるんだよ、と感じていました。
弱い者が生きられる世の中は、強くて、安心できる社会だと思います。
動物にしろなんにしろ、人にとって不利なら処分しろという世の中は、
薄っぺらで、いざとなったら、怖い状況になりますね。
植松死刑囚の考えに耳を傾けて、何故、あのようなまでの行為に走ったのかを考えてみる必要はあります。
そして、そうならない社会づくり、最初は、形から入ってでもいいから、安心できる社会を目指せればいいとは思っていますよ。