弥右衛門の暇つぶし

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誉田八幡宮

2019-03-29 15:19:58 | 小さな旅

先日、大阪に用事があり、少し時間が出来たので近鉄、南大阪線で古市まで行き、羽曳野市の誉田八幡宮をお詣りしてきた。 下記の”飯山一郎”さんブログの一文に触発されて、自分の目でここの宝物館にある国宝金銅透彫鞍金具を観たい、そして、さらに中国、朝陽市にも赴き確認してみたとの動機でしたが、残念、宝物館は土曜日のみの展示で目的達成できずじまい。相変わらずの早とちりでしたが、静かなたたずまいの八幡宮をお詣り出来、満足。

引用
『北燕』は遼寧省にあった国で、首都は「柳城」(今の朝陽市)!
この「柳城」(今の朝陽市)は、帯方郡の故地で、『百済国』建国の地!
また、『北燕』の王族の墳墓は、「柳城」の近郊(北票県)に集中している。
そして、「柳城」の近郊(北票県)から発掘された馬具と全く同じモノが、なんと!
羽曳野市誉田八幡宮(応神天皇陵の隣接地)の宝物館にある。
この応神天皇陵から「平城京」があった大和郡山までは、せいぜい10km。
こうして…、
奈良の「平城京」と、『北魏』の「平城京」。
この二つの古都は、文字どおり血をわけた“兄弟”!
つまり奈良の「平城京」は、『北魏』の「平城京」を模倣、というより再現なのだ。
まだある。


お宮さんの構造は朱色の柱が多く観うけられますが、ここ誉田八幡宮はそれが無く、質素で深みがあると感じました。良い感じです。


そして応神天皇陵、中に入れませんが“放生橋”ごしにお詣りしました。


さて、奈良の平城京は長安の平城京を真似たものが定説ですが、上記の飯山一郎さんは北魏の平城京と言う。この説が史実であれば天皇家ルーツは遠く北魏までさかのぼり、更に日本国のルーツにもつながる、定説を覆す大発見です。詳しくわまたの機会にしますが、今まで歴史学にない学説で、まさに歴史ロマンです。

さて、大阪に来ると必ず食べる逸品、美々卯本店の”鳥南蛮そば”、これは私にとって一番のご馳走。

さっぱりとした白醤油仕立てで、すこしとろみがあり、山椒をふりかけていただく。最高です。もし機会があればぜひお試しください。

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