八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

ついに「本」を出しました!八柏です!

2019-06-27 19:38:25 | いまどきの問題について!

 いやはや ご無沙汰してしまいました。

前回、韓国のことで書いたあと、こんどは台湾についてと言ったきり、ほんとに申し訳ありませんでした。

 でも、この間、また韓国に行って、浅川巧という朝鮮の「白磁の美」を日本に伝えた人物を調べたり、
問題になっている「徴用工」訴訟について、韓国メディアの人の話を聞いたり、また横浜の学校の先生たちの研修会で、
講演したり、忙しかったといえば、忙しく・・・。

 でもそんなことはどーでもいいことです。

 それにしても、台湾や韓国に行くたびに思うのですけど、これらの国は1980年代まで戒厳令をしかれていた国なんですが、
それぞれさまざまな問題を抱えているにせよ、若者たちは、ある意味、日本の若者のように無自覚で、何事にも無関心ということはなく、
いかに生きていくか、いかに自身があるべきか、日本の若者には最近あまり感じることのない〝硬派〟な印象で、
とりわけ台湾での「書店文化」とも言うべき「本」への思いについては、学ぶことが多いなと思いました。
 ネットじゃなくて、本は紙媒体のを読む。その一冊一冊の本への感じ方が、今どき日本の「読書離れ」「本離れ」とすごく対照的でした。

 さてそんなとき、ネットで今回本を出します。
自分で「龍books」というレーベルを立てまして、池袋で行っている市民講座の講義録を本にしました。

 『講座 時代と表現者』というものです。中味は、アマゾンのレビューにありますので、
アマゾンをクリックして、『講座 時代と表現者』と入力して、ごらんください。

 もちろん講義録ですから、語り口調で書いていますし、でも講義とはけっして同じものではないようにリライトしています。
 読みやすいと思います。これまで文学は、その作品論が主なテーマだったと思うのですが、
この本は、そのぞれの作家とその時代の対峙や葛藤に焦点を当てて、そこでの時代の要請の一方で、表現者がどうしても抱え込んだ限界や国家、
そんなものをテーマにしてまとめました。

 本書の中でも述べていますが、時代が浮ついて、劣化し、利便性を求めるがあまりにファシズム化する問題意識と、
「文学」のもつ意味を交差させて考えてみようという試みです。

 お読みいただければ、とても嬉しく思います。値段は324円(現行の消費税を含めて)です。苦になる金額ではないと思うので、それに電車の中でもスマホでスイスイ読めるので、ぜひお買い求めください。

 ほんとは紙の本を出したかったのですが、それも後日なんとかなると思います。その本は、「侘び」「寂び」など日本人の根底にある美意識についてのものになると思います。

 最近やっと、自分がこれまで長きにわたって求めているものが、どうも〝根源性〟にあるのだなと思い至りました。地下水脈を掘るように仕事できたらな、と思うしだいです。

 まずは、本書『講座 時代と表現者』をよろしくお願いいたします。


                    八柏龍紀


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韓国と台湾~「裸足で現場を歩く」という意味を考える!<第一部>

2019-03-05 14:13:34 | いまどきの問題について!

 ずいぶんブログをほったらかしにしてしまいました。

 じつのところ、なにごとにも億劫な質(たち)で、仕事に取りかかるまでが遅い。
親には常々、そう叱られてばかりでした。

 シャンとしろ! もたもたするな!
 こっちとしては、いろいろ考えてからはじめるつもりだから、

いいじゃないか、と文句も言いたくなったのですが、
じっさいもたもたしていて、その反動で
つまらないところで
慌ててしまい、これまでよく失敗を繰り返してきました。

 まずは、親の言うことは、よく聞いておいた方が
いいのかもしれません。

 ところで、2019年の新年が明けて、1月にはソウル、
2月末から昨日まで、
台湾に行ってました。
ともに、デモクラTVの取材を兼ねてのものですが、

さまざま学ぶことがありました。

 ソウルでは、ちょうど日本の自衛隊機に対する広開土王級艦船
によっての
照射事件がおこった直後で、また徴用工の問題など、
日本と韓国両国に軋みが
激しくなっていた時期、少なくとも日本のマスメディアは、そんな騒ぎようでした。

 日本のマスメディアはこの時期、寄ると触るとで韓国政府側の非を鳴らし、
文在寅大統領の政治姿勢に疑問、非難を集中させていました。

 でも、ソウルに入って、町の人やソウルのマスメディアに関わりを持つ日本のジャーナリストの話を聞くと、どうも違った印象で、
まず、ソウルの市民は、
それほど照射事件に表だっての関心がなく、
徴用工の問題も、いわゆる〝プロ活動家〟的な人びとの運動として、冷めているわけではないものの、冷静に見ている感じでした。

 そもそも文在寅大統領は、これまで日本と韓国のあいだを結びつけていた利権的な政治家、いわば日韓議連などで動いている古い政治家のありようを排除する。
彼の言葉で言う「積弊清算」という立ち位置にあって、新たな民主的、
平等互恵的な関係を再構築したいという意向を持っている政治家でした。

日本に忖度して、徴用工の裁判を遅らせたりしない。筋を通して、日韓の関係性を築きたい。
 もちろん、ソウルでわたしの聞いた範囲のことですが、例の照射事件は出先の艦船のミスだったとの認識は少なからず大統領にもあるといった声を聞きました。
 さらに、この時期の韓国でのもっとも大きな政治的issueは、2019年3月1日が、1919年におこった「3・1独立運動」からちょうど百年を迎え、また南北の融和が、北朝鮮の指導者金正恩と米大統領トランプの米朝「談合」で、進展するのではという期待感、もしかしたら金正恩が米朝首脳会談のあと、「3・1」にソウルに来て歴史的な南北の融和がなしとげられるのでは、これは噂話として、ソウルで聞きました。

 そんな話を聞いた韓国から帰ってきて、テレビに出演する機会があり、ほかのコメンテーターに、こんな噂があるといいましたら、ある女性コメンテーターの方が、金正恩がソウルに来る話しは、もうかなり以前に決まったことのようで、ソウルの「南山タワー」で握手するんだみたいな話しで、それってネット情報? と思いましたが、わたしはそこまで聞いてはいないから、情報不足だったのかなと思ったりしたのですが、やはりじっさいはそんなことなかったし、
今回の米朝首脳会談も、お昼のワイドショー的ニュース番組では、
すでに事前の打ち合わせはできていて、米朝合意は
確実だと宣わっていた早稲田かなんかの教授である女性コメンテーターもいましたが、じっさいそうにはならずトランプは早々とハノイをあとにしてしまいました。


 はたして彼女らは、ほんとに調べたのか?
なにを根拠に言うことができるのか?

 憶測か期待か? そんなネット情報程度の話しだったら、
テレビに出て来て偉そうに、あるいは情報通であるかの風を吹かせて話をとくとくと語ることなんかできないんじゃないか?

そんなふうにも思いました。

 ところで、ソウル滞在のうち一日は、1919年の「3・1」のとき日本官憲によって29名の虐殺が行われた、ソウル郊外の水原という都市の近くの堤岩里(チュアムリ)というところに行ってきました。

    <堤岩里で虐殺された人びとの慰霊のモニュメント>

 このときは、堤岩里に限らず近郊の町村でも虐殺が行われ、とりわけ堤岩里は、木造の教会に閉じ込められた村民が日本官憲の放火によって焼き殺された事件が起こったところです。

 堤岩里には「堤岩里事件記念館」といったものがあり、日本語の上手な学芸員の女性がいらして、いろいろ説明してくれたのですが、
かつてはキリスト教系の学校を中心に、日本からも多くの修学旅行生がここにやってきて、
多い日は、一日に4回も説明して回ったそうですが、第二次安倍政権が成立してから、一校も修学旅行生が来なくなったと言っていました。どうしてなんでしょうか?と聞かれました。


 これには、嫌韓・嫌中の権化みたいな、いまの安倍政権の性格をお話しして、すべての日本人が、そんな偏見を持っていないこともお話ししたのですが、
もっとも問題は、日本社会全体の〝萎縮〟といった問題が根があって、
またきちんと自分で調べることがなく、
ネット情報に踊らされて、
またはネットへの書き込みを通じて、自己権力を満足させようとする
ある種の「病い」が蔓延している状況があること。
つまりこれは一人一人の問題なのだとお話ししてきました。

 いうなればコメンテーターもネット情報、嫌韓・嫌中もネット情報・・・。その不確かさ、根拠のなさ、裸足で現場に立つことを怖れ、自らの眼でなにも見ようとも確かめようともしない。そんな「閉域」をかこつ日本の人びとのいまのありようが、問題なのだといっていいでしょう。
 まさに勝手な思い込み、責任のない言動が災いのもとにある。

 

 これまで身過ぎ世過ぎで、高校生や大学受験生の論述の指導をしてきましたが、よくある失敗に、教科書や参考書にあることがらを鵜呑みにする、もっと言うとこれまで自身が知らなかったことがらなどが、教科書や参考書に書かれていると、これだ、これが大事だ、これを書けば、よく気づいたねといって褒められるの違いない・・・。
そんなふうにして文章を書いて来る手合いが、よく見受けられました。

 なにを問われているのか見向きもしない。考えもしない。ただただオレはこれだけのことを知っているんだ、わたしってけっこう鋭いでしょっ、といった謙虚さを欠いた手合いです。


 困ったことに、その鵜呑みにした言葉や文章、鋭いと自負している内容は、幽霊みたいで足がありません。つまり、物事の後先や時代の背景といったものを押さえていないし、設問の意図から遠ざかってしまっているだけでなく、偉そうな言葉を急に盛り込むわけですから、前後の文章と著しい不調和が出てくるものでした。
 ですから、そうした誤りや不調和を指摘し、これはおかしくないかと示唆するのですが、
 なかには頑として
聞き入れず、あたかもわたしがそのことを知らないから、知識がないから、あるいは東大出身者じゃなくて程度が低いから文句を言っているじゃないかと、差別意識の塊となって、不満を口にする者もいました。でもじっさいは、できる子であればあるほど謙虚であるようです。

 固陋や痼疾、イドラとも言うべき思い込みは、無用な批判意識を高め、相手を攻撃するなど自らを不幸にするだけのものになっていきます。
 まさに「ネトウヨ」とは、そうした〝病い〟の一つであるようにも思われます。
要領よく振る舞う連中、グズグズ考えたりしない。億劫がらずにつぎつぎとかっこいい言葉を口にするのに長けた者たち、そうした若者は、一方で強い自己承認欲求というコンプレックスを持っている者が多かったように思います。「ネトウヨ」に限らず、過激な物言いをする人たちに欠けているのは、相手を凌駕することばかり、競争する序列をつけることに汲々としていて、足下を見ない。つまり地道さや謙虚さを欠く、裸足で現場に立つ勇気のない人たちではないか。
 そんなふうに言うことができるかもしれません

 つぎの写真は、ソウルにある戦争博物館のモニュメントです。

 1950年6月からの朝鮮戦争勃発後の南北分断のなか、
兄弟がそれぞれ北と南に分断され、その二人が出逢ったときの
感動のモニュメントと
いうべきものです。


 近代日本の植民地支配の結果、それが日中戦争と対英米戦争における日本の敗北によって終焉を遂げたあとも、朝鮮半島や台湾においては、長きに渡って朝鮮半島における南北分断、台湾においては国民党政府支配による強権政治とそれに対抗する人びとの血で血を洗う抗争がありました。


 「東西冷戦」という世界史的な割り切りでは、どうにも説明し尽くせない争い。
じつは日本の戦後占領のありようが、ドイツ占領式の分断統治にならず、アメリカのほぼ単独占領となったことで、その影響が朝鮮半島に及び、朝鮮が米ソによる分断統治につながったのは紛れもない事実です。
 それと台湾の1947年の「228事件」をはじめとするありようも、台湾の自治の芽をつぎつぎに潰し、二等国民として、日本の戦争遂行に従属させることのみはかった日本の植民地政策の罪責に無関係なものではありません。

              <かつての台湾総督府>

 さて今回は、まずは1月に訪れたソウルで気が付いたことを、長々と書き継いでしまいましたが、次回は、近日中に億劫がらずに、またよく考えて、台湾でのお話しを【第二部】としてお話ししたいと思っています。


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身辺雑記です!

2018-08-20 16:06:44 | いまどきの問題について!

 しばらくブログを更新せず、
 申し訳ありません。
 ここ数ヶ月、それなりに忙しくて、
自分自身を省みることができませんでした。

 今更ながらに思ったのですが、
 じっくり、いまを見据えることの大切さは、
人間にとって、何よりも大切なことだといえます。

 政治学者の丸山眞男は、
『超国家主義の論理と心理』という政治エッセイで、
東条英機らの戦前の権力者を評し、
「すべてが騒々しく、すべてが小心翼々としている」と
記しています。

 その言葉に触れながら思うのは、いま現在のことであり、
わたしたち周囲を取り囲む権力者や政治家、とりわけいまの内閣の面々などは、
改憲だ、やれ改革だと、なんと騒々しいことか。
 そのくせ政治スキャンダルが発覚すると、

ごまかしと虚偽を連ね、じつに小心翼々たる姿をさらけ出しているのか。

 まさにその落ち着きのない、小学生のようなはしゃぎぶり。
 なにか異様なものを感じます。

 でも、多くの人びとは、それがあんまり気にならない。
おそらく、われわれはすでに「すべてに騒々しく、小心翼々な」状況にどっぷりと首までつかってしまい、
その異様さが感じられなくなっているのかも知れません。


 さて、話題は変わって、わたしは北東北秋田の生まれで、高校までその地に育ち、
大学卒業後、高校教員として秋田で8年間教職にありました。
 おそらく、いまとなって振り返るなら、わたし自身、もっとも成長したのが、
秋田での高校3年間と教職にあった8年間であったのだろうなと思います。
 ちなみに最初に赴任した学校は、能代農業高校(現能代西校)という学校でした。

 詳しくは、またいつか機会をみてお話しするときがあろうかと思いますが、
故国を遠く離れることによって情緒化される「遠隔地ナショナリズム」と同じように、
わたしには、秋田への思いがいまも断ちがたくあります。
 そんなとき今日、金足農業高校の野球部が、甲子園の決勝まで勝ち上がったことに、
訳もわからずうれしさがこみ上げて、なりませんでした。

 わたしの入学した小学校は、当時の天王町町立出戸小学校で、一学年12人の
小さな学校でした。担任の先生は服部忍先生という方でした。きれいな先生でした。
 ちなみに幼稚園は、いまは存在するかどうかわかりませんが、
 もっと男鹿半島よりにある東湖幼稚園という幼稚園でした。
 ところでわたしの通った出戸小学校は、今回甲子園で勝ち上がった金足農業高校の近くにある小学校でした。
現在は秋田県潟上市になっていて、金農野球部の多くの子が、この潟上の出身です。
 まさに地元の子だけ。そうした地元のなかにわたしは幼少期を過ごしました。

 甲子園といえば、かなり以前から、私立の野球学校、
いわゆる校名をあげるために、学校経営に特化する形で、
有名な監督を招き、選手を集める方式が常態化し、それが甲子園常連校になる時代です。

 金農の子は、そうした商業主義とは、ほぼ無縁な子どもたちです。
 かれらは、まずふつうの高校生であり、部活での野球部です。
 それが甲子園の決勝まで行く。思わず快哉を叫ばざるを得ません。
 

 秋田県は、かつては自殺者が全国トップ、無類の酒飲み県であり、
激しい人口流出に歯止めがかからない県です。
企業誘致による活性化も、企業依存を強めるだけで、
企業のわがままを許す体質を生み、地方としての自立が損なわれ、
一方で中央資本の商業施設が導入されることに期待をかけても、
地元の商業者は家業の放棄を余儀なくされることが多く、
また農業は再三にわたって外圧や政府の無策によって、変更や衰退を迫られ、
それこそ原発でも呼んでくるしかない・・・そんな状況におかれているといっても過言ではない。

 「原発」は自らの身の危険を担保にして、いまを食いつなぐ手段でしかない。
 わたしには、そうした認識が根深くあります。

 加えて昨今、秋田と東京つなぐ秋田新幹線は、温暖化の影響か再三にわたって風水被害に遭い、
よく運休に追い込まれ、一時期は県全体が「陸の孤島化」したこともありました。

 わたし自身、秋田で高校教師までやりながら、秋田を離れたことに、
心底、どうしようもないくらい苦く悔恨を感じることがあります。
 また両親ともに物故し、そんなこともあり、ふたたび秋田に帰ることはないと思うにつけ、
「遠隔地ナショナリズム」と同様な、情緒的な望郷の念が募ります。


 そんなときの金足農業高校の野球部の勝利でした。

 うれしかった。本当にうれしく思いました。

 そんなおり、以前から予定にはあったことではあるのですが、この月末、大学生たちと一緒に秋田に行きます。
秋田の平鹿平野の一隅に、わたしの祖先が戦国時代まで盤踞していた「八柏」の本貫地があります。
できれば学生諸君と一緒に訪れるつもりでいます。

 秋田に行って、じっくりと落ち着いて、
自分自身を省みる機会になればと思うしだいです。
 

  

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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長らくブログを更新せず、すみませんでした!

2018-06-18 23:49:54 | いまどきの問題について!

 もう「モリカケ」問題は飽きた!
ながなが国会でやることじゃないって声もちらほらです。

 いつものことですが、こんな風にして悪事が積まれていき、
人びとが〝悪〟に慣れることで、権力は自由に、その素っ頓狂な欲望を、
つまり権力者でいたいという、じつに「非民主」的な欲望を膨張させていくっていうのは、
古今東西、世界中、歴史を見れば、どこでもあった感じです。

 つい最近の日本だって、ものをよく考えない、目先のことしか見えない、
倨傲にもそれが「愛国心」なんだと思い込んだ猪突猛進型の軍人、
素っ頓狂な政治家や扇動家たちが、

自らが属する軍の威勢や自己の立場をえらく見せたくて、
愚かな戦争まで導いていった歴史を
持っているわけですが、
そんなこといまの人に言ったって、

「アンタ、左翼?」などといきなり決めつけられるのがオチで、
こうした風潮は、人びとを萎えさせるとともに、
ともすれば危機を前にして、

どう動けばいいのかわからなくなった民衆をニヒリズムといった塊に巻き込んで、
結果、愚かしい巨大な「戦争の惨禍」となって現れ出るものです。

 で、話を進めます。
「戦争は人を殺すことである」これは、じつに明快な事実なんですが、

先の大戦で、阿鼻叫喚の地上戦が繰り広げられ、
まさに地獄絵となった激戦地が沖縄でした。その沖縄での話です。


 もう20年くらいたつのですが、沖縄の小学生から、
といっても彼らは、いまは30後半くらいの年齢になっている世代だけど、
以下のような話を聞いたことがあります。

どんな話かというと、
沖縄戦の激戦のなかで住民が逃げ隠れたガマ(洞窟)に、
彼らが小学校の社会科遠足で連れられて、真っ暗のガマに入れられ、
ガマの中で息を潜めて逃げた体験を持つ女教師に、
私たちはこの真っ暗なガマの中で、死ぬか生きるか、
ほんとに非道い経験をしたのよと、泣きながら話されて、
みんなが、なんかしらけちゃったって話。

思わず、そのとき「え!しらけた?」って聞き返したのですが、
「ん、しらけた!」なんか押しつけられたような気がして、
つまり、彼らの話をまとめると、ここでみんなが非道いよねって、
思わなきゃだめなんだみたいな、しかも、先生は感極まって泣いているけど、
自分らは、狭くて暗い場所に長い時間おかれて、気分悪くなるものもいたし、
そんなとき、先生だけ泣いてる。

 その話を聞いて、体験は伝わらない。よく語り部の話を聞くってことがあるけど、
話の上手い下手はあるけど、聞く側は最初から、非道い話を聞くって前提の上で、
話を聞いているわけで、そのとき双方に齟齬が起きると、
話は宙に舞うのかもかなと思ったというわけです。


 じつは、今度「デモクラTV」でのわたしの番組〝八柏龍紀のモダーン・ヒステリー〟で
「沖縄戦」を取り上げるので、今月末に沖縄にロケ兼取材に行くことになったわけで、
いま、いったい何を取材してくればいいのか、思案しているところなのです。

 で、これまでの〝悲惨〟〝非道い〟沖縄戦の映像や取材だけでは、
なんか違うんじゃないか、もっと本質的、もっというと実存にまつわる問題提起ができないか。
そうしたことを考えているわけです。

 「沖縄」の悲劇は、これまでずいぶん長い間、語り継がれてきました。
そしていまも辺野古や高江の問題で、その〝悲劇〟性は変わることなく存在します。
でも、〝非道い〟〝理不尽〟という感情は、いつまで続くのか。
そうした感情や情緒に依拠するだけでは、歴史の漂白の前ではひとたまりもないのではないのか。
よくわからないけど、

感情に依拠しない、じゃ何かといわれると、まだわかりませんが、
その何かを考える「旅」にしたいと思っています。
まずは沖縄に行ってみることです。そして考えます。

7月放映予定の「モダーン・ヒストリー」をご期待ください。
八柏龍紀でした。


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カストロの言葉とトランプの悪罵

2016-11-27 11:59:17 | いまどきの問題について!

 キューバの永遠の革命家カストロが九十歳、
ある意味、日本風に言うと大往生をとげました。
 カストロの言葉は、スペイン語のよく出来る人
から
聞いた話だと、とても機知に富み言い回しも
じつに周到な言葉で、まるで音楽を聴くように
魅力的であるそうです。

 それに対して、さっそく例のどうしようもない
一方通行可能な「ツイッター」で、次期アメリカ
大統領となるトランプは、「残忍な独裁者」が亡くなった。キューバは「全体主義の島のままだ」などと悪罵を投げつけています。

下品で下卑た言葉しか、どうもこの人は持っていないのでしょうね。

 こうした発言の背景には、なにか子どものとき、怖いものを見て、そのまま成長した感がありますが、
いずれにせよ、トランプの言葉には、
「昭和のオヤジ」という喩えはよくないのかも知れませんが、イメージ的には傍若無人なオヤジどもの煙草の脂で歯が汚れ、
そこからニヤニヤと吐き出される差別・愚弄の汚い言葉の再来を感じさせるものがあります。

 マッチョといえば、なんとなく片付けられそうなのですが、
そんなもんじゃない、人としてもっとも醜い憎悪やコンプレックスが、
のぞいている感じがして、いやで仕方がありません。

 「希望」とは向日的な動きを内在させています。
 「明日」という言葉も、時間に投企する明るさを内在させています。
 カストロの言葉は、つねにそうした向日性や明るさ、そして人びとへの激励に満ちた言葉であったと思います。
 対比はしませんが、そうした言葉に対して、いまの世界は、あまりにも劣化した言葉が幅をきかせています。
 いつかわたしたちが落ち着いて、いまの時代を振り返るなら、この時代をけっしていい時代であったとはいわないような気がします。
 日本というアジアの島嶼国家の現実も、変に浮かれて、無関心と根拠のない自慢にあふれた状況にあります。
 もっとも国家権力がいくら嘘を重ねても、人びとはそれを咎めない。
まさに「希望」を失った国のようです。

 そうしたなかトランプの悪罵の言葉は、人びとの内部に浸潤し、
いつしか、そうした言葉しかもてない、傍若無人な時代に席巻される
のでしょうか。
 「昭和のオヤジ」たちといえば、東大、慶應、千葉大医学部など、
最近、エリート大学の学生によるレイプ事件が、後を絶たない。

 カストロの死を哀悼するとともに、わたしはせめて美しい内実に
富んだ「言葉」を大事に育ててみたいと思うばかりです。 


  


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おかしいでしょ?〝有識者ってなに?〟

2016-11-24 12:45:40 | いまどきの問題について!

 つらつら思うこと!
「有識者会議」への疑問。 

 今上天皇の「退位」のご意向について、
有識者会議なるものから出てくる話は、
「勝手に公務を増やして、それで生前
退位したい」というのは、これまでの
天皇のあり方と違うという話しです。

 そして、そうした言説に、少なくない程度の
人びとが誘導されている状況が、感じられ
ます。 

 この場合、この有識者という人びとは、
どの程度まで、これまでの「天皇(ミカド)」
のありようを知っているというのでしょうか。

 「天皇(ミカド)」は、一時期、後鳥羽や
後醍醐の時代はあったものの、ほとんどは、
戦乱を「ケガレ」として、その災厄の除去を
はかってきたのだし、天変地異や災厄に
対しても、〝慰霊〟と〝鎮魂〟をその大いなる
「務め」として、できる限りの行いをしてきたと
いうことができるのです。

 有識者会議の一部の人びとは、ほとんどが
「近代天皇制」という特殊な時代の桎梏に
とらわれているのとともに、
あたかも徳川幕府やかつての軍部のように、
「天皇(ミカド)」個人への尊敬を欠いている
ように見えます。 

北朝の天皇を除くという歪んだ事実も含めて、
いま百二十五代といわれている「天皇(ミカド)」の
過ぎ来し方のありように、眼を開かれ、
そのうえで、今上天皇の「公務」の意味を、
考えなくてはならないと思います。

おかしいでしょ?「有識者会議」 


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三笠宮がお亡くなりになったことについて。

2016-10-27 20:53:47 | いまどきの問題について!

 明日、いよいよ『日本人の知らない「天皇と生前退位」』が書店に
並びます。

 それは、いいのですが、そんなとき三笠宮が亡くなったという報
に接し、
物事をきわめて冷静かつ熱く捉える史観をお持ちであった
三笠宮のありように、
深く想いをいたしたところです。
 『古代オリエント史と私』や『日本のあけぼの』などで三笠宮の
お考えや物事への
洞察力については、すでに知っている方も多いか
と思います。

 宮自身の戦争体験。それはほかの皇族とは一種異なったものだった
ように思われます。
中国戦線での日本軍(=皇軍)の実態を目の当たり
にして、戦後はそうした状況を
作り出してはいけないという強い意志を
滲ませた多くの発言を宮は繰り返していました。

 皇室とは如何なるものか。それはこれまで長く「ケガレ」を祓うもの
として存在していた。
それがおそらく三笠宮の考えた皇室像だったと
思われます。

 もちろん、進んで戦争を行った後鳥羽や後醍醐といった「天皇(ミカド)」
もいました。
そして「近代天皇制」の時代も、それに近かったと思います。
その意味で、三笠宮のお考えは、皇室の伝統を踏まえた至極まっとうな
皇室本来の
方向性を示したものだったように思われます。
 
 今上天皇と皇后が慰霊の旅や被災地を訪問する姿、これこそが皇室の
本来の「務め」
に近いものではなかったか。
 そう考えると、「公務」軽減という名目で、皇室がこれまで伝統的に行って
きた「務め」から
皇室を疎外することは、筋論からいって違っているのでは
ないか。

 いまこそ、祈ることの意味を、過去の震災での犠牲者を前にして、
再確認する必要がある
のではないか。
わたし自身、そんな風に思っています。

三笠宮の逝去に際し、謹んでお悔やみを申し上げます。 


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