この10月19日から、いよいよ「あざみ野」現代史講座がスタートします!
今回の講座は、ある意味ですごく緊張しています。というのも、最近、歴史についていろいろ思うところがあり、そもそも「歴史とは一種の媚薬」のようなものであって、仮に栄光に満ちた歴史であっても、また悲惨と辛酸に縁取られた負の歴史であろうとも、それを語る人びとにとっては、少なからずその個人を陶酔せしめる何かがあるように思えてならないのです。
「歴史」を前にして、わたしたちのほとんどは、その歴史の現場に裸足で立ち会ったわけではありません。その場にいたとしても、そのときの感情や印象、情緒、そして追体験されたものを、語る時点で再構成したものです。
よく本当の悲惨で辛苦の現実を目の当たりにした人は、何も語れない、語ろうとしないと言います。その事実と現実が、過去となって、一つの記憶に再構成されるまで、人びとは沈黙の中にいます。
そんななか、「歴史」を語ることの重さを、いつものことではあるのですが、考えざるをえない。しかし、だからといって語らないわけにもいかない。
なぜ、おまえは歴史を語るのか。じつは思うに、それはどこかで「未来」というものの明るさを信じているからではないか。そんなふうに思っています。
謀略史観に口角を逆立てて危機として語ろうとも、差別や偏見に満ちた攻撃的な歴史も語りたくはありません。だからといって、栄光の歴史も、やれやれと脱力した歴史も語ろうと思っていません。
もしかすると、この事実は、わたしたちの未来にとって何か光りとなって差し込んできはしまいか。そんな可能性にある歴史を、これまでもまたこれからも語っていきたいと思っています。
まずは、堅苦しい話しはともかく、楽しい講座にしたいと思います。ぜひおいで下さい。