◇はじめに◇
まったく個人的な感想ですが・・・、
自民党総裁選挙も立民の党首選挙も、
何の意味も見出せない感じがしてなりません。
政治への無関心とはちがう、おそろしいほどの無力感・・・。
そうした雰囲気が充満していて、
もちろん体験はしていませんが、
こんなふうにして1935年の天皇機関説事件以降、
軍部の権威主義的な暴力的介入を阻止できなかった時代のようす、それに近づきつつあるのを、感じざるをえません。
あのときも、良識的な政治家と目された者は隠栖を決め込み、非力な知識人は沈黙したままおよそ抽象の世界に閉じこもり、おかしいと感じた市井の文学者やインテリは、腰が引けて、笑いと皮肉で世の中を斜に眺めていました。
戦後日本の政治シーンで、
こうした政治への絶望感が、いつごろふくらんできたのか。
いまから近いところで考えると、
アメリカ流新自由主義のごり押しをはかった小泉純一郎の「郵政改革」の熱狂(2000年代前半)がおこったときあたりから、それは肥大化し、いまに続いているようにわたしには見えます。
あの意味のない改革騒ぎでおこった熱狂の、祭りのあとめいた徒労感は、その後のこの国をぼんやりと覆って、その「曇り空」のなかで、自己責任の掛け声のなか、人びとの分断は進み、憎しみがまさり、コミュニティは解体に向かい、都市と地方の格差は何倍にも増していく。そして、それはいまに続く。
・・・と、分析してめても仕方ないですね。
では、どうするか? です。
そんなわけで、こんなときこそ、もう一度わたしたちの「原点」を見返す必要を感じるわけです。ましてや、小泉純一郎の息子が、ブッシュ政権もどきに出てきそうななか・・・。
そこで、この秋学季では「日本国憲法」をテーマにして、その「原点」を考えていきたいと強く思ったしだいです。
はたして戦争の惨禍への深い悲しみと非戦の思いは、いったいなんであったのか。
映画監督の大島渚の言葉を借りれば、
まるで米兵がチューインガムやチョコレートをばらまくようにして、アメリカは日本人に〝民主主義〟をばらまいたのだ・・・その象徴として「日本国憲法」がある・・・そうしたシニカルさも含めて、そもそも「憲法」とは何か? それを論考します。
いわば、メンドくさい事柄を、もう一度、政治的文脈ではなく、哲学的な視座から考えてみたい。そのように思っています。
◇ ◇ ◇
そこで、秋学季講座のお知らせと訂正です。
お時間のなかなか取れないかたも、また遠方の方にも、zoomおよびアーカイブでの受講が可能ですので、ぜひご参加いただきたいのですが、問題は昨今、会場の確保がかなり難しくなってきていることです。
申込期日初日の本日の9月20日に会場の申し込みましたが、
12月1日と22日が予定通り会場を押さえることが出来ませんでした。
以下訂正したflyerです。
結果、12月1日の会場は、としま区民センターとは反対の池袋西口・南口下車4分の「としま産業振興プラザ」(通称「池ビズ」)の美術室の会議室利用ということになりました。
また12月22日は会場確保が出来ず、日程を変更して12月15日(日曜日)として、こちらは「としま区民センター」505会議室となります。
時間は共にいつものように14時~16時です。
すでにご予定等、入っている方もいらっしゃるかと思いますが、その場合はアーカイブ受講も含めてご検討ください。
上記のflyerをご覧の上、ご参加等よろしくお願いいたします。
また前回のblogで、数日ブログ上で初講日の日付がまちがったまま掲載されていました。
正しくは、初講日は10月14日(代休)です。
訂正等、よろしくお願いいたします。
また、申し込みは、上記のflyerにもありますように、
npo.shinjinkai1989@gmail.com
です。
メールをいただいて数日中に、
みなさまそれぞれに担当から連絡が行くようになっております。
それでは多くのみなさまのご参加をお待ちしております!