すでにお知らせいたしましたが、
「季林書房」のホームページが完成しました!
毎月、中旬ころには定期的に更新する予定でいます。
「季林書房」は、従来の出版社とはちがって、
みなさまとともに時代や時間をすごし、
ともに考えながら、
さまざまなことをやりとりできる、
語り合える「場」としての役割を考えています。
そこで、その「場」の一つとして、
「季林書房」では、季林倶楽部を立ち上げました。
季林倶楽部では、ご参加いただいた方々とともに、
さまざまなワークショップや講演会、学習会や写真展など、
「企画=場」を作っていきたいと考えています。
季林書房ホームページから、
ぜひ〝季林倶楽部〟のページをご覧いただき、
ご賛同いただければ幸いです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<パレスチナ・ガザ
イスラエル軍の空爆のあと>
・・・というわけですが、
日本では、アメリカの大統領選挙の熱狂に、うまい具合に便乗するかのように、〝postキシダ〟をめぐる一保守政党の総裁選挙に、マス・メディアがこぞってのめり込んでいる。まさに醜態とも見えます。
ときまさに、異常な猛暑と暴風雨による河川氾濫のなかで、予想どおりの〝米不足〟が出来し、農産物価格は高騰するしで、人気とりの給付金ばらまき政策も、人気回復がかなわぬとなれば、なにげにお座なりとなり、すでにしょぼついた状況へ・・・。
しかも、台風はやってくるし、地震はいつくるか分からない。能登地震でも分かるように、国の防災機能は拙速かつ遅滞の極みで、まさに地に墜ちている印象すらします。なんにもやれていない。
わたし自身の体験でいえば、ちょうど高校教師のとき日本海中部地震がおこり、わたしの勤務校のあった秋田県能代市ではかなりの被害があったわけですが、そのときの防災システムを思いだしてみても、いまの国のシステムはあまり変わっていない。とくに復旧のスピードが、あのときより落ちている印象がしてならない。
東北や北陸は、すでに中央から捨てられた地なのか。そんな気にもなってしまいます。
そんな時期にノー天気な〝総裁選挙〟の狂騒・・・。しかも、どれも変わり映えのしない二世議員か利権議員の大きな顔と顔・・・。
いくらお祭り好きの日本人でも、まずくないかと思うわけで、ちなみに近世あたりから、すこしでも日本の歴史をふり返ってみると、〝踊り〟はじめると、だいたいうまくいかないことが多い。
主だったものでも、〝ええじゃないか〟と〝東京音頭〟・・・。
戊辰戦争に日中戦争からの対英米戦・・・。
話は変わって、写真に挙げましたが、パレスチナ・ガザでのイスラエルによる無差別殺戮の惨状は悲惨極まりない状態となっています。
もはや、むきだしの民族殲滅の欲望の修羅場と化している状況と成り果てていると言っていい・・・。いま、こんな国にいて、なにも出来ないでいることの恥ずかしさを感じます。
この事態が起こる前に、すでに「みすず書房」から出ていたエドワード・W・サイードの何冊の本や『イラン・パペ、パレスチナを語る』(つげ書房新社)、最近では『ガザとは何か』(大和書房)といった本を読んでいたのですが、1970年代に書かれたガッサーン・カナファニーの『太陽の男たち/ハイファに戻って』(河出書房新書)のころより、はるかに酷いことになっているのが、いまさらなのですが、痛々しいほど突きつけられ、心が痛む思いです。
すこしお話しすれば、そもそも 「イスラエル」という国家。これはいかにも「人工国家」というべき国なのですが、19世紀までにはパレスチナにはわずかなユダヤ人が住んでいる状況で、その地には多くのパレスチナ人が住んでいて、一種の共存という状況でした。
しかし、この時代に高まった「国民国家」ブームに刺戟され、民族と土地の自己証明を求める「シオニズム運動」が勃興してきます。
シオニズム運動は、けっしてユダヤ教の教義にあるものではなく、むしろユダヤ教の長老からは、異端とされたものですが、20世紀の二度の大戦を挟んで、この「シオニズム運動」は政治運動としてユダヤ人のなかで高まっていきます。
そんななか、西ヨーロッパや東欧などで差別や迫害を受けてきたことで移民してきたユダヤ人がこの地にやってきて(それでもパレスチナのユダヤ人はまだ少数派でしたが)、その後、ナチス・ドイツの行った「ホロコースト」の被害の記憶を包摂しながら、イスラエル建国によって人口が増加し、さらにソ連崩壊後、ロシアでの差別や迫害から逃れてきたユダヤ系の人びと、とくにこのロシアからの移民は2000年代前半で120万人を超えて現在イスラエルの人口の約15%以上を占めるまでになっているのですが、その間に、非ヨーロッパ系のユダヤ系の人びとも移民としてやってくるというようにして、いつしかイスラエルという国家は強固な国家体制をつくり出していきました。
その結果、当然のように急激な人口増による弊害がおこり、またユダヤ人の中に「アシュケナジ」と呼ばれるヨーロッパ系、東欧系の階層、「セファルディ」や「ミズラヒ」と呼ばれる北アフリカ・中東系など 非ヨーロッパ系などの階層など多様な人びとの階層形成による軋轢や矛盾が発生してきます。
しかも、くわえて、それらの人びとが〝乳と蜜の流れる土地〟への渇望を隠そうとしない。勢いパレスチナの土地を収奪していく。
そうすると国家権力と政治権力者は、自己保身と権力保持のため、〝イスラエル〟国家の統合とその崇高さの「自己証明identity」を求め、パレスチナへのアパルトヘイトを機に、ことある毎に「戦争」に打って出る。このことは、これまでの世界史によく現れた「国家」の凶暴性とよく似た構図です。
<アウシュビッツで「イスラエル国旗」
を翻して歩くイスラエルの若者 2012年>
「国家」と戦争、そして惨禍になかに放棄される人びと。災害のなかで放置されつづける人びと、そしてガザの悲惨さは、われわれいまを生きる人間のまさにおおきな問題であるといってもいいでしょう。
それを選挙という政治的駆け引きの道具に供したり、片々たる自己実現のためのもっともらしい理屈に包み込んでみたり・・・。
まずは、この現実と歴史に、固く目を凝らして見ていきたいものだと思います。
<国立歴史民俗博物館 蔵>