八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

☆☆なぜ、こんな時代に〝司馬遼太郎〟を読むのか? 講座へのお誘い!☆☆

2022-05-16 21:38:04 | 〝哲学〟茶論
 表題にもあるように、
たしかに、なぜこんな時代というか、時期というか、そんなときに〝司馬遼太郎〟を読むのか?
 そうした疑念をもつのは、一つの理かも知れません。
 これまで、わたしも司馬遼太郎の本は、それなりに読んできました。
 でも、司馬遼太郎には、どっかに保守的な雰囲気が纏わりついていて、というか〝司馬遼〟を好む読者層が、多くは大会社の重役だったり、戦後日本の高度成長期に功成り名を遂げた企業人だったりして、よくお店でも、料理もお酒も美味いけど、やたら成金めく客ばかり、つまりは客筋が悪い店があるように、司馬遼太郎の小説もそんなファンが多いように見えて、大学生のころは敬遠していたように思います。

 とは言うものの、1986年ころから司馬遼太郎は小説を書かなくなります。そして『この国のかたち』というエッセイの連載を行うようになるわけですが、それを読んでいくと、司馬遼太郎が、詩人田村隆一などと同じように「学徒出陣」組で、特攻だったり、南方に送られたりしたわけではないものの、あきらかに〝戦争〟の中に自身の死に近似した経験をもつ者の、ある種の「精神の歪み」といったものが見えてくる。
 そして、そうしたものが、なぜ『この国のかたち』を書きはじめることから明示されていったのか。もしかして司馬遼太郎は、「この国」の未来に、あるいは世界の流動に、なにか不吉な暗渠を見ていたのではないか。

 作品やエッセイを読んで思うのは、司馬遼太郎、本名の福田定一は、おそらく好奇心の強い、読書好きで、物知り、好事家といった市井の人だったように思います。さかんに冗談も言う、それなりに人に合わせて調子よくやれる。まじめな話をしても、とつぜんコテコテの大阪弁で、「ほな、儲かったやろねぇ」などとニンマリするような人だったように思います。

 そうした面白話を好む人物が、突如としてなにかに怒っているいるような表情になる。だからといって、だれかに教わった文切りの言葉やお題目のような、いわばイデオロギーの岩盤が透けて見えるような言葉は使わない。
 できるだけ、どんなふうに考えたらいいのかをたぐり寄せるように、「国家」や「歴史」、そして「人間」や「文学」に思考の錘を降ろしていく。
 そうしたたたずまいに、なぜか司馬遼太郎の本を読んでみたいという思いを抱かせる源泉があるように思うわけです。

 いま「世界」は、あちらこちらで苦しんでいるのだと思います。そして、多くのひとびとは、どう生きればいいのか、日々の暮らしも含め、どう楽しみを見いだせるか。周りの人びと、上手くやっているか。それが見えてこない。そんな気持ちでいるようにも思います。
 戦争、弾圧、恐怖、絶望、不安・・・。そうしたわたしたちを取り巻くいまのもやもやをどうすればいいのか。
 そう考えると、やはり、ここにはどう生きるかの態度を示す羅針盤があった方がいいように思います。
 いまこの講座をしようという意図はまさにそこにあります。

 もしよかったら、池袋のとしま区民センターでの講座に、あるいは話し合いができる場においでになりませんか。
 初講日は、この5月21日(土)14時30分からです。
メールアドレス:npo.shinjinkai1989@gmail.comまでご連絡いただければ幸いです。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆☆「司馬史観」講座と『ロシアについて』を読む!☆☆

2022-05-02 10:28:34 | 〝哲学〟茶論
 司馬遼太郎は、21世紀が明けてまもない2002年に『ロシアについて』(文藝春秋社)という一書を出版しています。
(正しくは、1986年6月に初版は出ています。ちなみに文庫は1989年でした。わたしがこの本を手に取って読んだのが2002年ということだったようです。わたしの読書ノートの記載ちがいでした)
   
 そのなかで司馬は、小説『坂の上の雲』と『菜の花の沖』を書くうえで、「十数年もロシアについて考えこむはめになった」としつつ、帝政ロシア時代の建築や装飾美術などに共通する「ここちよい陰鬱さと威厳を、いまも好ましく思っている」と書き記しています。
 <聖ワシリイ大聖堂・モスクワ赤の広場>
 しかし、ロシアの歴史を見ていくと、ルネッサンスの波動はモンゴル人の打ち立てたのキプチャック汗国の影響でロシアには鈍くしか伝道せず、「人間の発見」といった成熟した思想を受け容れる余裕は少なかった。
 司馬は、・・・このようにして、ロシア世界は、西方からみれば、二重にも三重にも特異な世界たらざるをえなかったことを、ロシアというものの原風景から考えていく必要がある・・・。外敵を異様におそれるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲、また火器への異常信仰、それらがすべてキプチャック汗国の支配と被支配の文化遺伝だと思えなくはない・・・と述べています。

 たしかにロシアの人びとには、ヨーロッパ世界の農耕から醸成された思想的雰囲気とはちがっていて、どちらかと言えば遊牧民族的な遺伝子をもっている印象があります。
 ユーラシア大陸をほぼシベリアまで国土とするロシア人には、近代における「国境」という概念が育ちにくかったようでもあり、放牧民が牧畜のための草原を確保する、IT用語の〝バッファbuffer〟、いわゆる〝緩衝〟地帯の確保を至上とするようなことを、歴史上、しばしば行ってきました。
 それが近代に入っての、スターリンが行ったフィンランド侵攻を企図した「冬戦争」(フィンランド側の呼称)と呼ばれる侵略戦争であり、東西冷戦時代の東ヨーロッパへの執着であり、そしてウクライナへの侵攻というふうに考えることができます。
 そこに他者が住居してようと、領域としての緩衝地帯を置かねばならぬといった不安と拭いきれない猜疑心と文化的とも言える劣等感、征服欲・・・。
 そんななか現在のロシアにウクライナ侵攻を考えていってみると、そうした他者への猜疑と不安が一種の「矮小化のループloop」に結びついているとも言えます。

 ちょうど70~80数年前の日本は、中国の戦場で中国の女性を、また東南アジアの女性への強姦や暴行、そして慰安婦への強制をおこなったことがありました。
 そうすると、おそらく日本占領のためにやってくる進駐軍兵士も、かつての日本兵と同じ様に、今度は日本女性にたいして強姦暴行するにちがいない。そのための防波堤として、〝大和撫子を守れ!〟をスローガンに、いわゆる国家売春宿の設置する。
 名付けてRAA(特殊慰安施設協会 )・・・。
 じゃ、RAAで売春する女性たちは〝大和撫子〟じゃないのか! ってツッコミはともかく、その計画は「終戦の詔勅」が出たわずか二日後に、国務大臣近衛文麿から警視庁総監坂信弥に指示が出て、そして当時の大蔵官僚池田勇人が取り仕切り、RAAはつくられました。後手後手の日本政府のわりにいやに早い決断・・・。 
 たしかに、占領軍による強姦といった事件は他国でも皆無ではなかったのですが、性犯罪に毅然とした態度を取るわけでもなく、それに抗議することもなく、さまざま別の対策もあったろうに、すぐに〝売春宿〟をつくる。

 おなじようなことは、今回のプーチンのロシアも、ウクライナのゼレンスキーらはテロリストでありナチだ。ナチであるウクライナ人はロシア系住民を弾圧拷問、あげくには虐殺を行っていると言い募り、そこで自分たちは「正義」の戦い(特別軍事作戦)をしていると自己肯定する。
 しかし、やっていることと言えば、ロシア軍によるブチャやイルピン、ハリコフなどでの虐殺や強姦をしている事実がつぎつぎ出てくる。ロシアもやっているから、ウクライナもやってる? 逆にウクライナ兵もやっているからロシア兵もやっている?

 政治学では、よく「安全保障のディレンマ」ということが言われます。つまり、相手が軍事力を増強している恐れから軍事拡張をはかる。そうしないと国を守れないというわけですが、それは相手国から見て、とんでもない脅威に映る。そこで相手国も軍事拡張をはかって対抗する。
 相手への知識や理解を欠くと、そうした軍拡はどんどんエスカレートしていき、そのディレンマは飽和状態になり、ついに無益な戦争が行われ、終末兵器である「核」兵器も、威嚇のためこの程度はいいだろうという戦術核が使用され、いつしかそれは巨大な核戦争へと逢着し、世界はカタストロフを迎えるというものです。

 相手を理解しようとしない。自分たちがこうであるのだから相手もそうするにちがいない。
 自己の矮小さのなかに相手も引きずり込んで、どんどん矮小化のスパイラルのなかに自らも相手も貶める。
 これはまるで「矮小化のループ(輪っか)」ではないか。
 
 というわけですが、
 ウクライナへのロシア侵攻の先行きは、いまだ見通せません。
 凡百のコメンテーターがNetやMass Mediaの浮ついた空間でさまざま言説をまき散らしているというものの、他国からの侵略による支配を受けたことのない、〝極東〟の島国日本では、どの言説もリアリティrealityをもたない。ましてやそのような歴史的経験に裏打ちされていない言説で、わたしたちの不安は静まるものでもないし、かといって煽られても意味がない。
 歴史を大きくとらえてみれば、これは近代における民主主義のトレーニングの時期を欠落したロシアという「国家」のもたらした悲劇であるとともに、人間というものがいかにその精神において矮小で欠けた存在なのかを物語ることのようにも思います。
 そう言うのなら、日本もこの〝民主主義のトレーニング〟は、民主主義そのものが、戦後、米兵からチューインガムをばらまかれるのと、あまり変わらない程度のもので、けっして鍛えられているものではないのですけど・・・。
 煎じ詰めて考えるに、要は「人間」というものが、いかに生きるべきか、その精神をいかに気高く伸びやかに保つかという問題に最終的には行き着くものなのでしょう。
 プーチンの言葉には、マフィアの使うような傲慢で野卑な言葉しか見つかりません。それは北朝鮮が連発する挑発的で相手を貶める言葉と変わらない。日本でいえば、ヘイトの連中の使うムカムカするような気持ちの悪い言葉ときわめて似通っている。
 問題は、そうした言葉にいかに対峙するか。あるいはその言葉の持つ〝痼り〟をどのようにして解きほぐすか。落ち着かせるか。
 
 いまの「核」時代にあって、烈しい言葉や陰謀的言辞、あるいは偏光を強いるドグマに引きずり回されたならば、それは容易に破滅を呼び起こすものになるでしょう。
 烈しい怒りやスローガン、理屈のありそうな言葉が、かりに一見、正義を誇っているようであっても、〝非国民〟と戦前の日本人が他者に向けて罵った言葉が、戦後になると〝反動〟という罵りの言葉に取って代わられるような、愚だけはふたたび犯したくない。

 まずは「人間性」を取り戻すこと。

 ウクライナの人びとが強姦、虐殺、強奪するロシア人に、あれは「人間じゃない」と吐き捨てるように言うシーンを見ましたが、いや「人間」だから強姦も暴行も強奪もする。その源は恐怖と自己の卑屈さで、こうした感情は他の動物には現れ出ないものです。
 それらは「人間」なればこその暴虐としなければならない。
 人は堕落もするし、品格をもつことも、さらに自らを陶冶することもできます。まずは、その一点に関して、自分はいかなる「態度=精神」をもっているのかを、いまこの時期だからこそ、考えてみたいと思っています。
 それが「人間性」を取り戻すという事だと思っています。
 
 最後に、またこの5月21日を初講とする講座『司馬史観を考える!』の案内を載せておきます。
 上記に記したさまざまな問題などを「語る」場所として、講座を開講したいと思っています。よろしくおご参加ください。
*現在、進行中の『日本〝近代・現代〟のプロフィール』の講座も、まだ受付をしております。

 なお、『司馬史観』の申込期日は、5月15日(日)までとなっています。申し込みはNPO新人会文化講座のアドレスまでお願いいたします。
  npo.shinjinkai1989@gmail.com
 またNPO新人会のTwitterもあります。ぜひご覧ください。
  NPO法人新人会@Vi4WmmxAsWnvTpk

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする