明日、いよいよ『日本人の知らない「天皇と生前退位」』が書店に
並びます。
それは、いいのですが、そんなとき三笠宮が亡くなったという報
に接し、物事をきわめて冷静かつ熱く捉える史観をお持ちであった
三笠宮のありように、深く想いをいたしたところです。
『古代オリエント史と私』や『日本のあけぼの』などで三笠宮の
お考えや物事への洞察力については、すでに知っている方も多いか
と思います。
宮自身の戦争体験。それはほかの皇族とは一種異なったものだった
ように思われます。中国戦線での日本軍(=皇軍)の実態を目の当たり
にして、戦後はそうした状況を作り出してはいけないという強い意志を
滲ませた多くの発言を宮は繰り返していました。
皇室とは如何なるものか。それはこれまで長く「ケガレ」を祓うもの
として存在していた。それがおそらく三笠宮の考えた皇室像だったと
思われます。
もちろん、進んで戦争を行った後鳥羽や後醍醐といった「天皇(ミカド)」
もいました。そして「近代天皇制」の時代も、それに近かったと思います。
その意味で、三笠宮のお考えは、皇室の伝統を踏まえた至極まっとうな
皇室本来の方向性を示したものだったように思われます。
今上天皇と皇后が慰霊の旅や被災地を訪問する姿、これこそが皇室の
本来の「務め」に近いものではなかったか。
そう考えると、「公務」軽減という名目で、皇室がこれまで伝統的に行って
きた「務め」から皇室を疎外することは、筋論からいって違っているのでは
ないか。
いまこそ、祈ることの意味を、過去の震災での犠牲者を前にして、
再確認する必要があるのではないか。
わたし自身、そんな風に思っています。
三笠宮の逝去に際し、謹んでお悔やみを申し上げます。