八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

◆◆2024年11月15日になります。季林書房HPを更新しました!◆◆

2024-11-15 12:32:17 | 〝哲学〟茶論
 この秋のNPO新人会講座では、
 「日本の憲法」についてのお話しをしています。

 世の政治家は〝改憲論〟を唱えると正義とばかり、改憲論者が多いのが現実です。
 ただし、この間の衆議院選挙で「改憲派」政党で数を減じた政党があったため、わずかですがその勢いもやや削がれた感がします。

 とは言うものの、なんとなくも含めて、つまりほとんどの人が「日本国憲法」そのものも読んでいないようですし、また他国の憲法と比較したりしていないようなんですが、周囲の勢いで〝改憲〟の声を上げる人、いやそれ以上に、米国を含めて周囲の国々、中国や韓国、そして北朝鮮などの外交関係で〝弱腰〟だとばかり、いたずらに危機意識にとらわれる。そのうえで「日本国憲法」に一方的な不満を抱く人も多い感じです。

 いっぽうで、〝護憲派〟とされる人びとはどうか。
 ネット界では「パヨク!」などと揶揄されていますが、高々と「護憲」の旗印を掲げて、「反戦」「平和主義」を唱える人びとも、そこそこ健在です。

 国を守るのだったら〝戦争〟もするぞ! 周辺国に〝ナメ〟られてたまるか、と日の丸をかざし、鼻息の荒くマントを翻しヒロイズムに浸る〝改憲派〟に対し、こういった〝護憲派〟は論理的に高い視点に立って、高踏的な発言をします。都市部の知識人階層、もしくは〝インテリ系〟〝意識高い系〟〝リベラル系〟などといった人びと・・・。
 たしかにこういったリベラルを標榜する人びとは、野蛮な物言いや強権を忌み嫌います。そしておおかた自分たちと意見を同じくする人びととの会話を好み、そうではない人びとと〝けんか腰〟で闘うことをしません。
 その意味で〝内向き〟の人びとなのですが、いっぽうの〝改憲派〟の人びとも、ネット界を見ても仲間内で盛り上がっているようなので、どっちもどっちなのかもしれません。
 
 ですが、中国が攻め込んできたらどうする。北朝鮮が核爆弾を打ち込んできたら、あるいはロシアが北海道を占領したら・・・、手を拱いて、わが国は「平和主義」ですから、と言ってすむのか!
 いつか左翼の論客とされた経済評論家が、つぎつぎと激しい質問をぶつけられて、顔を真っ赤にして反論とも言えない、「だったらしかたないじゃないか!」とヘンな言い逃れをして、大いに突っ込まれていた場面を見たことがありましたが、日ごろの辛口トークはどこにいったのかと思うくらい、かなり情けないものでした。
 つまり、平和主義をかざしてみても、押し被さるようにつぎつぎと「現実?」といったものを突きつけられると、だいたいは答えに窮して反論が容易にできない。
 けっきょく、顔を赤くして言葉につまり、やりこまれてしまう。どうにも、みじめな〝護憲論〟という図式しか見えてこない。喧嘩ができないたちなんでしょう。

     <フランス人権宣言1789年>

 しかし、よくよく考えてみると、〝改憲派〟の物言いは、彼らが言うようなことが実際に起こっているわけでもなく、煎じ詰めてみれば、いわば〝架空〟の話です。
 それに、そうした危険が迫っているとしても、それを現実的に回避する方法は、憲法を変えて、ミサイル網を日本列島に網の目のように張り巡らし、最新鋭のイージス艦やイージス空母を倍増させ軍事力を強めればいいというものではない。
 知恵があるなら、軍事力だけではなく、いくつかの方途を思いつくはずですね。

 仮に攻め込んでくる相手が狡猾かつ狂暴な中国(?)だとして、相手の中国は、かつて日本の軍閥・軍隊に国土を蹂躙され、殺戮や強姦などの災殃を被った国です。
 そこに現在、対峙する米軍の基地がたくさんある日本。日米安保の事前通告制など無きが如くで核兵器を積んだ米国軍艦船が日本には存在する。しかも、それらはすべてこちら側に砲口を向けている。さらに日本政府は、米軍の核はないと嘘をついている可能性大である。
 となれば、尖閣列島に戦闘機を飛ばし、艦船を潜入させ、日本の領海に圧力をかける。
 それはさほどむずかしい論理にあるわけではない。

 ところで、いまの秋学季の講座は、そうしたいわゆる「9条」の問題だけではなく、そもそも憲法の大前提にある「人権」といったところから考えはじめています。
 たとえばフランス革命時に唱えられた「人権」というものはいかなるものか。「人権」とは、人間に生まれながらにして与えられたもの、自然権なのだ、天賦のものである、といったことは本当だろうか。そんなところから、お話しははじまっています。
 「日本国憲法」の前文には、「人類普遍の原理」や「恒久の平和」が掲げられているのですが、その「理想」主義の根拠はどこにあり、それは〝現実〟という性格をおびているか。そもそもそうしたものは、これまでも、これからも存在するのか。

 怖れずに言うならば、それらは「虚構」ではないのか。では、虚構だからダメなのか。
 いやむしろ、理想とはそうした虚構のなかに芽生えることで意味や人びとへの説得力を持つのではないか。
 それに対して「現実」といったもの振りかざしても、その多くは思い込みだったり、自分たちの言い分に都合よく引き寄せられたものだったり、それ自身、きわめてもっともらしくしているけど、けっこういいかげんで曖昧な代物じゃないのか。

 講座では、そうしたお話を、哲学的と言えば聞こえはいいのですが、いずれにせよそうした思考の輪の中でやりとりしながら、テーマである「シン・あたらしい憲法のはなし」とは何か? についてお話と対話をしています。

 すでに講座の半分に当たる第2講まで終わり、会場での対面講座はあと二回ですが(12月1日と12月15日)、アーカイブ版がありますので、これまでの講座を視聴するなどして、いまからでもじゅうぶんに参加できます。またすべてアーカイブでも受講できます。

ご興味ありましたら、
 NPO新人会講座担当
   npo.shinjinkai1989@
                          gmail.com
  までご連絡ください。
(詳細については、このblogをたどっていただければ出てきます!)

  ◇  ◇  ◇

 ところで、季林書房のホームページが本日更新されました。
  https://kirinsyobo.com/ 

 編集者日記はいまの
 高麗山の景色と季節感について、
 書評は、ヒオカ著
  『死にそうだけど生きてます』
   cccメディアハウス2022年
 を取り上げています。
 是非お読みください。

 それと季林倶楽部の入会をお待ちしています。
 まだ書籍を発刊していませんが、現在進行形で、会社の目標として、なんとか2冊同時に年度内には発刊したいということです。
 その際には、無料講演会の開催や特典等を準備を考えているとのこと・・・。
 多くの方々のご入会とご支援をお待ちしております。
 
<大磯から相模湾を望む。10月の夕陽です!> 
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