キューバの永遠の革命家カストロが九十歳、
ある意味、日本風に言うと大往生をとげました。
カストロの言葉は、スペイン語のよく出来る人
から聞いた話だと、とても機知に富み言い回しも
じつに周到な言葉で、まるで音楽を聴くように
魅力的であるそうです。
それに対して、さっそく例のどうしようもない
一方通行可能な「ツイッター」で、次期アメリカ
大統領となるトランプは、「残忍な独裁者」が亡くなった。キューバは「全体主義の島のままだ」などと悪罵を投げつけています。
下品で下卑た言葉しか、どうもこの人は持っていないのでしょうね。
こうした発言の背景には、なにか子どものとき、怖いものを見て、そのまま成長した感がありますが、
いずれにせよ、トランプの言葉には、
「昭和のオヤジ」という喩えはよくないのかも知れませんが、イメージ的には傍若無人なオヤジどもの煙草の脂で歯が汚れ、
そこからニヤニヤと吐き出される差別・愚弄の汚い言葉の再来を感じさせるものがあります。
マッチョといえば、なんとなく片付けられそうなのですが、
そんなもんじゃない、人としてもっとも醜い憎悪やコンプレックスが、
のぞいている感じがして、いやで仕方がありません。
「希望」とは向日的な動きを内在させています。
「明日」という言葉も、時間に投企する明るさを内在させています。
カストロの言葉は、つねにそうした向日性や明るさ、そして人びとへの激励に満ちた言葉であったと思います。
対比はしませんが、そうした言葉に対して、いまの世界は、あまりにも劣化した言葉が幅をきかせています。
いつかわたしたちが落ち着いて、いまの時代を振り返るなら、この時代をけっしていい時代であったとはいわないような気がします。
日本というアジアの島嶼国家の現実も、変に浮かれて、無関心と根拠のない自慢にあふれた状況にあります。
もっとも国家権力がいくら嘘を重ねても、人びとはそれを咎めない。
まさに「希望」を失った国のようです。
そうしたなかトランプの悪罵の言葉は、人びとの内部に浸潤し、
いつしか、そうした言葉しかもてない、傍若無人な時代に席巻される
のでしょうか。
「昭和のオヤジ」たちといえば、東大、慶應、千葉大医学部など、
最近、エリート大学の学生によるレイプ事件が、後を絶たない。
カストロの死を哀悼するとともに、わたしはせめて美しい内実に
富んだ「言葉」を大事に育ててみたいと思うばかりです。